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目を閉じている間、世界は死んでいる。わたしも、あんたも、死んでいる。それが嘘だなんて誰にも証明することはできないし、かといって、本当だと証明することもできない。だけどわたしは、目を閉じている間に世界が死んでいると信じてる。だから、今、あんたは死んでるんだよ。わたし、目を閉じているから。


「俺は死んでる、か」


乾いた笑いを吐き出して、気怠い身体をのっそりと起こした。汗で額に貼りついた前髪を無造作に掻き上げて、隣に横たわる女を横目で見た。こっちに背を向けて眠る女は、紛れもなく俺の幼なじみで。どうしてこうなった、と、罪悪感の様なものを感じた。とは言え、誘ったのは俺じゃないし、こいつはそんな純情なヤツじゃあない訳で、俺が無意味な罪悪感を感じる必要性はどこにも存在しない。


暑い。額から顎に汗が伝って、思うよりもずっと大きな音を立てながらシーツに落ちてシミになった。身体中、ベタベタする。コトを終えた後に一応シャワーを浴びたけれど、連日続く残暑と、人間二人分の熱を蓄えたシーツは、ボロいシャワーなんか帳消しにしてしまう。よくもまあ、こんな暑い中で寝れるもんだと思いながら、心地好さそうな寝息を聞いた。そう言えばコイツ、終わった後、シャワーも浴びずに寝てるな。寝汗ですら気持ち悪いのに、女ってもんは変に潔癖かと思えば、そうじゃなかったりと、全く訳が分からない。


「おい、起きろ」
「……ん、」
「シャワーくらい浴びろ。寝るならそれからだ」
「うるさい、シリウス、うるさい。あんたは黙って死んでろ」
「お前なぁ……」


あいつは暫くもぞもぞと体を捩らせていたが、ごろりと寝返りをして俺の方に顔を向けてから、目を開けた。半分寝呆けたままのその顔は、暑さのせいかほんのり赤くなっていて、額には汗が浮かんでいた。丸裸の胸を隠すこともなく曝しているのに、全く恥ずかしそうにすることもなく、俺をじっと見上げた。


「……気持ち悪いね」
「なにが」
「全部。汗もそうだし、わたしの中に残るシリウスの感覚とか」
「お前……そういう生々しいこと普通のヤツに言うと引かれるぞ」
「あはは。じゃああんたは『普通のヤツ』じゃあないね」
「うるせぇよ」
「気持ち悪いね、まったく」


それだけ言うと、あいつはまた目を閉じてしまった。気持ち悪いと言う割に、シャワーを浴びに行きもせず、汗を吸い込んだマットレスとシーツに身を預けるこいつの思考回路が全く理解できない。俺の眼前に曝されている肢体は、健康な若い女のそれで、いつからこいつはこうなったかと記憶を辿ったりしながら、何を言うでもなくぼんやりしていたら、またシーツに汗が落ちた。


「シリウス」
「どうした」
「みんな、死んでいるんだよ」
「またそれかよ」
「だって、誰も、目を閉じている間の事なんて知らないじゃない」


目を閉じてしまえば、何も見えない。真実なんて、何もない。だからあんたは死んでいて、わたしも死んでいる。みんな死んでいれば、さみしいなんて分からないじゃない。誰も、侵すことなんてできないんだよ。わたしの世界はわたしだけのもので、だけどわたしのものではないから、わたしは目を閉じて、わたしは死んで、わたしのものじゃない世界から逃避しているんだよ。


べらべらと意味の分からない独自の理論を語ったかと思うと、あいつはそれきりうんともすんとも言わなくなってしまった。手持ちぶさたになった俺は、溜め息をひとつ吐き出して、スプリングを軋ませながらベッドを下りた。ぶわっと風が吹いて、少しだけ涼しいと思った。


「ねえ、シリウス」
「何だよ」
「シリウス、あついねぇ」
「ああ」
「でも、じきに秋がくるよ」


振り返ると、さっきまで寝転がっていたあいつは上半身を起こしてこっちを見つめていた。膨らんだ胸に、汗が滴り落ちていて、不気味なくらいに艶めかしかった。ああ、コイツ、女だな。それも、とびきり可愛そうで、さみしい、ひとりきりの女。コイツはそういう女だ。どうしてか今更になって、俺は理解した。


「この夏服とも、さよならだ」


床に放り投げていた制服を拾い上げて、あいつはどことなく悲しそうに笑った。曖昧に頷き返すと、また、ぶわっと風が吹き込んできた。熱い、夏の風。だけどどこかに秋の気配を隠している。あいつの前髪が揺れて、俺はそれに見惚れていた。どこからともなく、耳障りの良い虫の鳴き声が聞こえてくる。ああ、これは、そう。どこかで鳴いているのは、ヒグラシ。


(2011)

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