キスと奇跡



キスをした。

それは、私の人生で初めてのキスだった。
日が沈み、薄暗くなった化学室。
生徒も教師も帰っただろう、そんな空間にたった二人で意図的に居座って。
二人だけの秘密の行為が出来るこのタイミングを作ったのだ。

「…ようやく、触れられたんだね」
「うん…」

震える声で、愛おしそうに優しく抱き締め合う私達にとって、この行為がどれほど大きなものだったかなんて、きっと誰にも想像できない。
手を繋ぐことがギリギリのライン。
抱き締め合う姿を見られたら、それは危険信号でキスなんて交わしたものなら、全て終わりだ。

「もう一度、したい」

彼が熱っぽい視線で私にそう訴える。勿論、気持ちは同じだ。何度交わしたって足りる事ない行為を、何度も何度も繰り返す。

口内で絡まる舌も、唾液も、全部。
何もかもが愛しい。熱と熱の交換が誰にも邪魔されない狭い空間で行われる。
唇だけでは足りなくて、耳に優しく彼のキスが降り注いだ時、全身がゾクッと不思議な快楽に蝕まれる。

「キスじゃ足りない」

息遣いの荒い彼が、シャツのボタンに手を掛ける。一つずつ外されていくそれを大人しく眺めていると。
―――携帯が鳴った。

「………」
「………」

ふっと何事も無かったかのように、冷めていく欲深い感情。彼のボタンを外す手が止まる。
中途半端に肌を晒したまま、私は鳴り響くそれを手にとった。

「もしもし、うん。…お母さん?今は――”お兄ちゃん”と一緒だよ」

その呼び名を口にするだけで、今までの甘い空気は殺伐としたものに変わっていく。

「帰ろうか」
「うん…」

触れられる事が、キスをすることが奇跡な私達にとっては、

それ以上を望むことは出来ないのだ。




キスと奇跡