07



07

「……。」

「どうしたの、難しい顔しちゃって。」

「おばあちゃん…、」

掃除をしながら色々なことを考えていたらおばあちゃんに声をかけられた。

「今日は元気がないね、っておじいちゃんと話してたのよ。」

「………心配かけてしまってごめんなさい。」

いいのよ、と片手をひらひらさせたおばあちゃんはこちらにいらっしゃいとカウンターの手前に座るように促した。
私がおずおずとモップを抱えながら座るとオレンジジュースを出してくれる。子供の頃好きだったこれを私の様子がおかしいと感じるとおばあちゃんは必ず出してくれるのだ。

「何かあったの?」

「……先生に渡されたピアノの曲が私に合ってないような気がするの。中学の時の先輩に同じ曲を弾いてもらったんだけど違うのは分かっても何が違うのか理解ができなくて。」

「あら、なまえちゃん何弾くんだっけ?」

「シューベルトの、セレナード。」

あらあら、素敵な曲ねとおばあちゃんは笑う。私は笑えなかった。私は実際深く悩んでいるしそれよりも今は衣更くんに馬鹿みたいな態度をとった事を悩んでいた。冷静になって考えれば私の衣更くんへの態度は酷いものだ。衣更くんはただの感想を述べただけなのだ。私の内側の感情なんて、苦手なものなんて彼は知るはずも無いのに私は勝手に腹を立てて逃げた。

「あと、悪いことも何もしてない同級生の子に酷い態度をとってしまって…、申し訳ないって思ってる。」

「……そう。それは謝らないとね。」

謝る。その単語に私は机に突っ伏した。できたらそうしてる。本当は謝らないといけないことは理解してる。でもなんて切り出せば…?衣更くんだって怒ってるに違いない。極力人間関係を避けてきた私は謝るだなんて幼稚園児でもできる事が出来ない高校生に育ってしまった。なんて恥ずかしい。

「なまえちゃんはお友達を作るの昔から苦手だったものね。」

「…うん。」

おばあちゃんは全てを分かっている。おじいちゃんも分かっているからおばあちゃんと二人きりにしてくれているのだろう。

「でも悪いな、と思ってるなら謝らないといけないよ。たまにはなまえちゃんも素直にならないとねえ。」

私は困ったような顔をした衣更くんを思い浮かべて再び申し訳ない気持ちになった。



* * *

名字から連絡が来たのはあの日から2日ほど経った頃だった。
通知に名字と名前があるのを見て正直驚いた。俺はすっかり嫌われたとばかり思っていたのでもう会うこともないのかなぐらいには考えていたのだ。
悪い事とは知りつつも授業中にも関わらずその通知を開いた。この間はごめんなさい。と短く記載されたそれを見て思わず笑ってしまう。名字っぽい。
俺は気にしてないからと返すと慌てたように追加文が来た。本当に失礼な事をしたと思っている、という文に机に額を付けてしまう。そうだよな、文章だけじゃ怒ってるのか許してくれたのかわかんないよな。

「衣更くん、授業中ですよ。」

椚先生が俺を咎める声がして慌てて体を起こすと「すみません」と謝った。どうしようか、と俺は凝りもせず授業を放って考える。静かに振動する携帯が再び名字からの連絡を報せた。

「( 直接会えませんか? )」

なんで敬語?と不思議になりつつもそれは名案だとその提案を受け入れる。
放課後駅前でと約束をすると俺は授業に戻ることにした。


* * *

なんて文章を打てばいいのか悩んでいたら衣更くんに失礼な態度をとってから2日も経ってしまった。これは早く謝罪しないと更に謝罪しにくくなるぞ…と、その勢いのまま悪いと思ってることを送ることにした。
衣更くんからは思ったより早い返信がくるので驚いて持っていた紙パックを落としそうになってしまう。私は休み時間だけど衣更くんもそうなのだろうか。

「( これは… )」

許してもらえたのかまだ不快を感じているのか分からない文章に追加で謝罪を入れると衣更くんからの返信は途絶えてしまう。どうしよう、と私は考えた。もう直接会ってもらうしかない。ダメ元で提案をしたところそれに関してはすぐに了承の返信が来た。
……やっぱり怒っているのかもしれない。文章で済ませようとするのは無いよな、と軽い調子で笑っている衣更くんが頭の隅に出てきたので心の中で謝る。

「( 私は一体どこで何を間違えてここまで生きてしまったのだろうか。)」

紙パックの中身が無くなったのだろう。ずご、という間抜けな音が鳴るのと予鈴が鳴るのはほぼ同じだった。


放課後私は荷物を纏めると早々に学校を出る。私は地元の高校で衣更くんは電車通学だろうから私より早くついているという事はないと思うが念には念を、だ。早く着いて待っているに越したことはないだろう。
駅前に着くとやはりまだ衣更くんは居ないようでベンチに腰かけると眉間を揉んだ。私はあまり思っていることが顔に出ないタイプだと言われたことがある。私は本心から悪いと思っているが衣更くんには仏頂面した女が仕方なく謝っているように見える可能性もある。追加で不快な思いをさせるのは、せっかく時間を作ってもらったのに悪い、と少しでも顔の皮を柔らかくしとこう作戦に出ることにした。

「名字?」

「あ、ええと、衣更くん。」

声をかけられ上を見ると何してるんだ?と言わんばかりの顔で私を見ている衣更くんがいた。私は慌てて立ち上がると頭を下げる。

「あの、時間を作ってもらってありがとう。この間は本当にごめんなさい。衣更くんに失礼な態度をとった。とても反省してる。」

少しの間沈黙を感じたがすぐにそれも無くなる。衣更くんが大笑いしたのだ。

「いや、ほんと気にしてないんだって。俺も名字の事知らないくせに余計な事言った。俺もごめんな。」

「…え?なんで衣更くんが謝るの…?」

非常に困惑した。
衣更くんはせっかくだし何か軽く食べていこうぜとファストフードの店に私を引っ張った。