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追いかけたのは酷く落ち込んでるように見えたから、ただ単純にそれだけだった。最初は分かりにくくてどう接していいのか分からない女の子だったのにだんだんと表情が見え隠れし始めて知らない面をポロポロと見せてくれて関わることが楽しいと思えていた。自分に心を開いてくれてるんじゃないかって嬉しかったし、時折出てくる笑顔は俺をむず痒くさせる。名字という人間をもっと知りたい、と思ったのは間違いだったんだろうか。欲を出しすぎた?踏み込みすぎた?どうしたら許してもらえる?いくら考えたって堂々巡りだしそもそも名字があんなに感情的になった理由もピンと来ていない。

「( …俺には分からない、かあ。)」

たしかにその通りだ。凛月の方がずっと 名字を理解している。俺なんかより。ああ悔しいなあ。

「サリ〜?どうしたの?元気ないぞ!キラキラの笑顔はどうしたの?!」

ひょこりとスバルの顔がこちらをのぞき込んできたので思わず後ずさる。練習中だったっけ。やべ、と心の中で呟くと「何でもないよ。」と返した。スバルは納得いってなさそうでぶすくれたように頬を膨らませると真の所へ走っていった。

「ウッキ〜!サリ〜ったら酷いのよ!隠し事!浮気だわ!」

「え!ええと、ひ、ひどぉい!」

「ウッキ〜の下手くそ…!」

わいわいと楽しそうにしている2人を見て笑った。いや相変わらずだこと。ここは賑やかだな。名字はあまり賑やかな場所は得意じゃないと言っていたっけ。じゃあ初めてこの4人で会った時どんなに居づらかっただろう。元気の塊みたいな俺たちを見てどう思ってたんだろう。そんなことを思っていると俺たちと同じように眉を寄せてじっと売り物を見ていた姿を思い出す。きっと、あいつなりに力になってくれようとしていたんだろうな。
人と関わることが苦手なのかな、とは漠然と思っていたけどそれが分からない俺はどこまであいつの嫌な所まで踏み込んじゃったのかな、と頭をかいた。仲直りをしたい。名字の泣いた顔を見てぎゅうと胸が苦しくなった。何で泣いたのか理解したかった。

「あれ、あんず。」

「うお!?」

気配なく隣に居たあんずに思わず飛び上がる。いつの間に?と心臓をバクバクさせている俺を尻目にあんずは資料を配り始めた。今回の企画はどこのユニットとも一緒にならない完全に俺たちだけのステージだった。かなり大きめの仕事らしくあんずも気合いの入った表情をしている。

「え〜!すごい。あんずちゃんこんなの企画してくれてたの!?」

真がはしゃいだ声を出して資料を読み込み始める。スバルはひゃっほーう!さすがあんず!と何故か北斗に飛びかかった。

「そういえば衣更くん。名字さんと昨日のKnightsのライブに居た?」

「え?」

あんずからの問いかけに視線が泳ぐ。うろうろと視界が巡ってから地面に着地する。

「あ〜…。うん。」

「なにそれずるい!俺たちのも来てもらおうよ!」

スバルがぶうぶうと騒ぐと ね!と北斗に向き直る。スバルの中では名字の連絡係は北斗なんだろう。それもなんだかモヤモヤする。

「良かったら俺たちのライブにも来てもらおう。名字に楽しんでもらいたい。」

北斗が例のごとく楽しそうに携帯を取り出す。画面に指を滑らせてるのを見てやはり複雑な気持ちになる。恐らく、いや確実に、名字がこの中で気兼ねなく話せる相手はこの男だろう。あんずと4人で出かけた日のことを思い出してはじくじくと鳩尾が痛む。あー、らしくない。分かってる。これは嫉妬だ。

俺が女の子に怒られたり泣かれたりすることは珍しくないことだった。彼女たちは口お揃えて俺が理由もわからず謝るということがそもそもダメだと言う。分かってる。俺だって理由もわからず謝られるのは気分のいいことではない。でも目の前で怒っている姿を見ればとりあえず謝るのは正解ではないのだろうか。そもそも謝らなければ謝らない事を怒るではないか。名字に言われた「衣更くんには分からない」という言葉は聞き覚えがあった。中学の頃付き合っていた彼女たちにも 私の気持ちわからないでしょと怒られたり誰にでも優しいもんね、だとかそういった言葉を投げかけられることは多かった。そう言われた数週間後には「なんか思ってたのと違った。」だとか「仕事してる時の方が楽しいんでしょ。」と携帯片手にフラれるのが殆どで、付き合うという関係そのものが長く続いた記憶はない。
彼女たちとの関係のように さよならは簡単だけどもう一度名字との縁は掴み取れないだろうかと考えていた所で肩を叩かれる。

「どうした?元気ないな。」

「…あー。うん。疲れたのかもな。」

俺の肩に触れる北斗の手をさりげなく振り払うとスポーツドリンクを取りに行くふりをする。感じが悪かっただろうか。八方美人の俺が、人にこんな態度を取るのはきっと初めてだ。北斗を見ると名字の楽しそうな姿がチラつくのだ。北斗ならきっと彼女を泣かせないだろう。名字は俺と関わるようになってから自分の嫌なところがいっぱい見えると泣いたけどそんなの、俺だって一緒だよ。仲間にこんな気持ちになる自分なんて知りたくなかったよ。
後ろから心配そうな声が聞こえていた。



* * *

氷鷹くんからライブのお誘いが来た時、私はアルバイト中でおばあちゃんやおじいちゃん、常連のお客さんに囲まれ淡々と接客をしていた。常連さんが殆どのお客であるこのカフェではあるが今日はほんの少しだけ混んでいた。

「おや、なまえちゃん今日は元気がないんだねぇ?学校で何かあったのかい?」

祖父母と同じぐらいの年の常連客が私を心配そうに覗き込んだ。店内にはクラシックが流れていて優しそうな目となんだかそれらが絡み合って私を悲しい気持ちにさせた。

「…わかりやすいですか、私は。」

「そうだねえ…。いつもはよく分からない方だけど今日はなんだかわかりやすいよ。」

あんまり無理しちゃダメだよ、と肩を叩かれる。私は曖昧に頷いて厨房に引っ込んでいく。今の私は随分とわかりやすいようだ。周りはきちんと私のことを分かってくれているようだけど肝心の自分が何を思っているのか分からなくなっている。蓋をしていた感情が一気に溢れ出てどれが優先された気持ちなのか分からないのだ。

「………、」

「なまえちゃん、休憩にしようか。」

店内が落ち着いた頃、おばあちゃんの優しい声が奥から聞こえた。私は返事をするとエプロンを外しながら声の方へと向かう。

「なまえちゃん、お疲れ様。」

お昼ご飯だろうか。オシャレに盛られたお皿は賑やかだった。

「ねえ?ピアノ、辞めちゃうんだって?お母さんから聞いたわよ。」

「………うん。次の発表会終わったら先生に言うつもり。」

お母さんは私のことをおばあちゃんに相談するようで何かあった時はおばあちゃん経由で話がやって来ることが多い。今回もそうだったのだろう。……自分で聞いてくればいいじゃない。なんでいつもそうなのかな。……私ってそんなに扱いずらいのかしら。もんもんとしながらトマトを口に運ぶ。

「何か嫌なことでもあった?」

「…………、別にそういう訳じゃなくて…。私の気持ちの問題よ。」

「そう?何にせよ長くやってきたことを辞める事ってとても勇気のいる決断だわ。なまえちゃんがきっと何か思うことがあって辞めるんでしょう。おばあちゃんはそう思うけど、お母さんは心配みたいよ。なまえちゃんが真面目に続けてきたものを急に辞めるだなんて言うから戸惑っちゃったみたい。」

「……そうでしょうね。」

おばあちゃんから視線を外す。叱られているわけでもなんでもないのに私は居心地が悪かった。
ピアノを辞める決断は意外とすんなりとしてしまった事だった。朔間先輩にボロボロと愚痴を零した勢いだったかもしれないが私には後悔が無かった。むしろ清々しさすら感じているのだ。
ピアノをとったら私には何が残るのだろうか。何も残らない。そんなの分かってたけれどきっとそれでは先に進めないと思った。姉のこともクラスの楽しそうにしている同級生もキラキラした衣更くんも全部が私の憧れだった。それを嫌いだと見ないふりをして来たけどもう限界だった。間近で触れてしまえば見ないふりなんて出来ない。
私は無理に話題を変えるためにねえ、と切り出した。

「…おばあちゃん。好きな人ができるってどんな気持ち?私には理解ができなくて困っているの。きっとセレナードは恋焦がれる切ない気持ちを切々と弾くのが正解なんだと思うけど分からないままで…。最後の発表会だしきちんと終わらせたくて少しでも良いから理解したい。教えてくれない?」

「あらあら、なまえちゃんからそんな事聞かれる日が来るなんて思わなかったわ。曲に悩んでる割には聞いてこなかったものね、そういう事。」

思わず言葉を詰まらす。恋愛ごとも私が見ないふりをしてきたものだった。分からないと文句を言う割には人にリサーチしたりしてこなかった。知りたくはなかったのだ。恋をするということは私にとってほんの少しだけ恥ずかしいことだった。

「そうねえ…。おばあちゃんも若い頃は恋愛をそんなにしてこなかったの。そんな余裕もない時代だったからね。おじいちゃんと出会えたことはとても幸せな事だったわ。おじいちゃんはおばあちゃんの知らない事を沢山教えてくれたの。そうね、例えば人を好きになる事やちょっとした嫉妬心だとか…ふふ、大事にされる心地良さも全部教えて貰ったわね。恋って言葉にできない事だから難しいけど些細なことで感情的になったり自分のことをわかって欲しいって思ったりおじいちゃんの傍にいる他の女性と自分を比べては嫌な気持ちになったり。…難しいわね。自分の事をうまくコントロールできなかったわ。若かったのね、おばあちゃんも。」

ふふ、と笑うおばあちゃんは少女のようだった。悪戯っぽい笑顔は私でも可愛い、と思ってしまう。今もきっとおばあちゃんはおじいちゃんに恋をしているのかもしれない。
自分をコントロール出来ない、というのはつい最近私にも覚えがあった。私は衣更くんの前で泣く予定もなかったしあんなに怒鳴りつける予定もなかった。衣更くんは私に沢山の感情を教えてくれたし私が見ないフリしていたものを見せてくれたのも衣更くんだった。衣更くんの隣はキラキラしてて眩しくてそれでいて苦しくて仕方がない。

「おばあちゃん……。」

「…?」

「私は、恋をしているのかもしれない。」

ばくばくと動いた心臓がうるさくて私はまた泣きそうになったのだ。