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「え?ライブですか…?」

「そう。今度Knightsのライブがあるから気分転換においでよ。あんずも手伝いで走り回ってるから運よければ会えるかもよ。この間遊んだんでしょ?」

私は渡されたチケットを眺めてどうしようかと悩んでいた。1度だけ行ったことがあるけど私は気の利いた感想を言えなかったしただぼんやりとサイリウムを振っていただけだった。つまらないと感じたわけでもないが特段楽しいと思ったわけでもなかった。他に行きたい人がいるだろうにそんな状態の私が会場に行くことは正しいのだろうか。

「深く考えなくていいでしょ。俺がチケット渡してるんだから来なよ。」

「……行きます。」

確かに本人から渡されているものを断るのは失礼な気がした。



当日、会場についた私はチケットを係の人に渡して指定されている席についた。荷物をまとめながら辺りを見回す。通された席は少しステージから離れていてそれでも見やすい位置だった。

「…あー、おい〜っす、名字。来てたんだな。」

「衣更くん。」

片手を上げて私の隣に座る彼を見て不思議に思った。指定席のはずなのに、なぜ隣に座るんだろう。

「衣更くんは関係者席みたいなのに行かなくていいの?」

「あー。凛月からチケット貰ったんだよ。おいで〜って。名字もだろ?だから席番が並んでるんだろうな。」

私の方を一切見ないで話す衣更くんに違和感を覚える。私の自惚れでなければ私達は他愛のない会話をできる距離になった。衣更くんも前より私に言葉を選ばなくなったのを感じるし前より私も前よりも衣更くんを苦手だと思わなくなった。何でそんなによそよそしいのだろうか。

「(……何かしてしまったかしら。)」

衣更くんと会話が続かないという事実が私をそわそわとさせる。ちらりと横を見ると衣更くんと目が合った。気まずそうに頬をかいた彼はゆっくりと口を開いた。

「凛月とつきあってんの?」

「え?」

「あー、ほら、この間。一緒に寝てただろ。」

私はああと声を漏らした。そうじゃない。衣更くんにそう思われるのが何となく嫌だった。

「…家庭のことで色々あって朔間先輩に話を聞いてもらってたの。先輩、私の事情知ってるからついお邪魔してしまったんだけれど思ったより遅い時間におしかけてしまって…。私、不覚にも眠くなってしまったみたいなの。だから別に付き合っているとかじゃないのよ。先輩はどちらかと言えば私にとっては兄みたいなものでピアノの事もあるし自然と頼ってしまうのよね。先輩もアイドルだし今後は控えるわ。変な誤解をさせてごめんなさいね。」

ベラベラと聞かれてもないことを話してしまった。余計に怪しいだろうか。進んで人と会話をしてこなかったせいで誤解の解き方も話し方も分からない。なんて情けないんだろうかと私は爪をいじった。

「そっか。凛月もそんなふうなこと言ってた。分かってたんだけど直接名字から聞きたかったんだよな。こっちこそ妙な事聞いてごめん。」

しばらくの沈黙を経てから衣更くんは あ、と零した。視線の先を追うとあんずさんが忙しそうにしていた。その姿をみた衣更くんはゆっくりと笑顔をつくる。ちょっと困ったような優しい顔だった。急いで顔を逸らす。
あれ?衣更くんはもしかしてあんずさんが好きなのかも。
あんずさんの方にもう一度視線を動かすと周りに可愛らしい男の子達が寄ってきていた。手伝いを申し出ているのか賑やかそうだ。いつもあんなふうにあんずさんは1人で仕事を頑張っているのだろう。他人の為にああやって書類を抱えて物販を抱えて、戦っている。それをみんなが分かっているから人望も厚い。とても頷ける事だった。

「お、始まるな。」

暗転した会場に女の子達の黄色い声が響いてそれに迎えられた先輩達がステージに立った。キラキラした世界にいる朔間先輩が私と衣更くんに気がついて手を振ってくれる。
なんだか知らない人みたいに見えて私はほんの少しだけ寂しいなと手を振り返しながら感じた。姉に対する微妙な気持ちとそっくりだ。
いつもは死んだようにダレていて炭酸を買ってこいだ、眠いだなんだ言ってる先輩が楽しそうに踊って歌っているのを眺めながら私はすー、と気持ちが冷えていくのがわかった。先輩は私が嫌いだと思っている煌びやかな世界の住人で私なんかと全然違う世界の人間だ。こんな私に構ってくれていることが不思議なぐらいの存在の人なんだ。そう改めてそう思うと先輩が知らない人に見えて寂しいと感じた。私が感じるにはおこがましい気持ちを隠す為に目を伏せた。



* * *

ライブは大盛況で終わった。会場から捌けていく女の子達を改めて見てみると彼女達は皆キラキラしていた。朔間先輩や他のメンバーの為に可愛くして、お金を払ってこの場に来ている。この人達も人の為に自分の労力を使える人達だ。ああ、すごいなあ。私なんかと全然違う。
ここまで考えてみて私は項垂れた。最近は自分のネガティブさにも嫌気がさすくらいだ。何度も何度も同じことで落ち込んで自分が嫌になる。自分の嫌なところがこんなにハッキリと見えてしまうのは人に関わる機会が増えたからだろうか。姉の事があったからだろうか。分からないけどこういう変化は自分にとっていいことなのか悪いことなのかも判断出来ないくらいには参っていた。私は衣更くんと関わってからどんどん変わっていっている。

「名字?」

「…え?」

「だいぶ人も捌けてきたし俺たちも帰ろうぜ。」

私は頷くとゆっくり立ち上がった。もぬけの殻となったステージの薄暗いのに若干残る熱気がなぜだか私の気分を更に沈ませた。
バタバタと舞台袖から走ってきてステージで忙しそうにしているあんずさんが視界に入る。

「……あんずさんは…すごいのね。」

「え?」

「他人の為にああやって尽力するのって到底できないわ。少なくとも私はダメ。自分のことでいっぱいいっぱいだもの。改めてだけど朔間先輩も本当にすごい人だってことを再確認した。」

衣更くんを追い越すと出口に向かう。なんだか いたたまれなくてこんな空間に1秒だって居られなくて早歩きになってしまう。

「名字、待てって!」

「わ、」

腕をひかれた私は衣更くんに背中からぶつかってしまった。驚いて振り返れば心配そうな目と視線があう。

「なんか様子が変だけど…大丈夫か?」

「…平気よ、何でもないの。ただ単に自分と違う人の姿を見てしまって落ち込んでるだけ。帰って寝たらいつも通りよ。」

「うーん、心配だな…。」

頑張りすぎる所があるからと衣更くんはそう続けた。頑張りすぎる?衣更くんは私の何を知ってるの?私はただ、キラキラした世界の同い年の子達に嫉妬して嫌って、友達が居なくても私にはピアノがあるからって、姉よりも上手に弾けば私を認めてもらえるからって自分の事を肯定するためだけにしか行動していない。頑張りすぎる?何を?

「凛月に曲の解釈がよく分からないって相談してるところを見て上手に演奏するにはそれ相応の努力とか気持ちがないと出来ないんだなって思ったし曲に対して向き合う姿勢は流石だなって思うよ。おまえだって音楽に真剣になれる充分すごい奴じゃん。だからあんまり頑張りすぎるなよな〜?」

「………、」

優しく笑いかけてくれる衣更くんの言葉に私は真綿で首を締められるような感覚を覚えた。ぎゅうと息ができる程度には締めらているあのよくわからない感じ。
衣更くんの言葉はまるでしくまれたみたいだった。わかってるよ、こうだよな、と私が欲しい言葉をついてくる。まるで餌みたいで私は途端に恥ずかしいと感じた。子供に向けるみたいな優しい顔は私のことなんて何とも思ってない。衣更くんを取り巻くキラキラから溢れて拗ねて燻ったなにかに慈愛の顔を向けているに過ぎないのだ。

「それに、そういうところあんずに似ててほっとけないって言うかさ。」

それを聞いてズキズキと胸の真ん中が苦しい。目元が熱くなる。
あんずさんと似てるから私に構ってくれるの?あんずさんに似てなかったら私は衣更くんに見向きもされなかった?こんなふうに話しかけて貰えることもなかった?追いかけてもこなかった?こんな私はめんどくさい。
我慢出来なくなった私は口を開いた。

「……私はあんずさんじゃない。」

「え?」

「……衣更くんになんて分からないわよ。」

ぐ、と見上げると目を丸くした衣更くんがいた。掴まれてた腕を振りほどくと向き合うようにして立つ。

「私は衣更くんにお世話してもらわないといけないような子供でもないし、衣更くんが本当にお世話したいだろう あんずさんでもない!知ったような口きかないでよ、嫌なの、もう。あなたと関わってから自分がいかに嫌な人間かっていうのがわかってしまった。それが苦しいの。苦手だと思っていた人たちを羨ましく思ってしまう、他人と自分と比べて今、人生で最高に落ち込んでるわ。こんな気持ちを知るなら衣更くんと関わらなければよかった。」

捲し立てるようにそう言えば う、と息が詰まった。どうやら私は泣いているようだ。なんて恥ずかしい。呆然としている衣更くんを置いて私は会場を出た。衣更くんは何も悪くないのに。私は酷いことを言った。自分を守るために自分が今、辛いと感じてる理由を全部衣更くんのせいにして逃げた。私は本当に嫌な人間だ。
家に帰ると姉がまだいるようで楽しそうな家族の声が聞こえる。それもまた苦しくて静かに部屋の扉を閉めた。ああ、私はなんて醜い人間なんだろうか。また衣更くんに失礼なことをした。何も悪くない太陽みたいな衣更くんを悪者にした。ぐるぐると後悔が頭を巡ったが知らない顔をしてそのまま布団にくるまる。どうしよう、と呟いてもだあれも返事をしてくれやしない。
人に感情をぶつけるのは私にとって初めての出来事だったのだ。