13



13

衣更くん達と私の中ではとても楽しかった休日を過ごしてしばらく経った。氷鷹くんからは連絡がくるが衣更くんからはさっぱりで、私も別に必要では無いように思っていたのでこちらから連絡することもなく日々を過ごしている。衣更くんはまたみんなでどこか行こうだなんて言ってくれたが私はあの空間にまた混じることが怖かった。煌びやかな空間は苦手だし、きっとまたなんとも言えない惨めな気持ちを感じてしまうのだろう。
電車で目が覚めた時衣更くんの指と自分の指が絡んでいるのを見て不思議な気持ちになったのを度々思い出す。これはどれがどうなってこうなっているんだろう。疑問は抱いたが不思議と嫌な気持ちは無かった。私の中の衣更くんはだんだんと苦手な人ではなくなっているのだと思う。衣更くんの手は暖かくてほんの少しだけかさついていた。たまに思い起こしてはあの時の不思議な感覚を思い出す。安心感のような、高揚感のような。あれはなんだろう。


ここ最近の私はピアノ教室にいることが多かった。発表会が近く毎日のように先生のもとへ通い詰めているのが現状だ。しかし、弾いても弾いてもなんだかドツボにハマっているようで私はピアノに関して人生で初めての挫折というものを感じている。どうしよう、こんなの初めてでどうしていいかなんてわからない。

「………ううん。まあ、コンクールとかでもないしこのままでも全然申し分はないのよ。先生もなまえちゃんが出来ると思って追い詰めすぎちゃったわね。感覚的な話をしすぎちゃったわ。今回はいつも通り弾きましょう。」

「………、」

悔しかった。私には出来ると先生が思って指摘してきた内容を消化できなかった私が情けない。
音楽に気持ちが乗ったところできっと何も変わらない。技術があれば私はピアノからは見放されないと思っていた。これなら誰にも比べられはない。上手であれば誰も文句を言わない。そう思っていたのに。
家族は私のこのなんとも捻くれた性格に呆れ返っているので姉と比べるようなことは言わなくなった。私は私。姉は姉。そんなことを自分に言い聞かせるようにして生きてきたけど、1番気にしているのは自分だっていうことも、もう何年も前から気がついている。

「今日はここまでにしましょ。」

失望されているんじゃないかと先生の言葉がなんだか怖かった。
荷物をまとめて挨拶をして外に出た瞬間驚きで鞄を落としそうになってしまう。

「………お姉ちゃん。」

「やっほ、なまえちゃん。久々だね。待ってたの。一緒に帰ろうよ。」

塀に寄りかかるようにして体重を預けていた姉が片手を上げた。私はほんの少しだけ唇を噛むと頷いた。

「……帰ってきてたの。」

「うん。ちょっと報告があって。」

足取りの軽い姉の後ろを鉛みたいに重い足を引きずって歩く私。なんて対照的。
姉の姿はいつだって眩しかった。今だって夜も近い夕方だっていうのに燦々と輝いてて、……ああそうこれは……羨ましいな。

「そう。」

「お母さんとお父さんにはまだ言ってないの。おばあちゃん達にもまだ。なまえちゃんに1番に聞いて欲しくて。ふふ。」

「……私に?」

私は地面を見ながら砂利を転がした。

「お姉ちゃんね、結婚するの。」

「え」

顔を上げると姉がこちらを振り返っていた。頬を染めて本当に幸せそうに笑う姉に足元が崩れそうになった。…この人は、姉は、また私を置いて先に行く。いつもそうだった。小さい頃は一緒に遊ぼうと引っ込み思案の私の腕を引いて公園に連れていってくれても自分は友達と遊んでしまう。私はどこにも属せずベンチに座って姉を見ていた。姉が友達に私を紹介すれば「似てないね、」だとかなんだとか言われるのが嫌だった。中学生に上がった姉は初めての彼氏を作ってなまえちゃんも大人になれば素敵な恋愛ができるよ、だなんて言ってたけれど私にはいまだ理解ができない。姉がどんどん経験していくことを私は姉と同じ年になっても理解出来なかったり達成できないでいる。それがずっと苦しかった。

「………おめでとう。」

「ふふふ、ありがとう。なまえちゃんのピアノをお姉ちゃんの結婚式で弾いてもらいたいんだけど引き受けてくれるでしょう?」

私は辛うじて頷いた。置いてきぼりの気持ちのまま私は姉に追いつけないでいる。
キラキラと髪を靡かせて歩く姉は……ずっと私の憧れだった。苦手でもあるし妬ましいけど、やっぱり…、私は、

「………、本当におめでとう、お姉ちゃん。のウエディングドレス姿、とても楽しみにしてる。」

「ありがとう。……ねえ、お父さん泣いちゃうと思う?」

「どうだろう。お父さん泣いちゃうかもしれないわね。」

駅に寄りたいと言うので経由すると姉の彼氏がいた。これから結婚の報告に行くとのこと。姉はいつもそう。急に事を起こす。父と母に予定を開けておくよう言ったようだが父と母は何故開けておかないといけないのか分かっていないのだろう。照れくさそうに私に挨拶する男性は姉とお似合いだった。

「あれ、なまえじゃん。」

急に声をかけられたので後ろを振り返れば朔間先輩が立っていた。学校からの帰りだろうか。珍しく衣更くんは居ない。私の顔と姉達に視線を移してから すうと目を細める。携帯を取り出すとそれを指さし にこりと笑うと手を振って帰っていく。あとで連絡するということだろうか。姉と姉の彼氏はお互いの話に夢中で朔間先輩に気がついていない。
私はずるずると姉に引きずられるようにして帰路についた。


▽ ▽ ▽

あ、なまえだ。なんだかいつもと様子の違う後ろ姿を見つけて好奇心で声をかけると呆然とした顔でこちらを振り返るなまえに驚いた。なあに、あんた。そんな顔できるの。状況を理解できず ふと、視線を先にするときゃっきゃとはしゃぐ男女の姿が見えた。ああ、例のなまえの姉だろうか。なまえのコンプレックスの根源。
基本的に俺となまえは似ていると思う。コンプレックスだとかトラウマだとかそういうものは先に生まれた人間に植え付けられた。だから何となく放っておけない。だからと言ってなまえと兄弟ごっこがしたいのかというとそういう訳ではない。傷の舐め合い的なそんな感じ。
連絡してあげると合図を送ったけどこれはなまえにかけてあげた保険だった。逃げる場所が必要ならおいで、という意味。仕方ないから泊めてあげるし話も聞いてあげよう。うんうん、俺って優しい。案の定しばらくしてからなまえから返信があってそれには一言 ピアノが上手く弾けないんです。 と書いてあった。その口実に俺は乗ることにしよう。

「( 聴いてあげるからおいで )」

すぐにきた返信はなまえの分かりにくいSOS。