08
衣更くんが注文で席を離れている間、私はずっと落ち着かなかった。友達と呼べる人も身近にはいなかったのもあってこういった店に入ったことがなかったからだ。1人にされるとなんだか肩身の狭い気持ちになって仕方が無い。
「……どうした?」
いたたまれなさが勝ってしまい気力が削られた私が壁に寄りかかると後ろから声をかけられる。
「あんまりこういう所に慣れていなくて…。」
「ああ、確かにイメージないな。」
はは、と笑いながら衣更くんはトレーを机に置くとそのままストローをくわえる。
「今日暑いよな。」
ハンバーガーの包みを開けながら衣更くんが世間話を始めたのを私は不審な気持ちで眺めた。私は目の前にあるポテトと飲み物の入ったトレーに視線を落とす。区切りのいいところで私は口を開いた。
「……私に何か用があった…?」
「え?」
「あんずさん、実はプレゼント喜んでくれなかったとか…?」
なぜ私を誘ったのか。そんなの用があるからに決まっている。そう結論付けた私は紙コップを両手で持ちながら聞いてみた。答えがなんとなく怖くて水滴で遊ぶ。衣更くんはぽかんとした後にええと、と視線を彷徨わせた。
「あー、こういうとこ誘ったの迷惑だった?」
「迷惑?いやそうじゃなくて…。衣更くんが私に時間を使ってくれている理由が分からなくて用が有るのかなって思ったの。違ったのかな。」
「はは、なんだそれ。」
安心したように笑うと空いてる手を違う違うと振った。
「せっかくだし話したかったんだよ。名字って同じ中学だったのに全然話した事、無かっただろ?多少縁が出来たのをきっかけにって思っただけだよ。」
あんずはプレゼント、ちゃんと喜んでたよ。とハンバーガーにかぶりついたのを見て そう、と私はやっとストローに口をつけた。
「名字ってさバイト何してんの?接客とか?」
「…祖父母の経営してるカフェで店員として働いてるよ。…ええと、…良かったら、今度来てね。」
最後のは社交辞令、というやつだ。
やっぱり衣更くんは姉と似ている。私が話題に困らないように会話が途切れないように繋ぐスキルもあるしなんたって目を引く。周りの女子高生達が衣更くんに視線をちらちらと送っているのが分かる。私の視線に気がついたのだろう。衣更くんが二口目、と口を開けたまま私に視線を返す。
「なに?」
「衣更くんってやっぱりアイドルなのね。周りの子があなたを見てるのがすごくわかる。私はダメだわ、そういうキラキラしている事に疎くて…。
1度だけ朔間先輩のライブに行かせてもらったんだけどやっぱり私には難しかったわ。」
「へぇ、凛月に誘われたの?」
頷くとポテトをもう一本口に入れた。おいしい。
「アイドルって凄いのね。よく分からなかったけど普段死んでるんじゃないかってぐらいにぐったりしてる先輩が生きてる人間みたいだった。」
はは、と衣更くんは笑った。
「イキイキしてる凛月ってそんなに見ないよな。」
「衣更くんやこの間お買い物した皆がアイドルしてるのは何となく想像つくけど朔間先輩に関しては首を傾げてたから実際見てみてやっと先輩はアイドルなんだ、って理解出来た。」
そっか、と衣更くんは頷くと残りのハンバーガーを口の中に放り投げた。随分大きなお口だこと。
「名字はあんまりアイドルとか興味がないんだ?」
「うーん。興味がないというか、ええと、うーん、そうね。興味がないのかもしれない。なんて言ったらいいのかこれも分からないけど…。」
「………?」
私の煮え切らない回答に首を傾ける衣更くん。苦手なんだ、という事はなんとなく言えなかった。きっと彼らは一生懸命やっている活動なのだ。
私にもう少し柔軟な思考回路が有ればいいのに。何度も考えた事は有るがやはり長くこびり付いた頑固なそれは私の脳内からは簡単に出ていってくれない。
「名字?」
「………え?」
衣更くんに呼びかけられているということにやっと気がついた私は慌てて謝る。考え事をしててごめんなさいと言えばいいよいいよと片手を上げられる。それをなんとく申し訳ないと思えるのは衣更くんと大して仲がいいわけでは無いからだろうか。私なりの気遣いの感情なのかもしれない。色々考えてみるがだんだん私のことがよく分からなくなっていくだけだった。
「…なんだっけ。」
「今度俺たちのライブにも来てくれよって話。」
「ああ、うん。勿論。この間氷鷹くんにも誘われてたんだ。」
北斗が?と衣更くんは視線を逸らすと何やらぶつぶつと口の中で話している。私はそれを不思議に思いながら見つめた。
名字の食べ方は綺麗だった。ピアノを弾いているからかポテトを摘む指はとても細い。姿勢も良いのでなんだか場違いな雰囲気が出ている。
時たま居心地が悪そうに周囲を見てはストローを噛む。あまりこういう所には来たことがないと言っていたが多分本当に来たことがないのだろう。
俺は今の状況に少しだけむず痒い気持ちになっていた。流れで連れてきたとはいえ男女2人でいればデートに見えるだろう。目の前の同窓生はそういう事に頓着は無さそうだが俺はそういうのを若干意識する。健全な男子高校生ならおかしくはないだろう。
「衣更くんはこういうところよく来るの?」
何故か声を潜める名字。俺はうーん、と首を傾ける。頻繁ではない気がする。
「中学の頃はよく長居してたけど、最近は部活だったりレッスンがあるからそんなでもないかな。安いし時間があればメンバーで来たりはするよ。」
そう、と名字は俯くと考える仕草をする。サラリと前髪が流れて瞳がす、と細くなる。
こうして話しているうちに改めて思ったが、なんというか名字は大人の雰囲気が強い。俺なんかよりもずっとずっと大人びていて置いていかれているような気持ちになる。
「衣更くん?」
「え?」
呼ばれていたようで目の前で手を振られてやっとそれに気がついた。これでは立場逆転である。
「今日はとても新鮮な体験をさせてもらえて良かった。そろそろ私は帰るね。」
「あ、おう。ちょっと待って俺も帰るわ。方向一緒だろ?途中まで送るよ。」
ありがとうと言う名字の表情は分からなかった。