私はその優しさが怖い

探す、言ったものの先輩別れてから随分経っている。どうしたものかなと廊下に立って首を傾げた。勿論既に誰もいない。羽風先輩は私が練習にお邪魔する日は決まってサボる。その度に探しに行って連れ戻してを繰り返している私だ。今回だって見つけられる!という自信はあったのに誰も居ない廊下を前にしてやや萎縮し始めていた。
意を決して歩を進める。先輩は本当に私を振り回す天才だ。練習のサボりをぼやく私に朔間先輩が放った衝撃的な言葉がある。

「あんずの嬢ちゃんの時は真面目なのにのう。」

後頭部を鈍器で殴られたような衝撃だったのを覚えている。すっかり拗ねた私はその日先輩を探しに行かなかった。朔間先輩は冗談じゃよ、と慌てて弁解してくれたけど毎回サボられトドメにこんな冗談言われたら探しに行く気になれなかったのだ。次の練習の時は羽風先輩は最初からちゃんと居てくれてすっかり機嫌を良くした私はまたサボり癖を発動させた先輩を再び探しに行くことになるのだった。あの時の自分は本当にちょろすぎたと思う。
あんずちゃんと私を仕事面では比べない羽風先輩だけど確実にあんずちゃんに対する方が優しいのは感じていた。だからあんずちゃんの事が好きなんだろうな、と2人きりにしてあげるために気を使った事がある。すると後ろから追いかけてきて随分怒られたっけなあ。そんなに2人きりにされるの恥ずかしかったのかな。と不思議に思ったりもしたけど怒られるような事では無かったはずだ。

こんな事は序の口で他にも羽風先輩のエピソードはあるけどどれも思い出すと疲れたりもやもやしたりつい笑ってしまうような事ばかり。ちょっと気まずくなれば先輩から仲直りの空気を作ってくれたし美味しいお菓子をくれたりした。
思い出してみると私は随分と先輩の優しさに甘えていた事が分かる。今度は私からちゃんと謝れたらいいなあ。

廊下の突き当たりの教室をちらりと覗くと物置の様だった。ソファーやら地球儀やらなんやらが置いてあるのを確認してピタリと足を止める。ソファーの上に誰か居る。こちらに頭を向けて寝転がっているけどあれは絶対に羽風先輩だった。そろそろと扉を開けると自分でも驚くぐらい小さい声が出た。

「せ、先輩。」

「え?」

驚いたように体制をこちらに向ける先輩と目が合うとまだ怖気付いてる自分を心の中で叱咤する。

「さっきは、顔を叩いてすみませんでした。」

後ろに手を組むと扉にピタリと背をつけて謝る。先輩はぽかんとした顔をするとへらりと笑った。

「アイドルの顔を叩くプロデューサーなんて前代未聞だよね。」

「そう言われると何とも言えないです。」

雰囲気からして怒っているわけでは無さそうだとほっとする。羽風先輩はソファーに座り直すとおいでと手招きする。恐る恐る近づくと先輩が私の手をとる。

「あのね、俺も謝りたかった。」

きゅ、と握られている手に力が込められると無意識に私の胸が高鳴るのが分かった。

「でもその前に…… キス、嫌だった?」

「……その聞き方は狡いと思います。」

これも私を振り回す先輩のエピソードとして追加されるのだろうな、と頭の隅で考える。先輩は少しだけ意地悪そうな顔をしている。これは謝りたい事がある人の顔じゃない。それをそのまま伝えると

「謝るのはこの答えを聞いてから判断しよっかなって。」

と言われたもんだからもう言い返す材料が無くなってしまった。

「……別に。それに嫌だったらここに謝りに来てないです。先輩と仲直りしに来てないです。」

本当に嫌では無かったと思う。先輩は私の表情を伺うようにじ、と私の事を眺めた後に少しだけ深刻そうな顔をして口を開いた。

「あのさ、朔間さんところの弟くんとは…」

どういう関係なの?と自信なさげに聞いてくる先輩にやっぱり勘違いしてたか、と苦笑い浮かべると同級生以外の何物でもないことを伝える。途端に先輩の緊張の糸は緩んだみたいで長く息を吐いたあと拗ねたような顔を向けてきた。

「あれは同級生レベルの近さではないから気をつけた方がいいよ、絶対ね!」

「は、はあ。」

私の様子に更にむくれた先輩はぐいっと腕を引っ張った。ぽすん、と先輩の膝の上に乗るような形で抱きしめられると流石に恥ずかしいと暴れる私を囲うように腕を回すので私は息を詰まらせる。

「せ、先輩」

「あのさ、名前ちゃん。さっきの話の続きしてもいい…?」

先輩の声が震えているような気がした。私は大人しく頷くしかなかった。