これの日々樹

「………、あの。」

「はい、なんでしょう!」

廊下を歩いていたところ前から日々樹先輩が歩いてきたので頭を下げて通り過ぎようとした時だった。先輩が私の目の前にずれ込んで通せんぼをしたのだ。私が違う方向に進んでもなんのつもりか先輩が目の前に現れる。なんだもう、とイライラし始めると先輩がにっこり笑った。

「ふふふ、名前さん、ひどい顔ですよ。」

「あ〜…!!誰のせいだと…!」

だんだん、と床を踏むと愉快そうに大声をあげて笑った。ああその独特な笑い声がムカつく!この間もなんていうか、貴重な仮眠タイムを邪魔して今度は通行の邪魔!

「せんっぱい!いい加減にしてもらえませんか!」

廊下を行き来していた数名の視線を感じると私は声のボリュームを落とした。

「私も、忙しいんです。」

「それはそれは。すみません。」

にっこり。またあの顔だ。本性なんて一切見せてくれない仮面みたいなその顔。嫌い嫌い嫌い!なんで私なんかに構うの!ムカムカと胃の中が煮えくり返るんじゃないかってぐらいに不快感を感じる。

「おや、名前さん。顔色が良くないですねぇ。保健室でも行かれますか?」

「行くなら1人で行きます。では。」

「おっと。」

ぐい、と先輩を押しのけると私は廊下を進む。後ろから軽快な足音が聞こえてきて耳を塞ぎたくなった。振り返らなくても分かる。日々樹先輩だ。真白くんが逃げ惑うのだって分かる。鬱陶しいだなんてレベルじゃないのだ。

「なんなんですか、」

思わず飛び出た冷たい声に私は立ち止まった。

「……、」

先輩は何も言わない。

「なんなんですか、いつもいつも。私に付きまとわないでください。意味がわかりません。」

「え?分からない?本当に言ってます?」

「分からないからイライラするんです。」

先輩は私の前に躍り出るといつかの日のように赤い薔薇を差し出した。

「……いりません。」

「ああ、こんなにあなたの事を愛しているのに受け取ってはもらえないんですね…!」

芝居がかった言葉に私はぎゅうと拳を握りしめた。

「そうやって…愛してるだとか好きだとか言うくせに先輩はいつもヘラヘラして…!私のこと何とも思ってないくせに、構わないでくださいよ。」

「……何とも思っていない?」

ぞ、と背中に悪寒が走った。
目の前の先輩を見るとにこりとしている先輩が1歩踏み出した。反射的に私も下がった。

「……どうして逃げるんですか、名前さんっ!」

がっしりと両肩を掴まれると顔を覗き込まれる。ひ、と声が出そうになるのを必死で抑えた。先輩の目が弧を描く。

「そう!そういう反応がいいんです。とってもかわいいですよ。」

ぽん、ともう1輪薔薇を取り出すと私に握らせた。薔薇ばかり押し付けられても、と眉を顰める。

「私がこんなにちょっかいをかけているのはあなただけなんですけどねぇ。」

意味分かりますか?と首を傾けられても分からないので首を横に振った。途端に呆れたようにため息をつかれる。

「頭が弱いとは思ってましたが…。」

「いや、失礼すぎません?」

「いいでしょう!おもしろい。それでは追いかけっこといきましょう。私があなたに追いつけないか、あなたが私に捕まるか!これならわかりやすいでしょう?」

「……え?いや、やりませんよ。」

「ふふ、本当に追いかけっこをすると思ってますか?言葉の綾も分からないなんて!…名前さん、それはもうずっと前から始まっていたんですよ。これからも存分に気の済むまで逃げてくださいね。負けませんから!」

そう言うと先輩はブレザーを翻して去っていく。残された私はその背中をぽかんと見送る。
風に乗ってきた先輩の楽しそうな歌声が聞こえていた。