月曜日、なんて憂鬱なんだろうと春先の淀んだ空を仰いで溜息を漏らす。特殊な学科のある学校の国語教諭となってから二回目の冬が訪れようとしていた。
この一年は怒涛の日々だった。他の先生に迷惑をかけながらも生徒との信頼関係もそこそこ築けたんじゃないかな、なんて自分で自分の評価をしてみたりして うんうん と首を動かした時だった。

「ちょっと、ボサッと立ってないでよね。邪魔なんだけどぉ。」

後ろから聞こえた声に内心眉を潜める。瀬名泉。唯一仲良くなることができなかった生徒である。意を決して後ろを振り返って申し訳なさそうな当たり障りのない笑顔を作る。

「ああ、ごめんなさい。」

彼だってまだ未成年の子供なのだ。ちょっと可愛くないところがあったって大人の大きな心で受けとてなくてはいけないと思うのだ。だって私は大人なのだから!
瀬名くんはわざとらしい溜息をつくと私の横をすり抜けていく。それを笑顔で見送ってから肩を落として深く深く息を吐いた。


「はあ、憂鬱だなあ。」

教科書を胸に抱きながら3-Aに向かう。足が重い。何たってあそこには瀬名くんがいる。うまい具合にサボっててくれないかな〜なんて教師としてあるまじき事を考えると慌てて首を振った。きっとナメられてるだけなんだからこっちが毅然とした態度とればきっと大丈夫!そう自分を奮い立たせれば教室の扉を開く。
席替えでもしたのだろうか前に座る面々が違っていた。教卓の真ん前の男の子見て思わず顔をしかめそうになる。羽風くんである。彼もまた授業を妨害する生徒のうちの一人だ。私が入ってきたことに気がつくとひらひらと脳天気手を振ってくる。

「やっほー、名前ちゃん。」

気付かれないように溜息をついたとき羽風くん悲鳴が上がった。なんだなんだと視線を上げると真後ろの席の瀬名くんの脚が羽風くんの椅子を蹴り上げたようだった。

「ちょうウザい。」

羽風くんはその様子を見ると面白そうに肩竦めて

「挨拶しただけじゃん。」

と言葉を投げかける。瀬名くんは舌打ちをするとそっぽを向いた。
私は今度こそ溜息を隠す事なく吐き出せば「授業始めます。」と教壇に上がった。


本日最後の授業を終えてそれぞれの部活に消えていく生徒たちを見送りながら黒板を消していく。ごしごしと黒板消しとボードがこすれる音に眉しかめた。この音はあまり得意ではない。その時、誰も居ないはずの教室にがたんと椅子の音が響いた。息を呑む。困った、こういう怖いことは得意ではない私は気のせいと言い聞かせることにした。

「ちょっと、無視?」

「ひっ」

慌てて振り返ると瀬名くんが居た。ここは二年生の教室だ。ああ、そういえば此処は彼がご執心な遊木くんの教室だ。もしかしたら彼を迎えに来たのかな、と口を開いた。

「遊木くんならもう部活に行ったよ。入れ違いかな、瀬名くんも部活頑張って来てね。」

きょとん、と表情を崩した瀬名くんはそれはそれは深く肩を落とした。何かやってしまったかと身構える。

「あっそ。」

案外呆気なく会話が終了したので拍子抜けしたものの黒板に向き直る。高いところをに手を伸ばすと だん、と黒板が鳴った。気がつくと顔の横に誰かの手が私の行方を遮るようにしてあった。黒板に影が差していてシルエットから瀬名くんだとわかる。

「……、瀬名くん?」

慌てて後ろを振り返る。思ったより近い位置に息をのんだ。

「ほんと、マヌケだよねぇ。」

するりと髪を耳にかけられる。何人ものファンを魅了してきたであろう笑顔を作る瀬名くんに言葉を詰まらせた。私の様子をじろじろと眺めた後、意地の悪い笑顔に変わる。

「これぐらい近かったら俺のこと一人の男として見れるんじゃない?ねぇ、名前?」

その目は純粋な高校生のそれではなかった。明らかに私を女として見ている。ゴクリと喉を鳴らすと

「せ、瀬名くん。あまり大人を揶揄わないで。」

すぐさま簡単に境界線を引いた。おそらくその線を越えたい瀬名くんと越えさせたくない私。だいたい何時から瀬名くんは私をそういう目で見ていたんだろう。思い当たる事がない。

「ほら、瀬名くん。部活に行かないと。」

顔を見るのが怖くて視線落としたまま瀬名くんの作った狭いスペースから抜け出す。

「俺は、」

「瀬名くん。」

何か言いたそうな彼の言葉を遮った。勇気を持って顔をあげる。声は震えていなかっただろうか。威厳の有りそうな顔を作れて居るだろうか。その他にこの状況で出してはいけないボロを出してはいないだろうか。手汗がひどい。

「部活にいかないと。ね?」

一瞬怒ったような顔をした瀬名くんは私に手を伸ばそうとしてから諦めたように手を下ろす。

「…………俺さぁ、逃げられると燃えるんだよねぇ。」

え、と声を漏らす。瀬名くんはぺろりと唇を舐めると "覚悟しておいてよね。" 等と私に言うと颯爽と教室を出て行った。
瀬名くんが出て行った後暫く動けずに居ると不意にチャイムが鳴った。ハッと息を吹き返したかのように我に返った私はその場にへたり込む。真っ赤に染まっているであろうこんな顔はきっと誰にも見せられない。