海の底プチ番外編


帰る部屋が無くなった私はあれからずっと凛月くんの家に住まわせてもらっている。居候だ。凛月くんは一緒に暮らそうなんて言ってくれたけどやっぱりまだ私達には早い気がする。

「………うーん、駅に近いところがいいなあ。」

ということで私は新しい住まいを探すことにしたのだった。恋人になるには段階があると思う。凛月くんと一緒に居たいとは言ったけど恋人になるのはいきなりすぎる…!焦らしてるわけでもなんでも無いけどやっぱり今までの関係から簡単に恋人同士というのは…!待ってほしい…!

「あれ?名前?」

「あ、真緒くん。」

不動産屋の前で通りすがりの真緒くんに出会う。私は偶然だなあ、と手を軽く上げると寄ってきた真緒くんを見上げた。

「凛月から聞いたけどお前ら付き合い始めたんだって?凛月に名前を取らないでね、だなんてテンプレートみたいな惚気聞かされて参ったよ。」

「え、まだ付き合ってない。」

私の言葉に暫くして真緒くんはぎょっと顔を引き攣らせた。

「え、は?」

「一緒に居たいけど…、やっぱり幼馴染から恋人ってハードル高くない…?正式にお付き合いしましょーって話はまだしてないし。…それに、意識したら同じ部屋に居るのも何だか照れくさくて…。だから今新居探してるんだよねえ。」

「いやいやいやいや、名前さん…!早まるな!やめとけって!凛月が知ったら大変なことになるぞ…!?」

ええ?大袈裟だよ、と私は笑う。一応気持ちは通じあったし私だって凛月くんの気持ちに答えて行くつもりなのだ。気持ちは同じ方向向いてるし今更怒られたり以前のような失態は起こさないと思う。

「………、知らねーぞ…。」

「だから真緒くんは大袈裟だよ。あ、そうだ、あのね…、ほら、Tricksterのさ、曲の話あったじゃん…?」

「いきなりだな。」

少し言いづらい私は拳を握ると口を開いた。

「あの、実は一応書いてみまして。あんずちゃんにデータ送るから良かったら聴いてもらえると嬉しい…。」

あれだけ書けない無理だと言い続けておいて曲を渡すだなんて私からしたら本当に都合のいい話だが皆への感謝の気持ちを込めてどうしても渡したかったのだ。複雑そうな顔をしたままの真緒くんはありがとうな、と呟いた。


「ただいまぁ。」

凛月くんが帰ってきた声がして私は急いで玄関に向かった。部屋が見つかったのだ。契約とかは一切してないがオートロックのついた駅からそんなに離れてない丁度いい場所!見て見て!とばかりに資料を持って駆け寄ると凛月くんは私を見てにっこりと唇の両端を釣り上げた。本能が警報を鳴らした。慌てて立ち止まる。

「お、おかえりなさい、凛月くん。」

「…なんでこっち来ないの?」

「え、なんでだろう。」

凛月くんの長い指が私の持ってる紙を指さす。それなあに、とやけに優しい声できいて来るが、セリフと顔と雰囲気がなに一つ一致していない。真緒くんの言葉と「ほらな?」といいたげな真緒くんの顔が頭を過ぎる。

「あはは、なんだろう、メモ用紙かな〜…?」

「俺には不動産の資料に見えるんだけどなあ。」

ずんずん、と凛月くんは私の目の前までやってくると紙を取り上げる。じろじろとそれを眺めたあと真っ二つに破いてしまった。

「あー!??」

「ま〜くんから聞いたんだけど俺たちって付き合ってないの?」

「……つ、付き合ってるの…?正式なお付き合いはまだかなって私は思ってたんだけど…。」

真緒くんのおしゃべり…!と心の中で悪態をついていると凛月くんは、はああ、と長めの息をついた。そしてそのまま、ぎゅう、と私を抱きしめる。胸元に顔を押し付けられる形となり若干苦しかったが下手に暴れてもこの後いい方向に向かうことは1ミリも無いことは経験上わかっていた。

「名前のおバカさん。そうやって俺をガッカリさせて分かってないような顔で俺を見るのムカつくけど、かわいいって思うし、仕事じゃしっかりしてても私生活はどこか抜けてるところとか見せてくれるのも好き。ちょこまか俺の周りを動いてるの見てると気持ちが暖かくなるし、そんな名前とず〜っと一緒に居たいって思ってる。だから俺をちゃんと名前の彼氏にしてよ。」

ドキドキと凛月くんの心臓の音がして思わず顔を上げようとしたが押さえつけられていて凛月くんがどんな顔しているのかなんて全く分からない。

「返事は?」

「………私を凛月くんの彼女にしてください。」

しばらく沈黙があった後に凛月くんの笑い声が聞こえた。

「あ〜あ、俺、凄く幸せだなあ。」

その言葉を聞いて思わず凛月くんに腕を回すと頭上から再び笑い声が聞こえる。じんわりと暖かくなる私の心が幸せの共有を知らせてくれた。