「………、」

「ちょっと挨拶もないなんて常識がないんじゃないのぉ?」

瀬名先輩の姿を見つけてしまった私は柱に隠れた、つもりだった。後ろから声をかけられると恐る恐る振り返り頭を下げる。瀬名先輩は怖い。いつも私は瀬名先輩にチクチクと針で刺されるかのように怒られる。指示が遅い、段取りが悪い、なんでちゃんと準備しておかないの?、肌がボロボロ!、いつもジャージで居るとかありえない!ちなみに同じ科のあんずちゃんは怒られない。優秀だから肌がボロボロだろうとジャージを着てようと瀬名先輩には怒られない。どうやら私は嫌われているようで、ことある事に先輩に目をつけられて怒られてしまう。先輩に怒られるとなんだか怖くて萎縮していき仕事が出来なくなる。そんなの言い訳だけど他の先輩に怒られても何故か怖くないし頑張らないと、と思える。こんなに怖いのは瀬名先輩だけなのだ。

「ちゃんと口で挨拶しなよ。」

「……、え、あ、こ、こん…にちは、」

目を見ることも出来ず冷や汗が止まらない。掠れた声でやっと挨拶をすると瀬名先輩は腕を組んでため息をついた。あ、来るぞ、と思った時にはもう遅くてまた針でチクチクと心臓を刺されていた。挨拶も出来ないなんてどういうこと?小学生でもできる事なんだけどうんぬんかんぬん。

「あ、いたいた。おーい、名前!」

真緒くんの声がした。私の後ろから背中をぽん、と叩いて瀬名先輩に挨拶をする真緒くん。

「すみません、次のライブの事で話ときたいことあるんで!」

颯爽と私を連れ去ってくれる真緒くんはヒーローみたいで安心した。瀬名先輩の視線が背中に突き刺さっていたけど前を向いて気が付かないふりをした。
今回はあんずちゃんと2人で共同企画を準備していて少しだけ大きなイベントになる予定だ。憧れのあんずちゃんといつもより大きなイベントに携われる!嬉しくて嬉しくて私はいつもより張り切ってたしあんずちゃんの仕事ぶりをみて勉強しよう!と意気込んでいた。みんなであーだこーだと話し合いをしてすぐ解散をする。またリハーサルをしながら考えよう、ということになったのだ。企画書をまとめて胸に抱える。あんずちゃんが忙しそうだったので佐賀美先生があんずちゃんに頼んでいたダンボール箱を準備室に代わりに運ぶことにした。ただ、それは意外と重くて心の中で先生に文句を垂れる。こんな重いものをあんずちゃんに持たせようとしたなんて…!仕方なく抱え直すと準備室に向かう。

「お、名前じゃないか!……ん?なんだか重そうなものを持っているな。大丈夫か?」

「あ、守沢先輩。はい、大丈夫です。」

ぺこりと頭を下げてその場を去ろうとしたら手の中のダンボール箱が無くなる。驚いて先輩の方を見るとダンボール箱を持って太陽みたいに笑う先輩が居た。

「俺が手伝ってやろう!」

一瞬驚いたものの安心した私は自然と笑顔になる。準備室の途中まで他愛のない話で盛り上がった。流星隊のレッスン中の話、あんずちゃんにハリセンで叩かれた話、授業中にあったおもしろい話。先輩との会話はとても楽しかった。あっという間に準備室前に着き、お礼を言うと私の頭を雑に撫でて先輩は去っていった。苦笑いでそれに応える。
今度お礼をしないとなあと先輩の背中を見送るとダンボール箱を準備室に押し入れた。そのまま奥まで押すと一安心と息を吐く。

「 名前 」

その声に体が固まった。まさか、と後ろを振り返ればドアに寄りかかる瀬名先輩。夕日を背にした先輩は綺麗だった。

「…アンタ、俺以外にはよく笑うし安易に触らせるよねぇ。」

「…え?」

「俺はアンタのこと思って色々口出ししてんのにどうしてわかんないわけ?ひどい時には馬鹿みたいに震えてるし。俺が、誰よりも、何よりも、名前の事心配してるって分からない?もう少し俺にだって感謝してくれてもいいんじゃないの?」

「………、」

ひゅ、と喉がなった。先輩が怖くて仕方なかった。見下ろすように立つ先輩と見上げる私。妙に威圧があって私は平静を失いそうになる。

「………」

先輩が私の顎をすくって更に上を向かせた。先輩の綺麗な顔が眼前に広がり、アイスブルーの涼やかな瞳に私は殺されるのかと錯覚する。

「本当に頭が悪いし、鈍い子だねぇ、名前は。そういう所が可愛くて、ついつい面倒見すぎちゃうんだけどさぁ。」

そのままにっこり笑みを浮かべると優しく私を抱きしめた。

「……これからも俺が傍で面倒みてあげるから一生、恩にきてね。」

ひどく優しい瀬名先輩の声はまるで死刑宣告だった。