「あの横暴保健医め、俺をこき使いやがって」 んーっ、と、組んだ両手を上に挙げて、背骨の節をひとつひとつ伸ばしていく。パキパキと鈍い音。相当疲れてんだな、俺。苦笑いを浮かべて、廊下から外の景色を眺めると、すでに日は沈みかけて、空にはオレンジの綺麗なグラデーションが掛かっていた。 あ、帰りにジャンプ買わねーとだ。そう思いながら、鞄を置きっぱなしの教室の扉を開けると、窓際の席に一つの人影があった。 「なまえ、」 「え?あっ…、ぎ、銀ちゃん…っ!!」 「おまえ、こんな時間まで何してんだ?」 「えっと…、家に帰るまでに宿題終わらせちゃおっかなって…」 声をかけると振り向いたなまえの表情はとても驚いているように見えた。「銀ちゃんはどうしたの?」と逆に質問されるが、それに答える前に俺はなまえの隣の奴の席に腰掛けた。 「俺?俺ァ、高杉のヤローに仕事を手伝わされてた」 ほんとに、職権乱用もいいところだ。書類整理だかなんだか知らないが、俺が授業をサボる度、保健室に入り浸っていることをだしにして、強制的に手伝わされたのだった。やれやれと、大きく溜息をつくと、なまえはクスクスと笑いながら、「お疲れ様」と言ってノートと向かい合っていた顔を上げた。 「なぁ…、」 「ん…?」 「さっき、どうしてあんなに驚いたんだ?」 「えっ…?!あ…その…。べ、別に驚いてなんかないもん…!」 「そんなに慌てちゃって、なんか、やましいことでもあるんじゃねーの?」 若干テンパりつつ、首を振って否定を続けたなまえを見ながら俺は机に頬杖をついた。あー、こいつ、本当に可愛いなって、素直にそう思った。感情がすぐ顔に出て、でもそれは計算なんかじゃない。たぶん、そこがいいんだろうな。 「やましいことなんてありませんっ…!」 なまえは「もうっ!」って言いながら小さく溜息を零す。大人っぽさの中に、幾分かの幼さを残した表情。その仕種に思わず見蕩れてしまった。俺の視線に気付いたらしいなまえはキョトンと不思議そうに俺の名前を呼んだ。 「どうしたの…?」 「おまえ…、可愛いな」 「はっ…?!もう、からかわないでよ、ばか!」 「いや?別にからかってなんかいねーよ?ずっと思ってた」 「ずっと……?」 なまえは言葉の意味を確かめるように、俯いてもう一度「ずっと」と呟く。俯いた瞬間に揺れた髪の毛が、夕日に透けてキラキラと輝いていた。 「それに可愛いだけじゃねェ。俺ァ…、おまえのこと…」 「えっ…?あ……!」 とても柔らかそうな髪の毛に、長い睫毛、不安そうに少し歪めた唇。なまえに触れたいという衝動がぐっと沸き起こった。ダメだ、と、それを押さえ付ける理性よりも早く、本能のまま彼女の頬に手を伸ばしていた。想像以上に温かくて軟らかい頬。俺の手が冷たかったのか、触れた瞬間に小さな身体がビクンと跳ね上がった。 「好きだ」 「……ッ!」 「え?!お、おい…?どうして泣くんだよ?!俺、なんか怖い思いさせたか?」 「違う…、のっ!」 俺は突然の涙に驚いて、彼女に伸ばしていた手を引き戻そうとした。しかし、「待って」と言ったなまえが俺の上に手を重ねて、それを引き留めた。その手は小さく震えていて、なんとなく、俺が握ったら壊れちまうんじゃないかって、そんな気がした。 「怖くなんかないよ…。すごく嬉しくて…、そしたら、涙が止まらないの…」 「はぁ…、ったく。心配させんな」 「うん…、ごめんね…?」 「で……?」 クスクスと笑いながら謝るなまえに、俺は首を傾げて、問い掛けるように視線を投げた。俺が好きと伝えて、それを喜んだってことは、俺も喜んでいいんだろ?だったら、なまえの口からちゃんと、伝えて欲しいことがある。 「なまえの気持ち、俺に教えて?」 「え…、あ…。その…、えっと…」 「ばか、目ェ逸らすな。こっち…、見ろ」 「ん……」 なまえは怖ず怖ずと、伏せていた視線を持ち上げていく。頬には涙が伝った痕が残されて、睫毛にはキラリと涙の雫が一つ。何度も言葉を紡ごうとするが、その度に恥ずかしそうに閉ざしてしまう唇。まるでこちらを焦らしているような彼女の沈黙に、まんまと引っ掛かってしまう俺は、相当、なまえに惚れているらしい。 「やっぱ言わなくていい」 「え…?あの…、ごめ…ッ!」 「違ェよ、こっちがもう限界。ちなみに、俺を焦らしたおまえが悪ィ」 「んんッ…!!ふぁ……」 睫毛についた涙を拭いながら目を閉じさせて、ほんの少し開いていた唇に被せるように俺の唇を重ねた。小刻みに震えていた手が俺の上着をギュッと掴む。男は馬鹿だからさ、そんなことされたらもっと欲張りになっちまうって、こいつはわかってるんだろうか。なまえの苦しげな息遣いが顔に掛かって、俺は下唇を吸い上げながら唇をそっと離した。 「銀…ちゃん…」 「んー?」 「す…、好き…。大好きだよ…」 夕焼けと同じくらい赤い顔と、小さな震えた声。そして、欲しかった言葉。不意打ちとはこのことを言うのだと思った。あーあ、なんか狡ぃや。 「多分さ、俺…、もうなまえを離せねーかも」 「え…?」 「覚悟、しとけよ?」 なまえはハッと息を飲み込んで、まじまじと俺を見つめた。目を合わせるだけで、お互い、はにかむような笑みが浮かんでしまう、ふわふわとした空気。こんな空気も悪くないと思う。 俺が「帰るか」と手を差し延べると、なまえは大きく頷いてその手を取った。俺の手ですっぽりと包み込んでしまえるほど小さなその手を、今現在の幸福を噛み締めるように、握り締めた。 夕焼けにキミ オレンジに浮かぶシルエットですら、愛おしい Fin. ブログにて、プロフィールのイラストを描いて下さる萌さんから承ったリクエストをもとに書きました。ありったけの感謝の気持ちを込めて贈ります! 素敵なイラストを楽しみにしていますね! |