お財布の中からカードキーを取り出してエントランスに設置してある機械にかざす。すると、何事もなくガラスの自動ドアが開いて、そのことに安心している自分がいた。きっと、もしも鍵を替えられていて、中に入れなかったらどうしようって心配していたんだ。
もう一度カードキーを使って赤司くんの部屋直通のエレベーターを稼働させる。こんなに緊張しながらこのエレベーターに乗るのは、初めてここにやってきた日以来だった。
「お邪魔します……」
エレベータの扉が開くと、そこはもう赤司くんのお家。玄関には赤司くんの靴が並んでいて、彼が家にいるということを示していた。
とりあえずリビングに向かう。けれど、そこに赤司くんはいなくて、代わりにダイニングテーブルの上にコンビニの食事の容器が置かれていた。
赤司くんがコンビニご飯を食べたのだって驚きだけれど、そのゴミを置きっぱなしにしていることの方が信じられなかった。
「赤司くん……」
きっと、置きっぱなしにせざるを得ないくらいに体調が良くないのかもしれない。そう思えば思うほど、早く彼の様子を確かめたいと強く感じた。
とりあえず、葉山くんが渡してくれた差し入れのスポーツドリンクとゼリーを冷蔵庫にしまう。予想はしていたけど、冷蔵庫の中には何も入っていなかった。
さてと。私は冷蔵庫の扉をパタンと閉めて意を決するように深呼吸すると、赤司くんの部屋へと足を向けた。
「名前です。入りますね?」
控えめなノックをしてからゆっくりとドアを開ける。彼の部屋は掃除の範囲外だったから、赤司くんの部屋に入ったのは初めてだった。
大きめのベッド、パソコンの置かれたデスク。そしてバスケと勉強関連の参考書が並ぶ本棚。本当にそれだけしかないシンプルな部屋。赤司くんはベッドの中で穏やかな寝息を立てて眠っていた。
足音を立てないようにゆっくりと近づいて、赤司くんの額に手をあてる。
「熱はないみたい……。良かった……」
もう赤司くんが苦しんでいないことに自然と強張っていた肩の力が抜けた。けれど、それと同時に、一番辛い時に一緒にいられなかった自分に腹が立った。
「ごめんなさい、赤司くん……。私は使用人失格みたいです」
こんなことになってしまって、赤司くんに合わせる顔なんてない。
最後に一度、赤司くんの頭を撫でる。どうか赤司くんの体調が早く良くなりますように。
そう願ってから私は赤司くんから手を離した。
「僕は、解雇する、とは言っていないよ?」
「え……?」
私が離れるのを阻むように手首を掴んだのは赤司くんだった。
ふう、と深く息を吐いてからゆっくり上半身を起こすと、呆然している私を見上げた。
「赤司くん……! もう大丈夫なんですか?」
「いや、今の状態だと通常時の55%ほどの力しか出せないだろうね」
「なんですか、その具体的な数字……」
「それよりも、お帰り、名前」
赤司くんからお帰りって言われるのは初めてだった。でも、もうこのお仕事を辞めようと考えていた私にとってその言葉はただ辛いだけだ。
「私、もう赤司くんのお役に立てないかなって……。この前の出来事で赤司くんに嫌われて、今回だって赤司くんの辛い時に何もできませんでした」
「僕が君を必要としているのに辞めようとするなんて随分ひどいことをするんだね」
「必要……?」
「僕は君がここに帰ってきてくれて嬉しいと感じている。それに、そもそも僕が体調を崩したのだって、君がいないことに落ち込んで体調管理を怠ったのが原因だ」
「…………」
「つまり、僕は君がないとダメだ。だから、辞めることは許さない」
「赤司くん……」
「そして、玲央に言われたことにようやく納得がいった。僕は君が好――」
「赤司くん……!!! 良かった、本当に良かったです……!」
いつもの赤司くんだ。辞めようとする私を謎の理論で丸め込んでしまう横暴さ。それに、この前みたいに私に怒った素振りをみせることもない。
それが嬉しくて。本当に嬉しくて。
私はベッドに居る赤司くんに抱き着いていた。
「自意識過剰だって笑ってくれても構わないです。でも、私は赤司くんに認めてもらえたのかなってすごく嬉しいんです!」
「認める……?」
「赤司くんの言葉から察するに、使用人としての私の重要性をわかってもらえたのかなって」
「…………」
赤司くんの返事がない。
黙ってしまった赤司くんの表情を見るために身体を離すと、赤司くんは困ったように笑っていた。
「僕も名前のことがよくわかった。君はどうしようもないほど鈍感なんだね」
「え…………?」
「ふふ、なんでもない。ねえ、久しぶりに名前の作った食事が食べたい。やはり、コンビニのものは僕の口に合わないみたいだ」
「はい……! 赤司くんが早く元気になれるようなものを作りますね!」
そう言って頷くと、頼んだよ、と頭を撫でられた。
これは喜ぶべきことのはず。なのに、体力が低下しているはずの赤司くんの瞳は獲物を狙うハンターみたいに強い光を宿していて、初めて会った時のように、背中がぞくりと粟立った。
ご主人様と仲直り
ようやくプロローグが終わりです…!