いつもと変わらない昼下がりに、書類に万年筆を滑らせていると、自らを呼ぶ声がした。



「リヴァイ兵長、」

名前を呼ばれてリヴァイは書類から目を離した。そして声が聴こえた方角に目を向ける。するとそこには昔からリヴァイが重用しているナマエ・ミョウジがいた。

どうかしたか、とリヴァイが紡ぐより先に、彼が手に持っていたものを見てリヴァイは理解する。ナマエの手にはティーカップと書類が携えられており、どうぞと言ってリヴァイに渡されたそれらには、リヴァイに新しい仕事と小さな休息をもたらしてくれるという意味を持っていた。リヴァイはナマエから手渡されたそれらを見て、無言で受け取る。書類を卓上に置いて眺めながら、ティーカップから仄かに香るアールグレイの紅茶を静かに口に含んだ。


「…わざわざすまない。」
「いえいえ。兵長もお疲れかと思いまして。」
「…悪くない味だ。」
「はは、ありがとうございます。」

そう言って照れたように笑うナマエに、リヴァイも少しだけ口を緩めて笑った。リヴァイはナマエの持つ穏やかな雰囲気や細やかな気遣いに随分前から居心地の良さを感じており、少なくとも他の連中よりはナマエの事を気に入っていた。
どこかの研究バカや匂いフェチの変人とは違い、副兵士長のコイツは俺が欲しがる空間と安寧をくれる。俺にとっちゃ貴重な存在だ、とリヴァイが思いながらティーカップを傾けていたが、しかし次に、ところで、と言って紡がれたナマエの言葉に、リヴァイはティーカップを置くこととなった。



「…兵長って昔、地下街にいらっしゃったんですね。」
「…そうだが?」


「…地下街といえば、世間から溢れたクズどもの巣窟。そしてのクズどものする事と言えば、悪行…。」 
「……そうだな。俺は今まで自分の邪魔になる奴は容赦なく殺し、逆らう馬鹿どもは悉く返り討ちにして来たが…しかし、それがどうかしたか?」


眉をひそめながらリヴァイはそう聞き返す。
いきなりなんなんだと思ったが、この手の叱咤なら耳にタコが出来る程聞かされていたので聞き流す余裕と覚悟がリヴァイにはあった。
―――――分かっている。お前も俺の昔の悪行を叱咤したいのだろう。叱咤したいのなら好きなだけすればいい。リヴァイはそう思いながらナマエを見据えたが、見据えた先にあったナマエの恐ろしく虚ろな表情と、彼が呟いた台詞を聞いて、リヴァイは目を見開かずにはいられなかった。


「…ところで兵長。」
「…なんだ?」

「人身売買の純利益って幾らくらいになるんでしょうか?」

「…………は?」


ナマエに突然そんな事を尋ねられたリヴァイは、彼の呟いた言葉の意味が分からずに困惑した。
いや、意味は分かっていたが、何故いきなりそれを問われたのか、いや寧ろ、何故リヴァイが人身売買を行っていた事をナマエが知っていたのか、リヴァイには分からなかった。

ナマエに突然そんな言葉を紡がれたリヴァイは、背中に厭な汗がジワリと滲むのを感じた。しかしそれでもリヴァイは、睨むようにしてナマエを見る。最早そこにはリヴァイの求める安寧はなかったが、虚ろな表情を変えないナマエは、それでも尚、リヴァイに言葉を返した。


「兵長は、ご記憶くださいますでしょうか?」
「…何を、」


「…9年前の事をです。」
「………、9年前…?」


「ええ…、やはりご記憶くださいませんか?、…お売りになられたでしょう?」
「……、」


「ねぇ。…ナマエ・ミョウジの母親と妹は……、…チサトとチヅルは、一体幾らで売れましたか?」
「………っ!!」


ナマエにそこまで聴かされた時、リヴァイは指一本、動かす事が出来なくなった。

―――――チサトとチヅル。
ナマエが呟いたその2つの名前には、リヴァイの記憶の中に確かにあったからだ。



「(……そうだ、聞いた事がある。)」

…最後の最後まで売られる事に抵抗して、挙げ句に仲買の奴が片方ケガを追わせちまって、ケガをしちまった方は売りもんにならねェからって、殺しちまったんだっけか。…それで残ったガキの東洋人は…、俺が手引きして内地のクズ野郎どもに…

「(…売ったんだっけか。)」



リヴァイはそこまで思い出すと、次いで昔の記憶が彼の脳裏によぎった。



―――――綺麗な黒髪の女どもを内地の変態どもに売り飛ばし、売られた女どもが泣き叫びながら連れていかれる様を。
―――――売った先で麻薬を吸わされて心身共にグチャグチャにされて返ってきた女どもの哀れな末路を。
―――――麻薬に溺れた馬鹿な奴らを殺す虚無感を。
―――――血で血を洗い、腐った亡骸を剥ぎ、それでも尚生きていたあの頃を。


―――――様々な記憶がフラッシュバックしては、リヴァイの脳裏を蝕んだ。しかしリヴァイはそれでも仕方無かったと思い込んでいた。あの頃の自分は、生きる為には殺す事など容易かったし、そうしなければ生きていけない程苦しく汚い世界だったのだ。そう自らに刷り込ませている事で、リヴァイはあらゆるものに対する罪悪感を受け止めたつもりでいた。


しかしリヴァイの眼前の、表情を欠落させたこの男は、それでも喋る事をやめなかった。



「…そう言えば兵長は良く、仲間の死を背負って、それらを糧にして、前に進んでいらっしゃいますよね。」

―――――コツ、

「3ヶ月前に死んだマシュー、1年前に死んだリリー班長、半年前に死んだガブリエルとイース。」

―――――コツ、

「貴方は今までに沢山の仲間の死を、背負って下さいました。」

―――――コツ。


「…でも本当は違うんでしょう?、…貴方は仲間の死を背負う事で自らの目的意識をより高めているのではなくて……あなたは……アンタは…、今まで自分がやって来た悪行への、罪滅ぼしをしているつもりなんでしょう?」


―――――リヴァイの目と鼻の先まで近付いたナマエは、尚も虚ろな表情を貼り付けたまま、リヴァイの黒い瞳を観察するように見詰める。ナマエにそこまでされた時、最早リヴァイは逃げる事が出来なくなっていた。

彼がどんなに速く動けても、どんなに多くの巨人を殺しても、その背中にのし掛かる死臭の重さと穢れは、彼を一時も離してなどいなかったからだ。仕方無かったという刷り込みでは、あらゆる罪悪感からは逃げられなくなっていたのだ。

そしてリヴァイが自らの刷り込んだ意識を瓦解させられ、挙げ句自らの背に乗っている死臭や穢れに改めて気付かされた時、リヴァイの瞳には、どうしようもない程の後悔と、僅かな絶望が、まなじりに垣間見えた。

そうしてナマエはそんなリヴァイの状況を確認してから、見計らったように彼の耳元で言葉を紡ぐ。



「―――――ねぇ、兵長。」

「―――――俺、アンタの事、一生許さないから。」

「―――――アンタに罪滅ぼしなんて、させてやんねぇから。」

ニコリ、と唇に綺麗な三日月を携えたナマエに、リヴァイは薄れ行く意識の中で、自らの行いを振り返ると共に、もうこの男からは一生逃げられないのだと悟った。




―――――――――――
過去捏造。
ただ、都の地下街のゴロツキなら人身売買くらいの悪いことはやっていると思う。

実は長編のボツ案。
故に母親と妹の名前がある。








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