「闇に溶ける」と同じ設定
戦闘機が頭上を飛び去るたび、愛は涙を堪えていた。お願いだからあの人を返してと、心の中で呟いた。真っ青な空に白く長い線を描きそれは見えなくなってしまった。
愛と国也は小さな村に住んでいる。国也は電車で五十分程行った所の飛行機整備会社で働いていた。国民学校の頃から同級だった二人は貧しいながらも幸せに暮らしていたのだ。しかし平和な毎日は長続きせず、遂に国也も戦場に赴く事になってしまった。
仲間は皆祝福をし、激励をした。大出世だと言って出立の前日には宴会もした。
…それでも愛は嬉しくなかった。
「…国也さん」
「おっ、愛もちゃんと飲んでいるのか?」
「いえ…私は」
「なんだ、もっと喜べよ!」
喜べ、などと。
夫が死ぬかもしれないのに?爆弾を積んだ飛行機に乗り込むかもしれないのに?もう二度と会えないかもしれないのに?
愛は「すみません」と消えそうな声で言い、台所の隅で隠れて泣いた。
その夜、散々騒いで人々は眠ってしまった。家中がしんと静まったのに気が付いて愛は少し顔を上げる。ずっと台所にうずくまっていたせいで身体が痛い。それでもまだ涙は頬を伝い、割烹着をぐしゃぐしゃに濡らしていた。
「…愛」
「……国也、さん?」
ふと、目の前に立っている黒い影に気が付いて愛は見上げた。まったく酔っていない様子の国也が愛を見下ろしている。
「愛、」
国也はすっとしゃがむと身体を丸めたままの愛を抱き締めた。思わず愛は硬直する。
「愛、愛…っ」
「国也さ、」
「俺、行きたくないよ。俺はまだ愛と一緒にこの家にいたい」
「、あ…」
それが、本音だったのだ。
赤紙を見た時の誇らしげな顔も、きっとこの国を勝利に導くと言った自信も、すべて愛を守る嘘だったのだ。二人は非国民だと罵られ辛い目に合う同級の人物を痛いほど良く知っていた。
「死にたくないよ…愛」
ぎゅう、と国也の腕に力が入る。それはまるで放すまいと叫んでいるようであった。
「国也さん死なないで…」
「必ず、帰ってきて…!」
二人は寄り添って朝まで泣いていた。
あの時の国也の辛そうな顔を愛は今でも鮮明に覚えている。考えてみれば一番辛いのは国也の方だったのだ。
愛は勤め先の工場で一所懸命働いた。働いて戦争が終わるのを一人きりで待っていた。
「帰還した人達が港に着いたらしいわよ、行ってみましょう木野さん」
「…でも」
「行きましょう。」
愛は同僚の千里に連れられて港へ行くことにした。千里の大切な人も戦争に赴いたと聞いた。きっとこの人も心配なんだ、強そうなこの人だって…。
愛は怖かったのだ。一緒に戦地に行った人達にあって国也の訃報を聞いたりでもしたら、と不安になった。
それでも千里に手を引かれ愛は港にやって来た。ちょうど港に着いた船が錨を下ろし終わったところで、船のデッキはいち早く家族や恋人の姿を見ようとする男たちで溢れていた。愛は必死に目をこらし、国也の姿を探す。
橋が渡され、男たちが船から降りてきた。再開を果たした人々は涙を流している。
しかしなかなか夫の姿は見つからない。千里ともはぐれてしまった。愛は泣きそうになって声をあげた。
「国也さん…!」
「愛!」
間近で聞き覚えのある声がした。愛は辺りを見回す。しかし小さな愛がたくさんの人の群れから国也を見つけ出すのは難しい。
もう一度、名前を呼ぼうと息を吸った瞬間、愛は後ろから抱き止められた。それは紛れもなく国也であった。なにひとつ変わらない国也の様子に愛はまた涙を流した。
「国也さん…国也さんっ」
「ただいま…愛」
もう二度と離れまいと二人は精一杯互いを抱き締めていた。
(世界のどこかに帰るころ)
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闇に溶ける の木野加賀バージョンでした。ずっと書きたかったので満足です。
thx:sting