真江

早く授業が終わって、友達の声も聞かず弾丸みたいに教室を出た。生ぬるい風が廊下を吹き抜けて行く。私の頭の中にあるのはたった一つだけだった。今日からプールが使える。きっと遙先輩や、真琴先輩も心待ちにしていただろうけど、一番心踊らせているのは私かもしれない。走ってやって来たプールサイドにはまだ人影がなくて、皆が来る前に水を入れることにした。じわりと汗が滲んでくる。昨日掃除したばかりの底はまるで水を欲してるみたいだった。
きらきらと水が光っている。それを見ていたら何だか泳ぎたくなって来た。まだ少しだけ冷たい水を切って魚みたいに泳げたらどれだけ気持ちが良いだろう。皆と一緒に泳げたら、どんなに楽しいだろうか。ジャージのまま空を見上げる。皆とあんな風に泳げるわけないのに、そんな事を考えるなんて馬鹿みたいだ。もともと運動音痴で、水泳なんて大の苦手。小さな頃からお兄ちゃんの試合を見てたから、好きではあるけど自分が出来るとは思えない。
涙が出そうになって、私は後ろからプールに倒れ込んだ。ごぼごぼと耳に水が入ってくる音がする。やっぱり冷たい。ジャージを纏った身体は重くってどんどん底に沈んで行った。微かに名前を呼ばれた気がして水の中で目を開く。霞んだ世界に茶色い髪と篭った声が聞こえてきた。

「江ちゃん…!」

目の前に広がる大きな身体。真琴先輩、と叫ぼうとして水を沢山飲んだ。ごぼごぼと口から空気がもれていく。逞しい腕で抱えられて私は水面に顔を出した。

「江ちゃん!大丈夫!?」

プールサイドに触れた身体半面が熱い。水から出た身体はひどく怠く感じられた。びしょびしょの制服を着た真琴先輩が心配そうな目で私を見下ろしていた。ぽたぽたと前髪から雫が落ちて少しだけ冷たい。

「真琴…先輩?どうして…」

咳が落ち着いてやっとの事でそう言うと真琴先輩は眉を苦しそうに寄せて私に言った。

「校舎の窓から江ちゃんが見えて、急いで来たんだよ、そしたらプールに落ちてくから、俺、慌てて…」

ごめん、と言って真琴先輩は顔を逸らす。耳が真っ赤だった。助けられたのに何がごめんなんだろうと思っていたらジャージの上のTシャツが濡れてぴったりくっ付いて下着が透けていた。先輩は立ち上がって更衣室からタオルを持って来てくれた。大きなタオルに包まれて、暖かい。

「俺、ちょっと…水着着替えて制服乾かして来るね」
「…はい」

水の中で私を助けてくれた腕がすごく熱かった。息も上がってたし、走って来てくれたのだろうか。私もジャージを干して制服に着替えた。水着姿の真琴先輩が出て来て、ちらりと私を見た。

「タオル…かけておいた方が良いよ」

先輩の耳はまだ赤い。言われたとおりタオルを巻くと先輩はぎこちない笑顔を浮かべた。

「江ちゃん」
「…はい」
「たまたま俺が居たから良いけど、危ないことはしちゃ駄目だよ」
「はい」
「うん」

真琴先輩は頷いてプールに入って行った。澄んだ青い水の底から気泡が浮いて来る。サイダーみたいだ、と思った。


(プールの底でまた会おう)


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -