どんどんと身体の中に溜まっていく色たちは、いつしかおれの重みになっていた。画材屋で安い絵の具をたくさん買って片っ端から絞り出す。チューブの端をぎゅっと握ると赤い絵の具がゆっくり出て来る。それを見ていたらほんの少しだけ楽になった気がした。おれの心は知らぬ間にこぼれて行くだけのものになっていた。だから、驚いたんだ。菊池さんの気持ちを知った時おれの心はまだこんなに残っていたんだと。
おれだけのものではなかった机に花の跡が残っている。おれのかいた落書きとは違う正真正銘の、花。そしてその下に添えられた言葉。そっとそれに手を当てると、夏の日差しのように熱かった。これが彼女の体温か。そう思っている間に手の中から色が溢れて、花がこぼれて、とまらなくなった。花はおれの身体を包み込む。いつもならひどく焦って疲れてしまうのに、この色はとても心地が良かった。こんな色を持った人がいるなんて、知らなかった。
おれは彼女の言葉と花の跡を灼きつけた。
「心残りなものなんて、ひとつもなかったのに」
確かにそうだったんだ。この街にそんなものは無かった、今までは。だけどもう灼きつけた花の跡が消えてくれないんだ。君の事が忘れられないんだ。
日の傾いた校内は暗かった。そっと菊池さんの頬に触れると、それはあの時と同じくらい熱かった。
(ああ、君はおれに光を射してくれた、出口を見つけてくれた)
(君はきっと気付いていないだろうけれど、おれは君に救われたんだよ)
「ありがとう」
数年が経った。おれはその街に帰って来た。菊池さんに会う当ては無い。彼女の家も、連絡先も知らない。彼女ももう高校を卒業している。おれはふらりと高校に行った。先生に頼んであの屋根裏に入れて貰った。屋根裏のゴミは綺麗になっていたけれど、天井の落書きはそのままで灼きつけた彼女の花の跡も残っていた。なぞるように手を添えると、また色があふれてくる。
「倉田くん」
下から声がした。あの日もこうして屋根裏と下とで話をしたから良く覚えている。
「空っぽの絵の具の中身は見つかった?」
「うん」
花の跡が灼きついたままだったから、また君に会えたよ。
屋根裏の暗がりから降りると溢れるような色の中に君が立っていた。
(はなのいろ)