桜にあとに(仮) | ナノ


変わらないもの変わるもの

受験生とは本当に、ゆっくりと息をつく暇もないのだと痛感する。期末テストも無事に乗り越え、両親がその成績に胸を撫でおろしたのを見て一安心したのも束の間だった。翌日のHRでは来る受験に向けて教師の口から説明される。ここからは夏休みの三者面談、オープンスクール、学校説明会、そして出願に受験。今年の夏休みは有ってないものだと思えよ、と担任の教師が新学期になって何度目かも分からない言葉を口にする。配られたプリントに書かれた学校名を目でなぞりながら、周囲の期待に応えられそうな学校はどこだろうか、なんてことを考えていた。

「紗良―!志望校決めた?!」
「早くない?!」
「早くないよー!オープンスクールって実質そういうものでしょ?幾つか志望校決めて、その中から楽しそうだなー、行きたいなーって思う高校の説明会に行って、それで受験!」

目の前の彼女の方が、私よりも遥かに進路について考えていた事に、多少の驚きを覚えつつ、再度プリントに目を通す。とはいえ、専門校と普通校の違い程度は認識しているが、高校の特色なんて考えた事もなかった。その為のオープンスクールではあるのだろうが。

「ね、もし紗良がまだここって志望校決まってないなら一緒にオープンスクール行かない?」
「どこの?」
「薄桜学園だよー!何度も言ってるのに」
「ごめんごめん!一応聞いてみただけだよ。もう志望校はそこ一本で決めたの?」
「ううん。校舎を見たいのと、あわよくば剣道部の方々を生で拝めるかなって!」
「不純な動機!」

とは言え、オープンスクールなんて気楽に考えても良いのかもしれない。単に様々な高校を知りましょうという事だ。貰ったプリントを半分に折って、スクールバッグにしまい込む。

「でも、よかった。気にはなってたんだよね」
「え?!なんでなんで!」
「え。いや、最近よく聞いてたから!親に勧められたのもあって」
「そうなんだ!紗良の家、お目が高いね!」

面倒なことになりたくもなかったので、沖田先輩の話や薄桜学園に赴任する幼馴染の存在は伏せた。親に勧められているのも本当の話だ。「知っている人が先生をしているし、あそこは文武両道で進学率も申し分ないから」というのが理由である。いかにも、大人が好きそうな理由ではあるが、親が気に入っているのであれば私としても拒む理由は無かった。ただ、倍率や成績だけが不安であるが。

「私ね、紗良と同じ高校に通えたら楽しいだろうなって思ってるよ」

ふ、と目を細めた彼女の表情はどこか寂しそうで、思わず「私もだよ」と口をついた。その言葉を聞いた途端、ぱあっと表情がほころび、私の体へと腕が回される。相変わらず仲がいいなあと周囲のクラスメイトに茶化されながら、彼女の背中に手を回し、「苦しいよ」と笑って見せた。

「じゃあ、また明日」
「うん」

手を振って階段を降り、玄関へと向かう。本来であれば、私も演劇部の一員として最後の公演に向けて練習をするところなのだが、新学期早々の入院があったことから、退院後には既に役が決まっていた。一時期は目を覚まさなかったのだから、当然の事だ。今更私が復帰した事で役が変更されるのは申し訳もなく、「大丈夫ですよ」と笑ってそのまま一足先に引退させてもらったのだ。おかげで期末テストへの時間もとれた、何も悪い事はない。それだけ真剣に打ち込んでいたわけでもなかったのだ。少し、楽しくはあったけれど、こればかりは仕方がない。

「紗良ちゃん、お疲れ様」
「…………」
「中学校ってもうテスト終わったんだね。部活していてビックリしたよ。でも逢えてよかった」

校門に立つ姿を見て、私は本日一番大きな溜め息を心の中でついた。何故ここにいるのか。確かに学校を教えたのは私だが、何の約束も無しに来るとは思ってもいなかった。本当に、今が部活動の時間で本当に良かった。他の生徒に見られていたら、明日何を言われるか分かったものじゃない。
話す姿を極力誰にも見られないように、小さな会釈をして彼の横を通り過ぎる。目立ちたくないのだ。話題にもなりたくないのだ。だってそれは、地獄への入口にも近しいのだから。クラスの中心にいた女の子の好きな男の子と仲が良かっただけで、教室が地獄と化した女の子を思い出し、唇を横に結んだ。もう、顔も名前も忘れてしまったが、転校先では泣いていないだろうか。

「紗良ちゃん」

そうは問屋が降ろさないと言うように、彼の手が私の腕を捉えた。その力は軽いものだったが、彼の声色からは僅かに、逃さないというかのような圧が込められている。

「……、分かりました!逃げません、逃げませんから手を離してください!貴方ちょっとした有名人でしょう……!」
「ああ、雑誌でも見たの?別にあんなの見ている方が少ないよ」
「密かにファンクラブもできているとお聞きしましたけれどね!」

そんな人が私みたいな人間に構っているのを見られてみろ、明日の私は恐らく不特定多数からの質問攻めに遭い、言われもない噂を流され、陰口の恰好なターゲットになる。そこまで分かっているのか、いやきっと少しも分かっていない。
手を離され、足を進める。その間も彼はいろいろ話しかけてはくれるが、簡単な一言だけを返事に使う。そして人気が疎らになった時、漸く私は口を開いた。

「沖田先輩!」
「今日は冷たいんだね。別に僕と会うのなんて珍しくもないでしょう」
「有名人って知らなかったんですもん!」
「ふうん、僕と関わりたくないの?」

そう尋ねた彼の表情に、私は一瞬息を呑んだ。関わりたくない、そんな拒絶するつもりではなかったのだ。しかし、確かにそうか。平穏な学園生活に何か爆弾を放り込みたくなくて、私が彼への態度をあからさまに変えてしまったのは紛れもない事実だった。

「そんな、つもりは……。ごめんなさい、単に、他の女子の目が気になってしまって」
「ああ。君は相変わらずつまらない事を気にするんだね。人の目なんて気にしなければいいのに」

人の目がつまらない、なんて、それは貴方が強いから言えることだ。そんな言葉を飲み込んで、「そうはいかないですよー」なんて、暢気な笑顔を向けてみせた。そしたら、ほら、また、沖田先輩は私のそんな顔が嫌いだとばかりに、嫌な顔をする。

「……そういえば、沖田先輩、今日は部活なかったんですか?」
「高校は今がテスト期間なんだよ」
「……。……勉強は?」
「明日は古典だからね、平気」

得意科目だったりするのだろうか、とも思ったが、おかしそうに笑う表情を見ると何だかそれだけではなさそうだ。しかし深く聞いたところで答えてはくれないだろうと思い、そうなんですね、と頷いた。
梅雨明けの夏の風が、じんわりと汗を滲ませる。今年の夏は平年より熱くなる、と朝のニュースでキャスターの方が言っていた。隣の沖田先輩を見ると、涼しそうな顔をしていたが、首元には汗が滲んでいた。

「紗良ちゃん、おいで」
「?!」

くい、と沖田さんに手首を引かれ、目を丸めた。この光景は知り合いに見られると何の言い訳も意味を成さなくなるのでやめていただきたい。この人は一体先程私の何を聞いていたんだ……!彼の視線の先をなぞると、そこには、……コンビニ?

「優しい先輩がアイスでも買ってあげる」
「あ、じゃあここで私は帰ります!中学生は買い食い禁止なんですよ!」
「ついてきて。これはお願いじゃなくて脅しだから」

爽やかな笑顔で恐ろしいことを口にする人だなとも思ったが、これは彼の優しさだろう。確かにこの暑さから解放されて、涼しいコンビニへと誘われるのは魅力的ではあるのだが、この人の長くいればいるほど私にはリスクにしかならない。彼と話すのは嫌ではない。彼自身も嫌いではない。寧ろ好意的には思っていた。ただ、長時間人と話すと、この人当たりの良い仮面が息苦しくなるのだ。慣れたはずの振る舞いが、あの退院後から、何故か疲れて、なんとも言えない寂しさに似た何かが生まれるのだ。慣れたはずだったのに、慣れたはずだったのに。そう長くもない昏睡状態の生活は、私に束の間の微睡を与えてしまったのだろう。

「……目を覚ますんじゃ、無かったな」
「どういう意味?」
「え。あ、いえ、何でも」

へへへ、と誤魔化す様に笑っても、翡翠の目が私から離れる事はない。

「ねぇ、紗良ちゃん。僕はもう君に誤魔化されてはあげないよ」
「?どういう…、冷たっ?!」

ひや、と額に当てられたアイスクリームの冷たさに思わず声を上げると、周囲の視線が此方に向きパッと口を押えた。すいません、と小さく謝罪の言葉と共に頭を下げる。

「売り物で遊んじゃいけないんですよ!」
「もう買った物だよ。それは紗良ちゃんのね」
「え」
「優しい先輩が奢ってあげる、って言ったでしょう」

言った。言ったけど、正直本気にはしていなかった。じゃあ帰ろうか、と出口を目指す彼に、「そういえば、消しゴムを買いたいんでした!」と思い出したように声を上げる。「買い食いは駄目なんじゃなかった?」と悪戯を仕掛ける子供の様な笑みを向ける沖田先輩に、「“食い”じゃないから、いいんです」と右の頬を膨らませて見せた。沖田さんには出たところで待っていてもらって、私は目当ての物を適当に選びお会計を済ませて店を出た。
出たすぐ横に沖田先輩は立っていて、その口には先程買ったばかりのシャーベットが咥えられている。忘れない内に持っていたレジ袋ごと渡すと、沖田先輩は首を傾げた。

「なぁに、これ」
「アイスの御礼です!買ってもらいっぱなしは申し訳なくて……」
「駄目。別に僕が脅して連れてきたんだし、先輩の好意には甘えるものだよ」
「それこそ駄目です!私の自己満足な御礼ってだけなので貰ってください!」

貸し借りはなるべく無くしたいのだ。ぶんぶんと大袈裟なくらいに首を横に振る私に、観念したのか諦めたのか、はたまた呆れたのか、沖田先輩は「それなら、分かった」と受け取ってくれる。そして中身を覗いた時、沖田先輩はその形のいい瞳を丸くして、ああ、その表情は、病院で初めて会った時の様な表情だな、とぼんやり思う。

「……金平糖?」
「お嫌いでした?!」
「いや、そうじゃないけど……ううん、好き。昔から、好きだよ。ただ珍しいなと思って」

中学生のお小遣いで買える“少しの御礼”の選択肢は、コンビニに山ほどある。無難に飲み物にしようかとしたが、レジの横に置いてあった金平糖に何故か目が留まったのだ。そして自分でも不思議と自然に、それに手が伸びた。全然無難じゃない、そのお菓子。駄菓子屋さんではよく見かけるが、コンビニエンスストアにあるなんて珍しい、と思ったのが理由かもしれない。ただ、なぜだろうか。本当に自然と、それにしようと思ったのだ。
好きなら良かった。胸を撫でおろせば、いきなり沖田先輩が爽快に笑い出した。突然の事に動揺を隠しきれない私をよそに、彼はひとしきり笑った後、「そう。そうだね」と独り言の様に呟いた。

「本質は変わらないか。懐かしいや」
「何のお話で……?」
「昔よく似た事があっただけ。それで、紗良ちゃんこそ、中で呟いてた“目を覚ますんじゃなかった”ってどういう意味?」
「ああ!ほら、病院であった時言ったでしょ?私、少し気を失っていたんですよ。目を覚ましたら勉強には遅れをとっているし、最近教室……学年全体が受験モードだし、ナイーブなんですよ」

溜め息を一つついてから、沖田さんを見るととても訝し気な表情をしている。それに気付かないふりをして、へへへ、と暢気に笑顔を作る。ぽつりと零した失態のカバーを、私が何も考えなかったとでも思っているのだろうか。嘘には、ほんの少しの真実を交えれば、尤もらしい言い訳になる事は、とおの昔に学んでいた。私が昏睡状態から目覚めたくなかったという意は真実で、その理由が“少し”異なっているだけだ。

「……」
「あー!折角買ってもらったアイス!」

わざと大袈裟に声をあげて、買ってもらったアイスを口に入れる。心地いい冷たさと、程よい甘さが口内に広がり、そんな私を見て沖田先輩は「結局買い食いしてるじゃない」と笑う。

「受験生なのに内申点に響いたら泣いてしまいます」
「そうそう見つからないよ。それにまだ君の学校は部活の時間でしょ」
「それは確かに……」
「だから、今度から会いに行く時間はこれくらいにしてあげる」
「沖田先輩今日の私の話聞いてました?!」
「だけど僕と関わるのは嫌じゃないんでしょ?それに、僕君の連絡先知らないから待ち合わせも出来ないしね」

にまり、と沖田先輩の口角が弧を描いた。まさか、と思い口を開く。

「……それが目的で?」
「嫌だな、紗良ちゃんとこれからも遊びたいのは本当だよ」

ポケットから出されたのはスマートフォン。連絡先の交換を断る程険悪な関係でも、知らない仲でもない。スクールバッグから連絡先交換用の画面を開き、沖田先輩がそれを読み込めば、彼の画面には私の連絡先が映った。

「じゃあ、改めて宜しくね。紗良ちゃん」

なんだかんだでこの人のペースに乗せられている気がするが、そんなこと気付きもしないように人懐っこい笑みを繕った。


変わらないもの変わるもの


  まずは一歩、それから、
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