桜にあとに(仮) | ナノ


再来は夢のなか

永く幸せな夢を見ていたような気がする。時折苦しみや悲しみさえも感じながら、この腕に重たさを感じながら、この身に暖かさも感じながら。身に染み込んだこの「仮面」すらも、息苦しく感じる程。それくらいには、幸せな夢を見ていたような気がする。

病室のベッドで目覚めると、暖かい春の風が頬を撫でた。目覚めた私を見て感嘆の声を挙げた親が言うには、浴槽で溺れたまま意識が戻らず、水を吐き出させても数週間ベッドの上で眠っていたらしい。脳や臓器に異常は見付からないにも関わらず、ただただ眠ったまま、時折熱を出していたそうだ。念のためにと簡単な検査を受け、目を覚まして二日後に私は退院した。

「紗良、さっきの授業わかった?」
「不安しかないよね!でも休んでる間に取ってくれていたノートがあったから助かったよ、ありがとう」

お礼はドーナツ3つで、と笑う彼女の笑顔はひどくあどけない。そう感じた私の心に違和感があり、そっと胸に手を添えた。あどけない、確かにそう感じたのだが、彼女は私と同い年だ。彼女だけではない。クラスメイトと話すとき、クラスメイトを見ているとき、私はよく「幼いな」と感じるようになった。自然と、そういう感情が沸いてくるのだ。目が覚めて、退院してから2ヶ月。梅雨時が連れてくる湿った空気がぬるりと肺に入ってくるような息苦しさが、じわりと私に染み込んだ。
紗良、と名前を呼ばれ、なぁに?と即座にいつも通りの笑顔で返す。ああ、息苦しい。息苦しいなぁ。こんな息苦しさ、慣れた筈なのに。

「なんだか急に大人っぽくなったよね!髪型かな?」
「本当?!変えてみてよかったー!」
「あ、気のせいだった」

ひどい!と態とらしく泣き真似をすると、ごめんってばと友人が笑う。いつもと同じ髪型だった筈の二つ括りが何だか恥ずかしく思え、ハーフアップに変えたのは退院後の登校初日だった。下ろしても良かった筈なのに、少し上に結んだ菅田が何故だかしっくりきて、以来そのままになっている。

「まぁ、高校デビューって思われるのも嫌でしょ?だから変えてみたんだよね」
「私たちも受験だもんねー……。紗良は夏の高校見学どこに行くの?」
「それが悩んでいるんだよね……」
「あ!それなら一緒に行かない?」

どこに?と首を傾げると、彼女の目が爛々と輝き、少し前のめりになって口を開いた。

「薄桜学園!!」
「……」
「いやー、私としては島原女学校も制服が可愛くて捨てがたいんだけどね?といっても受かるかが問題なんだけどさぁ」

彼女が口にした学校名に、私は更に首を傾げた。そんな私の様子に気付いた彼女は、街中で天狗でも見たかのように目を皿にする。

「え?!知らない?!確かに薄桜学園と言えば去年まで男子校だったけど!文武両道な進学校、そしてイケメン揃いの剣道部!冗談抜きで今年の人気は凄いんだよ?!」
「え、え、そんなに?倍率も高いでしょ」
「そこは……ほら、勉強!勉強だよ!」

えいえいおー!と意気込む友人と一緒に、私も軽やかな笑みを貼り付けて拳を掲げる。歩行者の目が痛くはあるが、華の女子中学生だ。これくらいはいいだろう。
それにしても、彼女は勉強嫌いだったと記憶しているが、どうしてこんなにも意気込んでいるのか。はてはてと不思議そうにする私に気付きでもしたのか、2、3歩先をスキップ混じりに歩いていた彼女が瞳を爛々と輝かせながら「しかもね!」と振り向いた。

「紗良に貸したゲームの舞台になった校舎なんだよ!」
「あれ?!学園ものだっけ、新選組のものじゃなかった?」
「そっちは本編!スピンオフで現パロもあるんだよ」

そうなんだ、と頷きながら、彼女が何故こんなにも意欲があるのか合点が行った。好きなゲームの舞台ともなった学校が今年から共学になり、しかも歴とした進学校ともなれば狙わないわけがない。あとはイケメンな剣道部だったか。

「そういや、プレイした?!誰が好きだった?!」
「あ、いや、退院後勉強に忙しくて……タイトルと説明書しか見てないや」
「えー!勿体ない!」

彼女に借りた「薄桜鬼」と言うゲーム。それをする前に不慮の事故で入院してしまい、退院後は遅れていた勉強を取り返す為にゲームをしている余裕すらなかった。

「あらすじも忘れちゃったなぁ……いっぱい教えてくれたのにね」
「あははは!本当だよー、ちゃんとプレイして感想聞かせてね?」

けらけらと楽しげに笑う彼女の瞳に、曖昧な笑みを浮かべる私が映る。薄桜学園?そんな学校、私は聞いたことがない。有名な進学校を聞いたこともないなど、あまりに受験生としての意識に欠けている。
ただ、それこそあらすじや設定、それこそキャラクターの顔すら曖昧になっているが、あれだけ意欲的に紹介してくれたゲームの、スピンオフとは言え舞台になった程の学校を、聞かずに過ごすなんて事あるのだろうか。ぐるぐると考え込んだ私をよそに、彼女は可愛いストラップのついたスマートフォンを取り出しすいすいと何か調べものをしている。

「ほら、この人!薄桜学園1年の沖田総司さんと斎藤一さん!格好良いよね!」
「……あ」

あ、なるほど。確かに私はその学園の名前を知っていた。薄桜学園、そうだそうだそんな名前だった。「ん?」と首を傾げる友人に、「ううん!イケメン過ぎて声も失っちゃった!」と調子良く笑う。

「そうだよね?!入学できたらこの人との後輩になるんだよ!しかも名前が新選組と同じなんて萌えでしかないよね!」
「好きだね、新選組」
「新選組というより、あのゲームが好きなんだけどね」

「来年の春には同じ高校に行こうね!楽しみにしてる!」、なんてあははと笑いながら手を振りあって各々の帰路に分かれた。私は彼を知っている。それを言えば面倒なことになりそうだったので、態々言うこともないだろう。それにきっと、もう会うこともない。

「あれ、紗良ちゃん。久し振り」
「……」

ない筈だったんだけどなあ。一人になった瞬間息がつけたと思ったのに、即座に仮面を付ければ人懐っこい笑みを作った。

「わー!お久し振りです、沖田先輩!病院帰りですか?」
「どうしてそう思ったのかな」
「久々に会ったのと、この近くにあるのが病院なので」
「そう。でもあれは心配性の知り合いが念の為にって受診させただけだよ。今は至って健康」
「そうだったんですね」

病院で出会った沖田総司さん。開口一番に驚きはしたものの、まぁ世界には同じ顔が三人いるとも言うし、そう言ったこともあるのだろう。4月の入院中に一度会ったきり特に会う機会もなく、2度目の再開は2ヶ月経った梅雨の時期。つまり、今だった。よく名前や顔まで覚えていたものだな、と感心する。口には出さないが。

「今、なんで覚えていたんだろうとか思ってるでしょ」
「……。まぁちょっとびっくりしちゃって!そんな印象的な顔だったかなー、とか」
「名字を聞いて驚いたからね。同じ新選組に纏わる名前なんて珍しい縁でしょ?」
「それは確かに!」

それも、私には不思議なんだけれど。歴史上の人物に同姓同名の人がいたなんて思いもしなかったし、まぁ、隊士の弟というだけで隊士でも何でもなかった男性の存在なんて一部の熱狂的なファンしか知らないだろう。それが女性だったとか何だとかの説が出て、先日のドキュメンタリー番組に取り上げられていたに過ぎない。
ちょっとお茶でもしない?と彼が言う。これ以上人といるのも疲れるな、と思い「とっても行きたいんですが、受験勉強で」と眉尻を下げて残念そうな表情を繕った。そんな私に、彼は何がおかしいのか、くすくすと綺麗な笑みを浮かべながら「それは残念」と肩を竦める。

「じゃあ、分かれ道まで一緒に帰ろうよ」

分かれ道が何処なのか知らないが、それでもまぁ家まで同じということはないだろう。もしかするとこの先の駅で分かれるかもしれない。パッと笑って「そうしましょう」と頷けば、安堵か寂しさか、彼は静かに微笑んで、緑のカーディガンの裾を軽く指で握った。

「どこ受験するの?僕としては薄桜学園がおすすめなんだけど」
「そう言えば、沖田先輩剣道部だったんですね!」
「あれ、言わなかったっけ」
「薄桜学園ということだけは聞きましたけど、部活までは聞いてないですよー!」

さっき友達に見せて貰ったんです、と笑えば、そうなんだ、と彼は興味もなさそうに頷いた。

「じゃあ、一君も見たのかな」
「?はじめくん?」
「ううん、君の"知らない人"」

ぴり、と鋭い空気が肌に刺さり、そうなんですねと私は会話を終わらせる。ああ、この人のこの目だ。"私"を見ているようで、"私"を見ていないような。温かいようで、冷たいような。ちぐはぐなこの翡翠の瞳は私にひどい違和感を覚えさせ、ひどく息苦しくさせる。
少し間が空いて、じゃあ僕、ここだから。と彼はひらりと手を振った。そろそろ人に疲れ始めた頃だった為、内心安堵しながらぺこりと頭を垂れた。

「夏、学校見学に来れば良いよ。確か今からの時期から申し込みでしょ」
「確かにそうですね!すっかり受験シーズンですよ、嫌になっちゃいます」

態とらしく泣き真似をすれば、「下手くそだね」と彼は笑う。
ぽつり、と雨が降り始めた。


再来は夢のなか


  なにもしらない少女がひとり、

[2/8]
prev next

back
×
「#甘甘」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -