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とびきりの唇をあげる

その日の天気は急激に変わった。朝は晴天で、千鶴ちゃんが「良い天気だね」と嬉しそうに微笑んでいた時が懐かしい。そんな天気だからこそ、放課後まっすぐ家に帰るのは少し惜しく、彼氏の委員会が終わるのをまって、彼の家に来たんだ。俗に言う自宅デートだよ!

そこまでは、特に変わりのない日だった。
ただ、冒頭にも述べた通り、天気は急激に変わったんだ。

それは嵐のようだった。中庭に生えている木は風に吹かれ揺れており、雨は地に打ち付けられ、太陽は分厚い雲に覆われた。

「……唐突だな」
「女心は秋の空、だっけ?身に染みて体感できたね」

ふうっと息を吹き掛けたミルクティーの入ったマグカップを静かに啜り、ことりとテーブルの上に置く。それにしても、と口を開いては音の激しさを少しは緩和していると思う窓ガラスへと顔を向けた。

「帰れなくなっちゃった」

時刻は八時を越えている。一時期の雷雨で収まればいいけど、多分それは厳しいように思う。幸いなことに明日は休日だし、彼だって部活は無かった筈だ。私の発言に、彼は罰が悪そうに目を伏せた。大方両親に送ってもらう手を考えたのだろうが、彼の両親は今日は留守で、お兄さんはサークルの旅行にいっている。携帯で友達に連絡を取り、画面を消して、彼が"弱い"と言う表情でこてりと首をかしげた。

「……泊めて?」
「っ?!い、いや、確かにそれしか手は無いだろうが……」
「大丈夫だよ、友達には口裏合わせてもらうことにしたしね!」
「先程携帯に触れていたのはそういう理由か」

うん、ダメ?と笑って尋ねると、なんだかんだで甘い彼は何も言えなくなるのを知っている。何十秒も悩みに悩んで、「仕方ないな」と首を縦に振ったのは、やはりこの天気のお陰だろう。

「夜は一緒に寝ようね!」
「な、何故そこまでせねばならんのだ。そもそも恋人とは言え結婚もまだと言うのに、男女で同衾などというのは、」
「大丈夫大丈夫、私たちの未来は明るいよ」
「何がだ」
「え?私と結婚するのは嫌なの?」
「そうとは言ってないだろう……!」

わざとらしく唇を尖らせると、彼が強く言えなくなるのを私は知っている。かといって生真面目な風紀委員である彼のことだ、きっと「リビングのソファで寝る」「寂しいなら俺が床で寝れば良いだろう」とか言って、絶対に承諾してくれない気がする。となれば私が取るべき行動なんてひとつだ。私のマグカップが空になっていることに気付き立ち上がった彼を、「はじめー、どーん」と後ろにあるベッドに押し倒すだけ。

「な、何をしてるんだ。退け」
「はじめ、ぎゅう」

へらりと笑って擦り寄れば、ほらね、何も言えないでしょ。狡いって知ってるよ。私、分かってるんだから、そういうこと。
人工的な匂いはひとつもしない彼は落ち着くから好きだ。ぎゅうと腕に力を込めれば、うとうとと穏やかな睡魔が私の瞼に降ってきた。

「……みょうじ、眠たいのだろう?俺は下に布団を敷くから、もう寝た方が良いのではないか」
「うん。だから一も、一緒に寝よ。ね?」
「しかし、それは……」
「付き合って半年経ってるよ、抱き合って寝るくらい咎められない」

それでも口ごもる彼を目だけで見上げれば、綺麗に整った顔が、拒絶の色ではなく赤色に染まっていたことに、少し安心した。それと同時に嬉しくなって、もう一度抱き締める腕の力を強めた。そして首筋に額を寄せたのは、彼も抱き締め返してくれないかなと言う期待を込めて。そんな期待をボロボロに打ち砕くように、彼の手は依然としてベッドに縫い付けられている。一度私の名前を呼んだかと思えば、重苦し溜め息が漏らされた。本人には言わないけど、この溜め息は少し好き。

「……、分かった。一緒に寝てやるから、上から退いてくれぬか」
「成る程確かに重かったね!」

一緒に寝てやるの一言が嬉しくて、それだけで上機嫌になれた私は笑顔で彼の横へと寝転んだ。やれやれと彼は呆れた様子で、いつもの流れで額にキスのひとつをくれると思いきや、まさかの背中を向けられた。ん?んん?背中?

「背中合わせなら問題あるまい」
「酷いよ、一!馬鹿!!私のほうを向いてよ!」
「あんたもあちらを向け。それならば温もりも感じられるゆえにあんたも満足だろう?」
「満足しないよ!何も満たされないよ!!」
「何故?」
「ナニユエは私の台詞だよ!ナニユエ!!」

背中だと寂しいでしょ!!そう喚くと、背中を向けたまま、重く「なまえ」と名前を呼んだ。その瞬間、しまった、と頭に後悔の念が滲む。我が儘を言い過ぎたかもしれない。一は私に譲歩して、一緒に寝てくれると言ったのに。

「ご、ごめんね。やっぱり背中合わせでいい。……だから、一緒に寝ないとか言わないで、ください」

別に言われたわけではないのに、私の方からそんな事を言ってしまったと、彼に背中を向けた後で泣きそうになった。

「……、そんな声を出すな」

ぎしりとスプリングが軋む音がしたと同時、ずっと今日一日待ち望んでいた温もりに包まれる。「一、ツンデレday?」と緩む顔を誤魔化すように尋ねれば、間髪を入れずに否定の言葉が耳に通る。

「俺も男だ。……この状況で、好いた者に抱き付かれたままだと、平静を保てる自信は無い」

今どんな顔をしているかが気になって、彼の顔を見ようと振り向く前に温もりは離れ、また彼の背中しか目に入らない。それでも、拒まれた理由がそんなものだと分かり、ふへへと笑ってはぎゅう、とまた背中から胸元にかけて腕を回す。若干焦りを帯びた声で、「だから」と言う彼の言葉に重ねるように言葉を紡いだ。

「私も女の子だよ。この状況で、好きな人に抱きつかずにはいられない」

身体中から伝わる、彼の早くなっていく鼓動に、心の底から嬉しくなった。その心音だけが私の細胞すべてを支配すると、外の大雨なんて存在すら忘れてしまっていた。



くびきりの唇をあげる


  だから緩やかなぬくもりをちょうだい


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