50000hit企画 | ナノ


兎を乗せた月

「……なんでいるんですか」

今日は沖田さんの容赦ない稽古で、いつもに増してくたくたに疲れきっていた。なので隊士の方々が済ませてからさっと湯を浴び、雪村さんに湯殿が空いたことを伝えれば早々に部屋へ戻って夜着に着替た。そうしてもう寝ようかと思いながら布団を敷いていたとき、暗くなった部屋に月が一本の線を引いた。言わずもがな、それは人為的に明かり障子が開けられたと言う事を表しており、挨拶も無しで入ってくるなんて思い当たる人物は一人しかいないので顔を向けると、全く予想外の人が立っていた。

「ほう。この俺様にそんなことを聞けるとは、相変わらず生意気な奴だな」
「風間さんは相変わらず偉そうですよね!」

にこやかに微笑んでそう言ってやると、無礼な、と言わんばかりに風間さんの眉が寄せられた。晒を外してなくて良かったな。あと数分、風間さんが来るのが早いか私が着替えるのが遅ければ、性別なんてバレて当たり前の事態になっていた。

「土方に用があったのだが、生憎留守だったようでな」
「土方さんたちは島原ですからね!まぁ今夜は残念と言うことで夜も遅いし気を付けてお帰りください。そして俺はお休みなさい」

相手にしていたら駄目だと察するやいなや布団に潜り込んだ。そのまま泥のように眠る……はず、だった。のだが。「ふざけるな」と言う声と共に遠慮なく布団が剥がれ、昼間は暖かくなってきたとは云えやはり夜はまだ少し肌寒い風が私を襲う。

「なにするんですか鬼畜!最低!キャー犯されるー!」
「男の癖に態とらしい裏声で気色の悪い事をぬかすな。俺にそういう趣味はない。……まぁ、」

先程まで不敵に私を見下ろしていた風間さんが覆い被さってきた事で、その顔が真上に来る。

「貴様の為にそういう趣味を作ってやっても構わんが」

気色の悪いことをしてるのはどっちだ!!そう叫んでは近づいた顔を押し退ける。あんまり密着させると流石に不味い。何が不味いって、本来ある筈のものがないことも、本来無い筈のものがある(といっても微妙な程度だ)事もバレてしまうじゃないか。本格的に焦りを感じる私の手を取り、その手首に口を寄せ「華奢だな」と言っては愉快そうに鬼の口が弧を描いた。

「やはり、貴様のその焦った顔は悪くない」
「本ッ当何しに来たんですか?!俺は今日凄くすごーく疲れてるんです。早く寝たいんですよ!!」

渾身の力を込めて押し返しているのにびくともしないのは、男と女の差と言うより鬼と人間の差なのだろう。現に、先日は酔った藤堂さんは押し返せた……いや、藤堂さんと風間さんを比べるのが間違いなのかもしれない。
じたばたともがけば、くつくつと押さえた笑みを溢して私の上から鬼が退いた。こうなってはもう眠るのは一度諦めた方が良さそうだな。そう思って身体を起こして「天霧さんは?」と尋ねれば、置いてきた、と。置いてきたじゃない。来るなら保護者同伴で来てください。

「いいから月見をするぞ」
「はぁ、一人でしてください。俺は寝ます」
「先程のような目に遭いたくなければ素直に頷くべきだと思うが?今度は止めんぞ」
「あんたさっきそんな趣味はないって言ってましたよね?!」
「それに、――女鬼は今、湯殿らしいな?」
「!」

風間さんの言いたいことが分かった。分かったからこそ、同じ女としてもみょうじなまえ君としても背筋が伸びた。その動作に気付いた鬼は、にやりと人の悪い笑みを浮かべ、「女鬼が、あられもない姿のまま連れ出されるなぞ、見たくないだろう?」そんな事を言ってくる。

「それしたら男として最低ですからね!」
「それならば、自分がただ頷くだけでそのような事態が避けられると分かっていて頷かないお前は男としてどうなんだ?」

敗けだ。潔く認めよう。今日は、完全に私の敗けだ。雪村さんを盾にするなんて、卑怯な手を使ってくる。……。くそ。「付き合えばいいんでしょう?!」半ば自棄になった様を繕って立ち上がると、用意周到な風間さんは縁側に既に月見酒の用意をしていた。計算済みだなこの男。何故、今日に限って土方さんも天霧さんも居ないんだろうか。うっかり遠い目をした私を気に掛けることなく、座れ、と一言指図した。

「風間さんって本当俺の都合どうでもいいですよね。強引な男は良くないですよ」
「ふん。俺から誘われる事を光栄に思え、塵虫が」
「ゴミ虫?!あんた今ゴミ虫って言いました?!」
「喧しい。月見の時くらい静かにしろ。人間は風流も分からんのか」
「少なくとも疲労困憊で今にも寝そうになってた人間にそんなもん求めないでください……。風間さんと話してると一気に疲れが……」
「散々言うが貴様は俺様に対して敬意を払え」
「払う敬意がどこにあるんだか」
「貴様……」

はい。と徳利の口を風間さんに向ければ、「ほう、流石の貴様もこれくらいの事は気がつくのか」と何とも失礼な言葉と共に御猪口が向けられる。それに静かに注ぐ間は、どちらも何も話さない。ついで自分のお猪口にも注いでから、ふと月の方を見た。あぁ綺麗だな、と、素直に思う。

「今日は見物らしいと不知火が言っていた」
「へぇ、不知火さんが。……だけど、昨日も綺麗だったんですよ」
「何?」

お猪口に口をつけ、ちびりと含んだ少量の酒は、唇を潤すことはあっても喉を潤す程度ではない。ただそれだけでこの酒の強さが知れた。酔い潰そうだとかそういう魂胆は見えないので、きっとこの人は酒に強いのだろうと頷く。

「昨日も、一昨日も、月は綺麗です。けれど誰の心も単純ですから、この日に綺麗なものが見えると聞いたら、格別綺麗に見えるんですよ」
「……ならば貴様は昨日と大差ないと?」
「いえ、……俺も、大概単純な心をしていますから」

綺麗だと、そう告げれば「最初からそう言え」と空になった杯を向けられる。少しは自分で注ごうと云う素振りも見せればいいのにと、聞こえるように溜め息を吐きつつも、それも風間さんらしいかと思い酒を注ぐ。

「……俺ね、小さい頃、月は兎がかじっていくんだって思ってたんです」
「ほう?」
「で、星はその兎の食べこぼし」

そんな事を無邪気に信じていた頃くらい私にもあった。それが学校で物事を学んでいくにつれ、星は宇宙に散らばる隕石と云う岩だったり、月の満ち欠けは太陽の光が関係していたり、と、夢もへったくれの無い事ばかり覚えていった。それは大人になる為に必要な事なのかもしれないし、そこにロマンを見出だす人も少なからずは居る。
けれど、夢や幻想を捨てなければ大人になれないと云う事実は、少しの寂しさを心に生んだ。
その寂しさをも飲み込もうと、酒を喉に通す。

「……。人間はそのような迷信が好きだな」
「風間さんは嫌いなんですか?」
「興味がない」

流石の風間さんにも可愛い時期はあると思ったのになぁ。くすくすと、からかい混じりに笑いながらそう言うと、どういう意味だと怪訝そうな表情が向けられる。どういう意味も、そういう意味ですよ。

「……ただ、雲には乗れると思っていた」
「ぶはっ!」

思わず噴き出して縁側の床をバンバンとそれでも少しは遠慮して叩く。この人が、そんな可愛らしいことを信じていたなんて!私の反応が面白くないと言わんばかりに睨まれているのが突き刺さる視線で分かったが、それでも溢れる笑いを押さえる術は知っているけど使わなかった。

「……珍しいな」

ぽつりと呟かれた言葉に、「え?」とうすら滲んだ涙を拭いながら首を傾げた。

「貴様のそのような笑い方は、珍しいと言ったんだ」
「そうですか?雪村さんに聞けば、そんなことはないって言うと思いますよ」
「……ふん。あいつらに見せる表情と俺に見せる表情は違うであろう?」

俺の前では、あんな風に笑わぬ。風間さんははっきりとそう言ってから、強い酒を一気に煽った。そんな飲み方で、よく保つものだ。「どうでしょうね」と笑っては、言われる前に、その空になった杯に酒を注ぐ。

「……風間さんって、いつ分かったんですか?雲に乗れないって事」
「いつ、と聞かれると分からんが……、天霧に言われた覚えがある。まぁ、童の頃の話だ」
「寂しくありませんでした?雲に乗れないって、知った時」

すぐに否定の言葉が返ってくるかと思えば、意外にも風間さんは肯定も否定もしなかった。ただ、静かに杯に口をつける。ふと私の手にある杯に目をやって「減っていないようだが?」と聞く目にはからかいの色は見えない。

「これでも飲んでますよ!その酒が強すぎるんです」
「心配は要らん。酔い潰れたときは気が向いたら部屋まで送ってやる。面倒くさかったら放っておくが」
「うわ……、自分から誘っておいて最低だこの人」
「人ではなく鬼だがな」

こういう場合はどちらでもいいですよ!そう叫びそうになったのをグッと堪え、代わりに盛大な溜め息を漏らした。
けれど、まぁ。

「……悪くはないですね」
「何?」
「お月見。案外、悪くはないです」
「ほぉ……。貴様もようやく素直になったか」
「だから!そうやってナチュラルに腰を抱くの!勘弁してください!!」
「貴様は着膨れするのか?普段の袴に比べて格段と細いな。男の癖に、それこそ女みたいだが」
「それって喧嘩売ってます?!」

そりゃあ、袴の時は腹にも布を入れてますからね!!そんなこと云う筈もなく、ぐぐぐと出せる全力の力で風間さんの身体を押し返す。にやにやとした笑みには建前抜きで心底腹が立ってくる。
行儀が悪いとも思ったが、性別がバレるよりマシだ。門の方を見て、わざわざ「あ、土方さん!」と声を張り上げる。まぁ、実際はいないわけだが。それでも一瞬緩まった拘束にパッと身を離し、襟元を整える。勿論睨む事も忘れない。それを軽く受け流すのが、目の前の男だと知っている。

「……本当に男色の気が有るのかと疑いますよ」
「だから貴様の為に作ってやらんでもないと、言っているであろう」
「風間さんが作っても俺には無いんで」

それにしてもよく簡単に離したものだと思えば、門の方から話し声が聞こえてくる。本当に帰ってきていたのか。そしてそれを、この鬼はちゃんと気付いていたのか。

「ふん、見つかれば面倒だな。帰るか」
「土方さんはいいんです?」
「月見酒は終わった。もう奴に用はない」
「俺のせいで土方さんがフラれたみたいな感じですか」
「そんな感じだな」

まぁ冗談だが。と、風間さんは付け足した。この人も冗談を云うんだな。いや、いつも冗談みたいなことをしてくるけれど。

「…………今度来るなら、俺が眠たくない時にしてください。あぁそれと、酒はもう少し弱いやつで」
「ほう?」
「案外楽しかったですよ、お月見」

その言葉に風間さんは何やら満足げな笑みを浮かべ、そのまま闇の中へ消えていく。
帰ってきた方々に出迎えの言葉を送ってから、やっと私は布団に入って眠りに身を委ねた。

後日、風間さんが少し弱めの酒と、肴の代わりか甘味を持って部屋へとやって来たのは、また別の話。



兎を乗せた月


  鬼も人もたいして変わらないもので


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