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一瞬の初恋に零れた涙

恋をしたことがない。夢を持ったことがない。そんな私は、自分の存在理由を、ずっとずっと探している。ただそれは、とてもとても難しく、深海で一枚だけ特定の貝殻を見つけるようなもの。いや、もしかすると見つけるのは鳥の羽かもしれない。

「……新選組?」

数年前に設立されたばかりの図書館は、私の指折りのお気に入りスポット。そこで見つけた、だんだら模様の表紙には、でかでかとそう記されていた。
聞いたことはある。江戸時代に京都で見廻りをしていた人たちのことだったっけ。詳しくはわからないけど、近藤勇くらいなら分かる。有名なのは教科書にも書いてあった、池田屋事件だ。
気分。ただの、ただの気分。ふとその本をとって、ぱらぱらと目を通し、自分の座っていた席まで持ち帰る。

ゆっくりと読み進めている内に、分かったことがひとつ。彼らは強い。強くて、儚い。将軍に見捨てられようと、組が分裂しようと、中には労咳にかかろうと、捨てない誇りがそこにはあった。"誠"という文字が、とても大きく見えた。目頭がツンと痛んだ。理由は知らない。
私はなにをしているのだろう。何を見ているのだろう。何を信じ、愛し、貫いてきただろう。ここ近年で一気に下がった視力で見る視界が、いつもよりもぼやけて見えた。焦点の定まらない、私の視界。背表紙にあるタイトルが見えない。こんな何万冊もある本の、一冊も見えない。

ふいに怖くなった。

怖くなって、目を閉じた。

耳元で声が聞こえた気がした。

聞き慣れない男の人の声だ。

私は目を開けた。

そこは見慣れない街中だった。

「……は?」
「どうした?」
「いや、えっと、誰?というか、何で外?」
「見廻りをしていたところだろう?寝惚けているのか」

そう目の前の襟巻きの男は溜め息をついた。とても綺麗な人だった。しかし直ぐ様、寝惚けているのはそっちの方だと反論したくもなったが、街の様子が些かおかしい。いや、元々室内にいた私が外にいる時点でおかしいのだが、ビルがひとつもない。ビルもなければサラリーマンも女子高生もいない。時代劇のセットによくありそうな風景。「……なにかのドッキリ?」思わずそう言った私に、また彼は怪訝そうに首をかしげた。

「あんたは何を言っているんだ。具合でも悪いのか?」
「頭がおかしいって言いたいの?!可笑しいのはそっちだろ馬鹿!!」
「……おい。いくら隊長補佐だと言っても、そんな口を利くな」
「ホサァ?」

ぎろりと此方を睨んだ瞳に気圧され、ウッと少し身を引いた。とにかく自分の身を説明するものがいるかとパーカーのポケットをまさぐった。否、まさぐろうとした。

「……は?へ?」

いつの間にか私の服装は袴に変わっていて、羽織っているのは数分前まで読んでいた表紙と同じ模様をした羽織。「え?え??」と一人困惑している私に、襟巻きの彼は呆れたように溜め息を吐いた。

「日頃の疲れが溜まっているようだな。先に屯所に帰って寝ていろ」
「屯所て」

道が分からないんですけど?歳もそう変わらないであろう男に、そう首を傾げると、再度溜め息を吐かれ耳に口を寄せられ、声が耳へと入り込んだ。

「甘えるのは二人だけの時にしろ」

低く囁かれた声に、ズザアッと距離を取った。昔から声に弱いんだ私。「な、ななななにが!!!」叫ぶようにそう叫んだ私の顔は、確認せずとも赤いんだろう。男は、本日三回目の溜め息を吐いた。



「今日はどうしたんだ」

不思議そうに尋ねられ、私が聞きたいですと言わんばかりに私の座る布団の傍らで座る男を一瞥した。何がどうなってるのかが分からない。男はそんな視線に構うことなく話を進める。やれ具合が悪いのかとか、やれそれならば早く寝ろ、とか。私は健康そのものだし、おかしい言えばこの状況だ。
「平成に帰らせろ!!」そう叫んだ私に問答無用で布団が被せられた。扱いの雑さが窺える。

「最近疲れがたまっていたのだろう?気づかなくて悪かった」
「……いや、そういうわけでは」
「しかし馬鹿はいただけぬな。いくら、こ、恋仲と言えど公私は分けるべきだと言っていると思うが」
「は?!」

ここここ恋仲?!恋仲って恋人だよね??!「何だ?」と勢いよく上体を起こした此方を見た男の夜空のような瞳には、ただ間抜けな顔した人間がパクパクと鯉のように口を開閉していたのだから馬鹿みたいだ。しかし、分かったことは、その馬鹿みたいな人間の顔がはっきりと映らないこと。

誰かと間違えていませんか。貴方は誰を見ているんですか。貴方の見ている"恋仲"は、私は、ただ貴方の恋仲の皮を被った間抜けな女なのかもしれません。

「……あの、貴方は」
「いつも通り、一でいい。もう此処はあんたの部屋で、いるのは二人だけだろう?」
「はじめ、さん」

不思議そうに首を傾げられ、やはり変なものを食べたのか、と訝しげに眉が寄せられる。からかってみただけだよ、と笑って「はじめ」と呼ぶと、はじめは満足そうに頬を緩めた。

(こんな優しそうな瞳が、存在したのか)

そんな瞳、誰にも向けられたことがなく、その事実が何よりも悔しい。はじめ、はじめと、今しがた聞いたばかりの名前を何度も繰り返したのは、その瞳をずっと見ていたいからだろう。
たとえ、その瞳を向けられてる相手が私ではないとしても。間抜けな上に愚かな女に落ちぶれてしまっても、いいとすら思えてしまう。

「今日は、やけに名を呼ぶのだな」
「うん、呼びたい。はじめの私を見る目が、とても優しいから」
「……いつもと同じだろう?」
「なら、いつも優しい目をしてるんだよ」

愛しいものを慈しむかのように細められる瞳。こんなにも穏やかに愛される"彼女"は、とても幸福者だろう。
とくりとくりと鼓動が徐々に早まる初めての感覚に、いけないと馴染みのない着物の胸元をギュッと握りしめた。
そんな私に、心配そうに眉を下げたはじめは、今度は「胸が痛むのか?」と。

「痛いわけじゃない、痛むんじゃないよ」

この感情が何なのか知ってはいけない気がして、そんな気持ちとは裏腹に早くなっていく心臓を、握り潰してしまいたいだけ。つい最近読んだ和歌の本にあった一句を思い出した。幸せのなかで死んでしまいたいと、そんな内容だったろうか。ああ、今の私も同じだ。

「寝た方がいいのではないか?」
「ううん、寝たくない」
「何故……、ああ。心配せずとも夕餉の刻には起こす」
「そんな理由じゃねえよ!!」
「再三言っているが、乱暴な言葉使いは感心せぬな。……それより、何故寝たくないのだ」
「なんでだろうね、夢から覚めたくないのかも」

起きているのにか?首を傾げるはじめに、何か返事を返すでもなく、困ったように笑ってみせた。

「少し、怖いんだよね。目が覚めたら、はじめがいない気がする」
「……今日のあんたは、いつもと違うな」
「あははっ!確かにね。……こんな私は嫌い?」
「嫌ではない。寧ろ、少し甘えられているような気がして嬉しく思う」

その言葉が向けられているのは、私にではない。けれど、それでも"私"を嫌ではないと、そう言ってくれた。先程から胸元を掴んでいた私の手に、そっと優しくはじめの手が触れる。今度は私が首を傾げて見たはじめの頬は、少しだけ赤かった。

「……あんたが起きるまでだ。何処にも行かぬ、傍にいよう」

どくり。今度は大きく跳ねた心臓を今度こそ握り潰そうと思い、ぎゅうっと手に力を込める。そして無意識に頬を伝ったのは、言わずともわかる、ソレだった。驚いたように目を丸め、ソレを拭うために頬へと伸ばされたはじめの手は、痛いほどに優しい。

「な、何故泣いている?」
「はじめ、」

はじめ、はじめ、はじめ。添えられた手に自身のを重ね、何度も何度も名を呼んだ。なんでこの人の想う人になれないんだろうか。どうして、私は此処に生まれなかったんだろう。退屈な人生に鬱屈していた私が、何度こうして誰かの前で涙を流したことだろう。きっとそれは、赤ん坊の頃を除けば、片手で数えるに事足りる。

「あなたに、あいされるひとは、しあわせものだね」

それが、本当に私であったら良かったのに。

「……愛しいと想うのは、ただひとりだ、」

名を紡ぎそうだったはじめの唇に、人差し指を当てた。はじめが見ている人間が、私ではないと思い知りたくなかった。

「"私"の事、好き?」

こくりと、確かに頷いたはじめに、それで充分だと微笑みを浮かべ、添えられた手に指を絡めて瞼を閉じ、布団へと堕ちた。その後にはじめが少し唇を動かした気もするが、耳に届く前に闇に染まった。

「……ああ、何より愛しく想う。――なまえ」

* * *

「……せん、すいません」

ゆっくり瞼を持ち上げると、職員の制服が視界に入った。私の顔を見た女の職員は目を丸め、体調を問い、大丈夫だと言えば遠慮し勝ちに「館内での居眠りは禁止ですよ」との注意し、また戻っていった。
読みかけの本に添えられた手が、酷く寂しく思えた。理由は分からないが、温もりがあった気がするんだ。掌の下のページには、新選組隊士の名前があった。

「さいとう、はじめ」

ぽつりとページに書かれた名前を呟くと、きゅうっと心臓が痛んだ。



一瞬の初恋に零れた涙


  知らない名前を愛しく想う




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