がらくた酸素 ぽかぽかとした、冬にしては暖かな昼下がり。この頃よく遊びに来る黒猫のとしぞう(命名したのは沖田さんだ)と、茂みの影に隠れて日向ぼっこをしていた。猫の顎の下を指で擽れば喉が鳴る。その声に少しだけ癒されながら、真っ黒な毛に顔を埋めた。え?何故隠れているかって、そりゃあ……。
「あ!なまえ君、何してるの?……わ、猫ちゃんだね」
「……。どうしたんです?雪村さん」
「あ、あのね!お団子、一緒にどうかなぁって」
「んー、食べたいのは山々ですけれど、としぞうが。折角寛いでくれてるのに、俺が立ち上がると、ね」
「あ……、そっか」
「此方のとしぞうくらい休ませてあげないと。彼方の歳三さんは休んでくれませんけどね!」
「もう、なまえ君ってば」
くすり、と、雪村さんは可愛らしく笑うけれど、私が隠れていた原因はこれだ。朝からどう言ったことか、何時もに増して絡まれる。説明する必要もないと思うけれど、私、みょうじなまえは此の雪村千鶴と云う少女を苦手だ。別に彼女が私に対して失礼を働いたわけではなく、理由は唯の劣等感とか羨望を交えた軽蔑とか、まぁ詳しく説明する事でもないだろう。とにかく、出来るなら剰り関わりを持ちたくない。そういう分類の人なんだ。
それなのに何故かこの人は私と仲良くしたいらしい。確かに素の自分を見せていない分、嫌われる事は少ないとは思っているけれど、それでも此処まで人に好かれる性格ではないと思う。そもそも結構私は態度に出している気もするんだ。それでも気付かないほどに鈍いのか、天然なのか、それとも単に気付いていないフリをしているのか。真相は誰にも分からない。まぁきっと前者なのだろうが。
「あ、としぞう」
にゃあ、と一声鳴けば、するりと猫が私の腕から逃げれた事で私の断る理由は何もなくなった。あの方々だけでなくお前まで雪村さんの味方かとしぞう……!
「行っちゃったね」と言いながらも、僅かに雪村さんの表情が明るくなった。溜め息を吐くのだけは避けながら、「それなら、団子をいただいても良いですか?」とはにかんだ笑みを貼り付けて首を傾げる。「うん!それならお茶を淹れてくるから、後でね」と雪村さんは表情を綻ばせながら勝手場へと駆ける。その後ろ姿を見送ってから、溜め息を吐いて縁側へ足を向かわせた矢先に、「捕まっちゃったんだ?」と笑みを含んだ声が掛かった。
「……見てたなら助けてくれたら良いじゃないですか。俺があの人を苦手なの、知ってるくせに」
「あはは!やだよ。あんなに健気に君と仲良くなろうとしてる子を邪魔できる程、僕は鬼じゃないもの」
「この屯所に俺の味方は居ないんですか……」
「少なくとも、君と千鶴ちゃんとの此の件に関しては居ないだろうね。「なまえももう少し千鶴と仲良くしてやれば良いのになぁ」って、君の"兄上"も言ってたよ?加えて、さっきとしぞうにまでフラれちゃってたし」
どこから見てたんだこの人、と僅かに眉を寄せて睨み付ければ、私の考えていることを見透かしたように、
「君がとしぞう相手に猫語で話してる辺りからかなぁ。なんなの、あの"どうしたらいいにゃん?"って。流石の僕も吹き出しそうになったよ。伽羅違うでしょ」
「本当に最初から見てたんですね?!本当に悪趣味だな!そして沖田さんにだけは見られたくなかった!!」
十数分前の私を穴に埋めたいほどに恥ずかしい。絶対に此の表情は暫くネタにする気だろう。そんな風に話をしていると、もう縁側に着いた。今から心が重たいのだけれど、そんな私と正反対に隣の沖田さんはにやにやと愉快そうに私を見下ろす。
「いい加減、仲良くしてあげれば?別に君の正体を明かせって言ってるわけじゃないんだし」
「…………私だって、出来る事ならそうしてます」
それは、小さな、小さな掠れた声だった。
「お待たせ、なまえく……って、沖田さん?」
しめた。一瞬でそう思って「先程お会いしまして。そうだ!沖田さんも一緒にどうですか?」と人懐っこい笑みを沖田さんに向ける。が。
それを受け入れてくれる程、彼が優しいわけがない。
「そうしたいけど、僕は今から一君と出掛ける処があるんだよね」
にっこりと胡散臭い爽やかな笑みでそう言ってのける沖田さんに、「絶対嘘だろこの人」とつい本音が口を突いた。とは言え雪村さんには全く聞こえない声量、隣でいる沖田さんですら聞こえたか怪しい程度だったのだけれど、どうやらこの人はしっかりと耳に入れたらしく、人の悪い笑みを浮かべた。
「――ああ、そうそう。その僕たちが出掛ける処、少し遠いんだ。だから今日の夕餉の買い出し、僕の代わりになまえ君が行ってよ。千鶴ちゃんもそれで良いよね?」
「えっ?も、勿論です!」
「ねぇなまえ君?君は女の子一人買い出しに行かせて、重たい荷物を持たせる、なんて男じゃないよね?」
この人は本当に、私が言うのも何だけれど嫌な意味で頭が回る。ついでに口も回る。そんな事を言われて、みょうじなまえと云う"男"が拒否できる性格をしていない事が分かっている。分かっているから、質が悪い。性格が悪い。「勿論ですよ!沖田さんじゃないですから」と余計な一言を付け足したのは、私の細やかな抵抗だ。
「それじゃあ、宜しくね。僕はもう行くから」
ひらひらと手を振って私達に向けた沖田さんの背中を見ながら、らしくもない舌打ちが出そうだ。出そうなだけで、出す筈はなく、いかにも楽しみにしていましたと言わんばかりに縁側へ腰を下ろす。「雪村さんのお茶、美味しいから好きです」と笑いながらだ。
雪村さんが隣に腰を下ろしてから、団子の包みを広げると、三種類の団子が其々数本ずつ並んでいた。「なまえ君はどれが好きかな?」と聞く辺り、私の好きなものが分からなくて店に置いてあった種類を全て数本ずつ買ったのだろう。しかし、きっとそれは雪村さんではなく、そうだなぁ……、原田さんや永倉さん辺りの提案だろうか。あの人達は一際、雪村さんに甘いから。
(仲良く、か)
分かっているさ。だから必要最低限のコンタクトは取っているじゃないか。嗚呼息苦しい。この人が隣で微笑む度に、増す想いは劣等感ばかりだ。守られるのが似合う人。可愛らしい人。だけどそれって、此の組に必要な要素?自分達の命を懸けて戦う人達に、守るべき少女って必要な存在?それなら、剣術を磨くか医療の勉強を寝る間を削ってでもする方が、正しいのでは?
「……なまえ君?あの、口に合わなかったかな?」
「っ、いえ、美味しいですよ!俺達だけで独り占めしちゃっても良いんでしょうか」
「平助君達の分は原田さんが持って行ってくれたから、大丈夫だよ」
やっぱり原田さんが一枚噛んでいたのか。
(――いけない、と、分かっているのに。こんな醜い考え方)
人には似合い不似合いと云うものもあれば、言って良い事と悪い事もある。自分だって未だ誇れる程の剣術は磨けていないくせに、己の状況を棚に上げている自覚はある。だからこそ、その考えを払拭すべく夕餉の話に変えた。
「そういえば、夕餉のおかずは何にしましょうか」
「そうだね。冬だから、大根とか山芋……。なまえ君は何が好き?」
「俺ですか?」
「うん。買い物付き合ってもらうお礼に、なまえ君の好きなもの作るよ」
「……。それなら、長葱の沢山入った煮物がいいです」
きょとんとした顔の雪村さんは、きっと沖田さんが葱を苦手としている事を未だ知らないのだろう。分かった、と笑う彼女と反対に、心中で沖田さんに対し舌を出す。ちょっとした可愛い仕返しくらい、許されるだろう。
彼女は良い子。そんな事くらい痛い程に知っている。だからこそ、この人の隣は苦手なんだ。泥の中の魚が綺麗な真水の中で生きられないのと同じ事。汚い世界で息をしている私には、この綺麗な人の隣は空気がないのと同じことだ。胸の奥が何かで圧迫されている心地がして、そっと、喉元に手を添えた。
がらくた酸素
嗚呼いきもできない
(平助くんがみょうじさんに「千鶴の事嫌いなのか?」と尋ねる少し前の話)
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