50000hit企画 | ナノ


足首に毒草

「……は?今、なんて」
「だからなまえ、女の格好して潜入調査してきてくれねぇか。……島原での一件がある手前、またお前に頼むのは悪いと思うが、今回は刀を抜くようなことは絶対に無ェ」

"あの一件"とは、島原で私が人を斬ったことだろう。本当に言いにくそうに、土方さんはそう言った。私の左隣には、困ったように眉尻を下げて笑う原田さんがこちらに顔を向けて座っている。
別にあの一件に関しては、もう気に病んではいない。忘れてしまったわけではないが、不安も後悔も恐怖も、左隣の人が総て受け止めてくれたから。けれど、この人の表情からして、その一件以外で、なんだか嫌な予感がする。

「……刀を抜かないで済むとなれば、女装で潜入調査を共に行った方が"他"にもいるでしょう。それでも私を選んだ理由は?」
「あー……だよなぁ。手前は千鶴みたいに何も考えねぇで了承する奴じゃねえよな」

扱いづらくてすいませんね、と悪態付けば、あ、ほら。土方さんの顔が変わった。本当に言いづらそうに土方さんが口を開いたのは行き先であった。けれど、だからと言って聞き覚えのない単語へ私は首をただ傾げる。

「……?出会茶屋、とは」
「簡単に言や男と女が懇ろになるところだよ。良いか?今回はあくまで動向調査だ、怪しい動きがあったところで刀は抜くんじゃねぇぞ」
「いや良くないですよ。今凄いさらりと言いましたよね」
「……、"預かり物"の千鶴にあんな処行かせられるわけねぇだろ」

あぁ、まぁ、大切な大切なお姫様ですからね。そんな皮肉めいた言葉を心中で溢し、それにしてもこの人は私が聞かなければ行き先を黙っているつもりだったのかと肩を落とす。そもそも私が何を言っても、土方さんが此処に呼んだ時点でこの任務を私が担う事は確定していれば、私自身世話になっている身で断るという選択肢もないのだ。ただ、どうして私だったのか。それだけを聞きたかったにすぎない。
しかしこれで、彼も共に呼ばれた理由が理解できた。恋仲である真似をするには相手役が必要不可欠であり、その相手役が原田さんということなのだろう。土方さん曰く、出会茶屋に入るかどうかは確定ではなく、ただ、間者ではないのかと疑いがかかっている平隊士が、恋人らしき女性と頻繁に其処へ通っている。そこでその二人を尾行しろ、というわけなのだけれど……

「いや、それただの逢い引きじゃないんですか?逢い引きの尾行なんて野暮ですよ」
「馬鹿。それなら俺だって手前らを寄越したりしねぇよ。……平隊士の給金だけで、あれだけ頻繁に通えるわけがねぇ。何度か斎藤に尾行させたが、尻尾が掴めなくてよ。内密な話をするとしたら、茶屋の中だろうってなったんだ。彼処に俺達が行くとも考えづれぇだろうし、何よりあんな処にいる男女は他人の話に耳を傾ける暇もねぇだろうからな」
「……成る程?それなら一理ありますね。私は原田さんの相手役という事で合ってます?」
「察しが良いな。……それに、なんだかんだで手前、最初から断る気はなかったろ」
「世話になっている身で任務を断る程、恩知らずな人間ではないと思っていますよ。……それで?私も女なわけですけれど、"過ち"の心配は」

冗談のつもりで尋ねたその一言に、話が纏まったかと茶を口に付けた原田さんが吹き出した。お茶が変な処に入ってしまったのか、噎せて咳き込む原田さんの背中をゆっくりと擦る。少しして落ち着いたのか、咳き込んだせいで少し赤くなった顔を此方に向け、「あのなぁ」と彼は口を開く。

「お前は俺をなんだと思ってんだ……?」
「なまえ、この原田だぞ?今更、手前みたく面倒くせぇ餓鬼なんざに手を出す筈がねぇだろ」
「そうでしょうね、冗談で言っただけですよ」
「いや土方さん、その言い方はどうなんだよ……」

温くなった茶に口をつける。別に、本気で心配しているわけでもなかった。なかったが、「……餓鬼、か」と二人に聞こえない程度にこぼれた自分の声が、思いの外に寂しそうだったから、それごとすべて胃の奥に流し込んだ。

そして任務当日、屯所から離れた茶屋の奥の部屋。原田さんは豆鉄砲を喰らった鳩の様な顔をしていたけれど、そんな彼の瞳には豆鉄砲を喰らった鳩の様な顔をした私が映っていた。
いつもは後ろにひとつで纏められた赤髪が、今日は高い位置に結い上げられ、個性的な着物は、きっちりと襟元の閉じられた深い藍色の着流しに。未だ呆気に取られている私より先に落ち着きを取り戻した原田さんが、「大丈夫か?」と目の前に掌を翳す。

「あ、あぁ……すいません、少々驚いたもので。……服装と髪型で雰囲気が変わるものですね」
「はは。それを言うならお前の方だろ?化粧もして、何処の姫さんが現れたかと思ったぜ」
「その口説き文句どこから出てくるんですか」

鏡に映った慣れない桃色の可愛らしい着物姿は、私の首を絞めるようだった。桃色は雪村さんを思い出す。こんなに可愛らしい着物は、彼女の白い肌にはよく映えたことだろう。それなのに彼はいとも簡単にそれを誉める。その言葉ひとつで、どれだけ私が舞い上がるか。どれだけ、この胸が脈を打つか。……どれだけ、惨めにさせるか。「素直に馬子にも衣装って言って良いんですよ」と溜め息を吐いた私に、彼は片眉を下げて困った様に笑うのだ。私はその笑顔が何となく好きで、それと同時に"ああ、困らせてしまったな"と思う。私はどうしてこうも言葉を間違えるのだろう、と目を伏せた私の頭上にぽんと彼の手が乗せられる。ぽんぽんと軽く撫でられれば、頭上にひどく優しい声がかけられる

「人の褒め言葉を素直に受けとる稽古が必要だな、お前には」

ーーああ、そうやって、あなたはいつも許してしまうから。
彼といると、土方さんが言った言葉を嫌に想い知る。結局のところ、私なんか彼にとって子どもの一人に過ぎないのだ。子供が着飾ったところで七五三がいいところ。私が卑屈になっても、彼からすれば子供が臍を曲げたに過ぎないのだろう。
私たちの準備が出来た事を確認すれば、土方さんが「行ってこい、決して気付かれる様な下手打つんじゃねぇぞ」と私達に念を押す。

「ほら、行くぞ」
「え」

差し出された手をどうするのが正解なのかと戸惑った私の様子に、原田さんは「よろしく頼むぜ、俺の可愛い恋仲さん」とからかうような笑みを浮かべる。
恋仲。こいなか。そうか、この人は、今日だけの恋仲。ちらりと土方さんを振り替えると、そっと私の高さへ身を屈めた土方さんがひっそりと耳打ちをする。

「……お前の"演技"は買ってんだよ、精々原田を困惑させるくらいの可愛らしい"女"を演じて見せやがれ」

ーーあぁ、この人が雪村さんではなく私を指名した理由は、これか。
雪村さんが大切な預かり物であることより、雪村さんより私の方が手の出される心配がないことより(これは私の勝手な憶測だが)、この人は本当に、心配なんだ。伊東さんの動向が怪しいものとなってきた今、どんな些細な事に対しても気を張らなくてはいけない。この任務に、尾行相手から勘づかれる様な失敗は許されない。加えて雪村さんはあぁ見えて割と行動派というより、その場の勢いで行動することがある。万が一その隊士が"黒"だったとき、その場の勢いで何かされては困るのだ。

「土方さん、早速人の女に手出すのはどうかと思うぜ?」
「馬鹿。乳くせぇ餓鬼なんざに興味ねえよ」

行ってこい、ともう一度土方さんが言う。その言葉に、今度こそ私は"笑って"原田さんの手をとった。恋仲との逢い引きが楽しみで楽しみで仕方のないと言わんばかりのはにかんだ笑顔で。嗚呼、大丈夫だ。原田さんと土方さんの表情が変わった。ちゃんと、仮面は付いた。

「行ってきます」

息抜きがてらなんて物じゃない、これは歴とした、私に充てられた"任務"だ。


町行く人々からの視線が痛い。尾行と言うのならば人選ミスだったのでは無いかと思うくらいに、先程から隣の人物へ視線が注がれている。それもそうだろう、横を歩く男は誰もが認める程整った顔立ちをしている上に、無駄に色気を振り撒くのだから。横に恋仲が連れ添っていたところで、女性からの熱い視線や妬みが向けられるのは予想していたことだった。少し恥じらいつつも臍を曲げたような表情を取り繕いながら彼の袖を摘まめば、女性からの視線に気付いてやきもちを妬いているように見えるだろう。そんな私の動作に彼は一度その手を離し、私の肩を抱いた。余裕そうな笑みで「どうした?」と尋ねる彼に、何でもないと赤くなった顔を背ける事も忘れない。

「……何だかなぁ」

ぽつりと上から溢された声に、どうかしたのかと言う様に首を傾げれば、今度は私の方に何でもねぇよと返された。

「それはそうと……、先程から変わった様子は在りませんね」

ぽそりと彼だけに聞こえるよう呟いたのは、前方に見える"彼ら"に関してだ。例の平隊士と、その相手。人目のつかない桟橋の下で待ち合わせし、今もこうして人気の少ない通りを好き好んで選んでいる様に見える。その様子は、まるで人目を避けているとしか思えず、適切な距離を開けながらその二人の後を着けていた。

「まぁ、そうだろうな」
「?そうだろうな、とは?」
「なまえはあいつらを見てどう思った?」
「どうって……人目を避けている様にしか見えませんが」
「……。なんだ、お前もその質か」
「は?それはどういう意味です?」

そういう意味だよ、と原田さんは答えに成っていない答えで返して、「行くみたいだぜ」と強制的にその話の幕を引いた。そういう意味とはどういう意味だ、そう聞いたところで、もう何も答えないと、少し目尻の垂れた琥珀色した目は語っている気がしたのだ。
彼らがはいっていったのは、土方さんの話通り所謂"出会い茶屋"らしき処であり、それまた怪しく人気の無いところでぽつりと佇んでいるお店だった。……。感想は、何と言うか、落ち着かない雰囲気だ。別に見た目は普通の建物とこれと言った変わりはない。ただ、その建物に入っていく恋仲たちの雰囲気が、違うのだ。この世界に来たのが齢15の頃で、"彼方"にいたときだって、"そういう場所"を訪れたときなど勿論無ければ、"そういう行為"を体験したこともない。だからなのか、何だか落ち着かないのだ。そんな私とは対照的に落ち着いた声が頭上から落ちてきた。

「俺達も行くか」
「え、」
「?なんだ、入らねえとだろ?」
「あ、あぁ、いや、そうなんですけど」
「……まさか怖ぇのか?」

その言葉に僅かに眉を寄せ、「そんな筈がないでしょう」と返す私は存外に扱いやすいのだろう。「そうか」と笑う原田さんは何処と無く楽しそうだ。それもまた癪で、少し前を歩く彼の小指に、するりと自分のものを絡めれば、番台に座る年配の女性がにっこりと微笑んだ。

「……」
「……」

通された部屋は、一見普通の部屋と何ら変わらない。変わっているとしたら、窓が締め切られていることと、日も高い内からぴたりと布団が二組敷かれていることくらいだろう。しかし蝋燭の明かりと僅かな昼の光のみに灯された部屋は、何処か艶かしい。ゆらりと香る香の匂いが、私の"落ち着かなさ"を助長させている様に思える。

「……どうした?落ち着かねえか」
「そんな筈が。……処で、この部屋で良かったんですか?彼らの隣の部屋である確証は、」
「あの二人なら大丈夫だよ。そもそもこの件は、初めから斎藤じゃなく総司……じゃ少し不安だな。土方さんが直々に赴くか、俺や島田に任せておけばもっと簡単に片付くものだ」

は?と怪訝そうに頚を傾げ、何故そんなことが言えるのかと答えを問うた。

「あの娘さんは老舗の呉服屋にいる一人娘。そんでもって、あの平隊士の給金では自分の生活で手一杯だ。云えば身分違いなんだよ、あの二人は」
「……つまり二人は正真正銘の恋仲だと?」
「ああ。身分違いで、特に呉服屋の娘の両親にバレちゃ別れさせられるのは目に見えてる。だからこそ人気を避ける。街を歩くときだって、他人みたいに距離を開ける。ついでに言えば、この茶屋は"お忍び用"だよ。そりゃ斎藤が解らねえわけだ」
「それがなんですか、別にだからといって彼らが愛し合っている理由にはならないでしょう」
「……お前が"解らねぇ"のは、意外だったな」
「だからなにが、!」

ぐっと強い力で腕を引かれれば、彼の腕の中へと雪崩れ込む。突然の事に驚き、その次に訪れた困惑で目を丸めていれば、「あぁ、俺はやっぱりその顔の方が好きだぜ?」と意味の解らない言葉がかけられる。強い香の匂いに彼の香りが混じり、混乱する頭の中で、自分の顔の熱さだけが感じられる。きっと私は、今、馬鹿みたい耳まで赤くなっているんだろう。

「なぁ、なまえ」

一体この人は、何なんだ。いつもいつも振り回すだけ振り回して、何気ない言葉ひとつで、行動ひとつで、私の心を掻き乱して。貴方さえ居なければ、私はもっと冷静にいられた。きっと今だって、貴方でさえなければ、私は、冷静に声が出るのだ。

「……あの二人の表情に、"身に覚え"、あっただろ?」

確信めいた声に、瞳が、私に否定する言葉を発する事を許さない。ああ、嗚呼、あったとも。あの幸せそうに紅潮した頬に微笑みも、男に触れられた時の気恥ずかしげな女の表情も、自分から手を繋げず躊躇っていた女の白い手も。

ぜんぶ、このおとこの前の、わたしだ。この男の瞳に移る、私の表情だ。

するりと私の頬を撫でる男の掌が、冷たいのか熱いのかすら解らない。そのまま自然な動作で、親指の腹が私の唇をなぞる。このまま噛みちぎってやりたい、そんな事を思って緩く開いた口で歯を立てた。

「そんなに煽るなよ」

嗚呼、落ち着かない。落ち着かないのだ。部屋に充満するこの香の匂いも、ゆらりと揺らめく蝋燭の灯りも、彼が呼吸する度に鼓膜を震わす音も、彼の喉笛を震わせる何処か甘さを含んだ心地よい筈の低い声も、優しい筈なのに何故か獣を彷彿させる琥珀の瞳も、そして、自分の心臓の音も。

すべて、貴方で呑み込んで。



足首に毒草


  逃げられない訳じゃなかった、


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