ある日の髪の毛事情 「……シャンプーに、コンディショナー……?ご丁寧にトリートメントまで」
「?何だそれは」
幹部の揃った湯殿の中に、ちょこん、と鎮座しているそれらを見ている両の目を、こしこしと擦ったところであるものは変わらない。ボトルのラベルには堂々たる風格で、其々の名称が書かれているのだから間違いはないのだろう。掌に2回ほどプッシュして、擦り合わせたその泡立ちは、やはりどう見ても紛れもなくシャンプーだった。
「湯を浴びようとしたら置いてあった。不審な物故棄ててしまいたいが、何か分からぬ物を不用意に捨てるのもと思ってな。あんたは異国の言葉も読めただろう」
「……、……。……」
「紗良ちゃん?」
「あ、いえ。 これは髪の毛を洗うもので、怪しいものではありません。ほら、石鹸や椿油の類です。未来の物が何故こんな所にあるのかは不思議ですが」
「へぇ。じゃあ別に危ないものじゃないって事?」
「寧ろ衛生的にもとても良いものですよ。ほら、手に出しましたが何も無い」
「ですって、土方さん」
「衛生面が改善されるもんなら態々棄てるまでもねえか。近藤さんのいねえ時に面倒事が起きたかと思ったぜ。……とは言え、どう使えばいいんだ?」
「それは紗良ちゃんが教えてくれるでしょ。ね?」
にっこり。 表情こそ笑顔だが、それが只の笑顔でないことくらい私にでもわかる。人の意見などあってないものにする彼の笑みにはもう慣れた。溜め息を吐きつつも、ひょっこりと芽生えた好奇心が口を突いた。 申し訳ない気持ちは山々ですけれど、今から少しだけ欲望に忠実になりますね。
「長い髪の、人なら」
「え?」
「どうせ洗うのであれば、長い髪の方の方が楽しいので。私の髪はもう短いですからね。具体的には土方さん、原田さん、斎藤さん、藤堂さん。この四人を洗わせてください」
何だそれは、と皆さんの顔に書いてある言葉には敢えて気付かないふりをする。それにご丁寧に、乳白色の入浴剤まである。これを使えば湯船の中は見えないので、そう抵抗もなく洗わせてくれることだろう。紐を使って袖を襷上げ、袴の裾を短く絞る。
「まあ幹部の方だけで使えばひと月程度の量はありそうですし、沖田さんと永倉さんは使い方でも見ていってください」
お一人で洗えるように、と付け加え、沖田さんにお返しするようににっこりと笑って見せた。
〜斎藤一の場合〜
「一番手とは珍しい」
「副長を、とも思ったが……万一何かあった際に申し訳が立たぬ故」
乳白色の湯船に浸かり、縁に後頭部を置いた斎藤さんは私を見上げてそう言った。「ああ。つまり毒見役ですね」斎藤さんらしい、と付け加え、まずは紫がかった夜空の様な髪を濡らす。そして興味深そうに手元を覗き見る永倉さんと藤堂さんに目を遣り「では、実際に使ってみますね」とキャップを2回押しては掌にとろりとした液体を出す。恐らく斎藤さんの長さなら2回程で事足りるだろう。湯を加え掌である程度泡立てれば、その髪に触れる。
「……意外と、芯のある髪ですね」
「そうだろうか」
「柔らかいかと思っていたので、少し驚きました」
「……。柔らかい方が、あんたは……」
「?」
「いや、何でもない」
気になるでしょう、と聞いても、「何でもない。この話は終わりだ」と一方的に切られてしまった。そちらがそういった態度を取るのであれば、私もそれなりの対応をさせていただこう。「永倉さん、藤堂さん、沖田さん」と声を掛ければ、不思議そうにこちらを見て首を傾げた。
「……待て。何をしているんだあんたたちは」
「何でしょうね?」
「あはははは!!!!一君なんだよその髪!!!」
「?!椎名、あんたは人の頭で何を」
「何でしょうね?“何でもありません”よ」
にっこりとした笑顔で返してみせた。私はただ、御三方にシャンプーで泡立てた髪の毛を一つにまとめ、大きな角の様に立たせられるのを見せてみただけだ。シャンプーっていいですよね。こうして人の頭で遊べるんですから。遊び方さえ伝えれば、後は退屈していた永倉さんと沖田さん、そして興味津々だった藤堂さんが目を輝かせるのは目に見えていた。
「新八さん、見て。兎」
「はははは!!斎藤随分と可愛い頭になったじゃねえか!」
「勘弁してくれ……」
私なら、自力で頭を洗い流して強制的に止めるが、得体のしれない初めてのものを頭につけられているのだから下手に動けないわけだ。四人の様子に思わず、ふふ、と笑みを零せば「その位にしといてやれ」と苦い顔した土方さん。嗚呼、未来の自分を見たのでしょうか。確かにこんな序盤から、沖田さんに教えるものじゃなかったですね。すみません、と言葉だけの謝罪をし、髪についた大量の泡を湯で洗い流した。
「でも頭はすっきりしたでしょう」
「ああ……。だが、洗われる者以外は一度湯殿から出ておいた方がいいだろうな」
「えー。さっきの土方さんにしたかったのに」
「だから言ってるんだ。人の頭で好き勝手遊んで……あんたという奴は……」
「紗良ちゃんに髪が固いって言われて落ち込んでいた一君を慰めてあげただけなのになぁ」
「適当な事を言うな総司……!!」
〜藤堂平助の場合〜
「……」
「本当に、ちゃんと皆さん外に出ましたね」
「あれ楽しそうだったのになあ」
「おや、それなら私がしましょうか?」
「い、いや!それは良いって!」
「それは残念、折角の兄弟水入らずだというのに遊んでくれないんですね」
よよ、と泣き真似をして茶番を仕掛けると、藤堂さんからは「そういうわけじゃねえって!」と焦りを含んだ返事が返ってくるので少し楽しくなってしまう。
「冗談ですよ。一度シャンプーは流しますからね、万一目に入らないように目を閉じていてください」
「ん」
言われるがままに目を瞑る藤堂さんの髪から、泡立ったシャンプーを洗い流した。藤堂さんの腰の下まで届く髪はとても長く、折角洗った髪が縁に後頭部を乗せたとたん、床までついてしまうのが非常に口惜しい。これ、普段どう洗ってるんですかと問えば、特に気にしてねえと、とてもあっさりした答え。 こんなに長く伸ばしているのに、もう少し大切にしたらどうなんだ。よいしょ、と湯船に足を浸からせ、太腿に藤堂さんの後頭部を乗せた
「?!」
「嗚呼、高さも少し出ましたね。それでもやっぱり床につく分は、桶にでも入れておきましょうか」
「おま、何してんだよ!!」
「何って、次はトリートメントですよ。とはいえこれはコンディショナーですけど、折角の長い髪ですからね、艶々にしましょう」
「何でそんなに平然としてるんだよ……!」
「そんな慌てなくても、腰に手拭いを巻いてもらってる上に入浴剤入れてるんですから見えてませんよ。上半身位なら稽古の場等でもう見慣れました」
「そうじゃなくて、脚が」
「脚?袴なら紐で縛り上げてるから濡れませんよ」
「だあああ!!そうじゃねえの!!」
わあわあと叫ぶ藤堂さんに首を傾げながらも、手を進めていく。掌に多めのコンディショナーを取り出して、長い栗色の髪に指を通す。硬かった髪の毛が、少し柔らかくなっている気がして思わず頬を緩めた。
「……。……何か楽しそうだな?」
「楽しいですね、想像以上です」
ふふ、と微笑めば、何やら観念したように藤堂さんは私を見て溜め息をついた。
「楽しいなら、もう良いけどさ……後の土方さんとか左之さんにすんなよ?これ」
「これ?」
「膝枕だよ!!生身だし!言わせんな!」
「嗚呼、この体勢の事でしたか。こんなの藤堂さんにしかしませんよ」
「……それ絶対、髪の長さの事で言ってるだろ。言っとくけど土方さんも変わらねえからな」
「あ、そっか」
「そっかじゃねえ!!絶対駄目だからな!!」
何だかおかしくて、くすくすと肩を揺らしてしまう。「分かりましたよ、兄上との約束ですからね」と軽く小指を差し出せば、まだ疑いが拭えていない目をしつつもその指が絡められる。そんな顔せずとも、もうしませんってば。
〜土方歳三の場合〜
「と、いうわけで髪が床についてしまうやもしれませんけれど、兄上との約束なので。桶に入れるなり善処はします」
「膝枕がどうとか言ってやがったな」
「うわ、聞いていたんですか」
「あんだけ大声で喚いてりゃ聞かねえっつう方が無理あるだろ……!」
それもそうかと頷いて、掌にシャンプーを3回。少し湯を加えて掌で泡立てる。この人とても髪が長いからな。これくらいで足りるだろうか。「洗いますね」と声を掛ければ、ああ、と短い返事が返ってくる。濡らした髪に指を入れると、手触りの良い髪の質感。見た目を裏切らない綺麗な髪をしているものだなと、女の身でも惚れ惚れする。程よく泡立ったところで、未だ寄せられたままの皺が目に入り、そうだ、と出来心で米神に中指を添え、ぐ、と力を入れた。
「いっ……?!」
「嗚呼、ほら。目がお疲れのようで。この様子じゃ首や肩もでしょうか」
後頭部の後ろの窪みへ手をまわし、そこを中指と薬指を使い持ち上げるように揉み解す。されている事が分かってきたのか、時折漏れる気持ちよさそうな声に自然と口角が上がった。
「気持ちいいです?」
「ああ……悪くねえ」
「おや、珍しくとても素直」
うるせえ、と言う言葉にはいつものような覇気がない。何と言うか、緩み始めた眉間もそうだが、こう、……可愛いな、とそんなことを思ってしまう。懐かない狼が私だけに無防備な腹を見せてくれるような、そんな感覚になる。ふふ、と小さく笑みを零せば「どうした」と菫色がこちらを見上げる。
「いえ、ね。何だか可愛いな、と。甘えていただけてるみたいで」
「可愛い、ねえ……」
「っ?!」
たくし上げた袴から露になっている脹脛から、膝まで土方さんの濡れた手が這い上がる。直で肌に触れている分、感触が生々しい。くすぐったさか、羞恥か。どちらともとれる感情に思わず身じろぎ、その白い指先が膝の裏に触れたところで、ぴしゃりとその手を軽く叩いた。
「っ……何をしているんですか」
「平助みたいに“甘やして”もらおうかと思ってな」
「何を、」
「はいもういいでしょ、充分綺麗になりましたー」
「?!ってめ、げほっ、何しやがる総司!!!!」
ざぱん、とそれはそれは見事に顔面に湯を掛けられた土方さんは一瞬にして鬼の形相だ。だって暇なんですもん、と口を尖らせた沖田さんの言葉はあまりに素直で、少し言葉に詰まった土方さんは「仕方ねぇなお前は……」と頭を掻いた。……何が可愛い狼だ。所詮は狼。獣は獣。ぱちり、と目が合った土方さんを、き、と睨みつけてやったが、彼は「そんな赤い顔じゃ怖くもねえよ」と寧ろ楽し気に目を細めて濡れた親指で私の頬を撫でた。
〜沖田総司の場合(?)〜
「待て待て待て」
「?なに、問題ある?」
「短い人は洗わないって言ったでしょう。あと土方さんはどうしたんですか」
「今蛙と奮闘してる」
「かえる?」
「てめっ総司!!!!人の着替えに蛙なんざ忍ばせてんじゃねえ!!!!!!」
怒声が浴槽まで響き、ね?と沖田さんが笑いかける。ね?じゃなくてだな、ね?じゃ……。
「だって、髪の毛の長さで決まるなんて狡いと思わない?」
「皆さん洗っていたら私の手がふやけてしまいますし、必要悪かと」
「新八さんや山南さん、山崎君だって言ってるよ」
「皆さん大人ですから、そんな事で拗ねないでしょう」
はたり。自分の言葉を発してから、思い当たる節があり、もしかして……と口を開いた。
「仲間外れにされて、拗ねてます?」
「あっはは、そう見えてるなんて随分節穴な目をしてるんだね」
「痛い痛い」
両の頬をぎゅうっと摘ままれ抗議の目を向けたが、恐らく間違いではないだろう。ふう、と息をついて、子供みたいな彼にそっと告げる。
「今夜、髪を乾かしますよ。代わりに洗うのはご勘弁を、そろそろ手の皮膚が限界です」
そう告げると、ふうん?と満足げに口角を上げて私の頬が解放される。約束だよ、とだけ言って私の頭を撫でれば、蛙との奮闘が終わったのであろう人物の元に沖田さんは足を向けた。
〜原田左之助の場合〜
「土方さん、怒ってませんでした?」
「そりゃ怒ってるに決まってんだろ。浴槽から出てきたかと思えば直ぐに脱兎の如く、だ」
「ああ、容易く想像がつきましたよ」
最後の相手は原田さん。芯を持った綺麗な緋色に指を通しわしゃわしゃと泡立て、流す。最後となると手が込んでしまうのは何故だろうか。四人目ともなれば慣れた手つきでコンディショナーも終わらせて、折角だからとトリートメントを掌に出し、彼の髪に馴染ませていく。
「四人目となると疲れただろ」
「いえ?思ったより楽しかったですよ。新鮮で」
思い返しながら、くすくす、と自然に笑みが溢れた。一人可愛くない人もいましたけどね、と言う言葉は飲み込んで、緋い髪にゆるりと指を通しながらトリートメントを浸透させていく。「上手いもんだな」と感心したように言う原田さんに、「お痒いところはありませんか」なんて冗談めかすように返した。この返しはシャンプーか。
「……暑いか?」
「え?」
「やけに頬が赤いなと思ってよ」
「そうでしょうか」
「ずっと此処いたからか?」
確かに湯気の籠った浴室でずっといるにも関わらず、水を取るのを忘れていたな。大丈夫か、と原田さんが見上げながら私の頬に手を伸ばす。
「……湯が熱くて、これじゃ体温が分からねえな」
「すみません」
「謝ることじゃねえよ」
指先が私の頬を撫で、親指が下唇を薄く開かせるように添えられた。ただ心配をしてくれているだけのはずなのに、いやに艶のある行為に感じるのは何故だろうか。鼓動が速まり、頭が熱に溶かされる心地がして、自分に触れる熱く濡れた手にそっと歯を当てた。琥珀が驚いたように丸められ、ぱしゃん、と水面が鳴る。それを耳で捉えながらも、どこか他人事のようだった。
「紗良?!」
ばしゃん、と次は大きな音がして、硬い熱を躰に感じながら目を閉じた。
〜山崎丞の場合〜
「……?」
「ああ良かった、気が付いたのか」
ぼおっと捉えていた景色がはっきりすれば、それば大広間の天井だった。視線をずらすと、切れ長の瞳が心配そうに此方を覗き込んでいる。
「山崎さん」
「原田さんが血相を変えて君を運んできたんだ。湯に浸かっていないとは言っても、浴室で水も飲まずに長時間過ごすのは感心しない」
「……すみません、お手数をおかけしましたね」
「俺は構わないが、原田さんには巡察から帰って来次第礼を言っておくといい」
どうやら私がバランスを崩し倒れこんできそうになったため、咄嗟に身を返し抱き留めでもしてくれたのだろう。そうでもなければ、きっと今頃着ていた着物がびしょ濡れになっていたことだ。
「気分はどうだ?」
「……大丈夫です」
「そうか」
私の首筋に井戸水で濡らした手拭いを当てながら、よかった、と山崎さんが小さく笑った。
「……ちなみに、なんだが。何故原田さんと二人で湯船にいたんだ……?」
「え?ああ、未来の洗髪剤が何故か湯殿に出現して、折角なので髪を洗っていたんです」
「原田さんの、か?」
「ええ、あとは土方さんとか……髪の長い人を洗わせていただいていました」
「そういうことか。道理で副長からいつもと違う香りがすると思ったんだ」
「山崎さんも洗いましょうか?」
「……。遠慮しておく」
断る山崎さんの耳はうっすらと赤くなっていて、触れても良いのか少し悩みながら、ふふ、と小さく笑った。
〜永倉新八の場合〜
少し横になれば楽にもなった。山崎さんからも大丈夫そうだな、という言葉をもらい、縁側に腰を下ろして外の風に当たる。すうっと抜けていく今日の風は心地が良い。
「お!紗良ちゃんもう終わったのか?」
「ええ、お陰様で。楽しかったですよ」
「俺も楽しませてもらったぜ。斎藤には悪い事をしたかもしれねえけどな」
「失礼な、あれはシャンプーの正しい使い方ですよ」
「そうなのか?!」
「冗談ですよ」
まさか本当に信じるとは、と思わず笑みがこぼれてしまい、「人が悪ぃなあ」と永倉さんが頭を掻いた。
「総司の奴、拗ねてなかったか?」
「嗚呼、気付いていたんですか」
「一応総司や左之より歳が上だからな!」
ははは、と軽やかに笑う永倉さんの口からは白い歯が光る。この人は本当に明るい笑い方をするなあ、と双眸を細めた。
「それにしても、上手く宥めたな?土方さんへは蛙を仕込んだみてえだが」
「もうそこまで知ってるんですか」
「まぁな。今夜髪を乾かしてやるんだろ?」
「人の髪を乾かすのって洗う以上に難しそうですけれどね」
特にあの人の場合、すぐに飽きてどこかに行った結果湯冷めをして体調を崩す恐れが大いにある。
「……。で、だな」
「?はい」
珍しく、何かを言いづらそうな素振りを見せる永倉さんに首を傾げた。あー。とか、えー。を繰り返す内に、永倉さんの顔に赤みがさしていく。
「……手が空いた時に、俺もいいか?」
「!」
永倉さんはいつも明るくて、親しみやすいカラッとした笑顔を見せるが、何かを気を使ってくれる人だ。だからこそ、何かをお願いされることは珍しい。驚きながらも喜びが勝り、勿論ですと頷けば、永倉さんは何処となく気恥ずかしそうにはにかんで私の頭をぽんぽんと撫でた。
「ありがとな、皆には内緒にしておいてくれよ?」
〜山南敬助の場合〜
湯殿のシャンプーやらリンスを片付けに向かっていると、廊下で山南さんの姿があった。
「おや、椎名君。何やら楽しそうな事をしていたそうですね。土方君から聞きましたよ」
「もうそちらまで話が回っているんですね」
「ええ、帰ってから報告を受けました。何か未来の石鹸があったそうですね。それで髪を……」
山南さんが視線を落としたかと思えば、続くはずの言葉が止まり首を傾げた。どうしました、と声を掛けるよりも先に「こちらへ」と連れられたのは山南さんの部屋。
「何か御用でしたか?」
「用というよりも……手を出してくれますか?」
「?どうぞ」
はい、と大人しく差しだした手を見て、赤くなってるじゃありませんか、と山南さんは細い眉を下げた。そして小脇に置いてあった箱から薬のようなものを取り出し、それを指で掬えば私の手に付け、綺麗な手が私のものを包み込むように薬を揉みこまれる。
「……毒ではないと聞いていますが」
「毒じゃありませんよ、流石に四人連続で洗ったので、少し手が荒れてしまったみたいですね」
「四人も?」
「あれ、聞いていませんか。土方さんに斎藤さん、藤堂さん、原田さん、髪の長い方を洗わせていただいたんです」
「そうでしたか。それでは私の髪では洗ってはいただけなさそうですね」
山南さんの言葉にぱちぱちと目を瞬かせれば、少し極まりが悪そうに山南さんは咳ばらいをひとつ。冗談ですよ、と続けるが、目元が少し赤らんでいた。少し沈黙が流れ、その間も私の手には丁寧に軟膏が塗り込まれていく。山南さんの白い手が、私の指一つ一つを、それは何か硝子細工でも扱うかのように優しくなぞって行く。
「……何故皆さん、そんなに洗われる事に興味があるんでしょうか。正直、土方さんあたりは断ると思っていたんです」
「それは、椎名君が自ら人に触れるのは珍しいからでしょうね」
「そんなに珍しいですか?」
今も、と山南さんは言葉を続ける。
「こうして私が触れていますが、椎名君が積極的に誰かに触れる事は珍しい。そういう意味で、皆からすると“良い機会”だったのでしょう」
「そんなに珍しいでしょうか」
「珍しいですよ。尤も、以前は触れられることすら拒んでいるようでしたが」
「……」
「少なくとも、私はそう思っていますよ」
触れられたい、柔和な声でそんな事を紡がれると此方が気恥ずかしくなってしまう。山南さんの視線が合わさり、ふ、と細められる。それが妙に落ち着かなくて、私は少しだけ、目を逸らしてしまった。
〜風間千景の場合〜
山南さんに薬を塗ってもらい、再度掃除の為に湯殿へと入る。桶を片付け、シャンプー達を片付けようと手を伸ばしたが、そういえばこのシャンプー達を使用すると決まったわけでもないだろうし、どこに片付けるべきかと考えていると、がたりと戸が開いた。
「何やら面白そうな事をしているな?」
どこから嗅ぎつけてくるんだこの鬼は……。
「おい椎名の鬼よ、折角俺様が来てやったんだ、もう少し嬉しそうな顔が出来ぬのか」
「貴方が屯所に来て歓迎されたことって今までありましたっけ?!」
「いや、ないな」
「自覚があるなら猶更何で来てるんだこの人……」
ぱっと“椎名紗良君”の仮面をつけ、思いっきり顔を顰めた。
「で、なんでしたっけ。風呂掃除がそんなに面白そうなら代わりますよ!」
「この俺が掃除などするわけがなかろう。その貴様が手に持っているやつのことだ。見たこともない容器だが?」
「ああ、未……、……町で見かけた洗髪剤ですよ!珍しいですよね!俺も初めて見ました!」
未来と言っても変な話、南蛮の物があるといってもややこしい話になりそうで適当に誤魔化すことにさせてもらう。
「ああ、それか。妙に甘い匂いがすると思った」
「土方さんに会いに行けばもっと堪能できますよ」
「するか馬鹿が」
徐にこちらへと距離を詰めた風間さんが、すん、と私の髪へ顔を近付けた。突然の事に驚き、されど叫んで隊士の誰かが駆け付けたら面倒なことになると思い、紗良君として不自然じゃない程度の声量で「何をしてるんですか!」と身を逸らした。
「何だ、貴様はつけていないのか」
「洗う側でしたからね!手ももう軟膏の匂いしかしませんよ」
「ほう?貴様があいつらの髪を洗ったのか」
「あ、先に言いますけど洗いませんからね。不知火さんならまだしも風間さん程度の髪の長さじゃ俺はぜーったいに洗いませんから!」
「おい何故不知火なら良いのだ」
どうせなら髪の長い人の方が楽しくないですか?と言う私に、理解が出来んという顔を向ける風間さん。心外だな、人の楽しみに口を出さないでくれ。口は出されてないか。顔を出さないでくれ?
「あ!もし気になるのであれば、容器に入れてお渡しするので洗っていただいたらどうですか」
「それでは意味がないだろう」
「容器に入れても効果は変わりませんよ」
「そうではない。相変わらず察しの悪い奴だな」
「馬鹿っていう方が馬鹿なんですよ!知ってますか!」
「馬鹿とは一言も言ってないだろう馬鹿が」
「今言ったじゃないですか!!傷ついた!!もう絶対洗ってあげませんから!!何なら分けてもあげませんから!!別に俺のじゃないですからね!」
「喧しい」
もう少し静かに出来んのか、という風間さんは心底呆れた顔をしていた。茶番はここまでにして、早く帰ってはくれないかな。誰かが来たらどうするんだ。そんなことを頭で考えていたら、不意に伸びてきた風間さんの手が私の髪に指を通した。
「貴様が洗いたくないのであれば、俺が貴様の髪を洗ってやろうか?」
「嫌だな風間さん、俺に触れたいならそう言えばいいのに!」
「ほう、触れたいと言えば触れさせるのか?」
「御冗談を」
勢いよく頭を振れば、風間さんの手がぱっと離れ、慣れた玩具で遊ぶかのような笑みを浮かべていた。相変わらずいい性格をしているな、この人は。そんなことを思いながら、眉を寄せて「べ」と子供じみた抵抗を示した。
ある日の髪の毛事情
あまくてなつかしいにおい
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