59 泡沫の夢に幕引きを 次に目が覚めたとき、私の視界に入ってきたのは真っ白で無機質な天井だった。何をしていたのだったろう。たしか、湯を溜めるために浴室にいて、そこで、
(――そこで、?)
「紗良!目が覚めたのね。あぁよかった……!本当に、お母さん心臓が止まるかと……っ」
何かを思い出しそうで思い出せなかった私の思考回路は、母の潤んだ声に断ち切られた。両親曰く、あまりに私が遅いからと様子を見に言ったところ湯船に沈んでいたらしい。バスタブひとつで人は溺れ死ぬのかと、自分が死にかけたとは言うのに酷くあっさりとした感想を抱いた。
(だって、こんな世界、逃げ出したいんだ)
確か、人が死ぬ時間は……
――じゃあ何処へ行くの?何処が、いいの?
「っ……?!」
勢いよく声をした方へ顔を向けると、そこには窓しかなくて、見えたのは堂々たる桜の樹だけ。誰もいない、いる筈がないのだ。
何処、に、?この世界以外私にはない。人に心も許せずに、寂しいまま、仮面ばかりをつけて。でも、さっきから、おかしいんだ。
「紗良……?どうしたの?」
「ううん、なんでもない。大丈夫、だよ。お母さん」
"大丈夫"とは、こんなに重苦しい言葉だったろうか。何かを忘れている気がするんだ。けど何かが解らないんだ。からっぽな心なんていつものことなのに、今日はやけにすきま風が煩く、つめたい。
「そう、よかった。引き上げてから容態がおかしかったから、やっぱり何かあったのかと思ったわ」
「おかしかった?」
「ええ、いきなり苦しみだしたのよ。――紗良?!どうしたの、何処か痛いの?」
「え、?――……!」
涙。なみだ。泣いている。誰が?私だ。どうして。だって涙が、こんな自然に流れるなんて。
何処か痛いのかと尋ねる母親に、私は違うと首を振る。違う、違うのだ。
「――とても幸せな夢を見ていた、気がするの」
根拠なんて何処にもないけれど、この空いた心の部分には、暖かいものが詰まっていた。そんな気がしてしまうんだ。
泡沫の夢に幕引きを
だから今、こんなにもさみしい
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