桜とともに | ナノ


58 少女の結末

襖を引いて、私の姿を目にいれた風間さんの表情が訝しいものへと変わる。首から下を覆わせた沖田さんから昔に貰った着物をストンと肩から落とせば、私の身を包むのは向こうの世界の制服だ。見慣れない格好だからか、それとも単にこのスカートの丈のせいか。いずれにせよ、更に眉間に眉を寄せた風間さんに指摘される前に私は口を開いた。

「……私の居た処では、この服装は当たり前でした」

少し間が空いた後に、聞かせろ、と、ただそれだけ目の前の彼が発する。いつもより低くて、どことなく戸惑いの色を交えたとも取れそうな声だった。

――本当に、大丈夫なのか。
ただそれだけの不安が胸の中に渦巻く。早まったのではないか。いやしかし、彼は"椎名紗良"の生い立ちが嘘であることを知った。けれど、このせいで、この婚姻が破棄になれば、あの方々はどうなる。何一つとて守れない。だってあの方々に手を出さないと言う交換条件は、あの綺麗な女鬼の代わりに、私が子を生む道具となる事だったのだから。

「……おい」
「っ、」
「傷を作るな」

何の話かが解らなかったのを悟ったのだろう。彼は私の傍に寄り、その彼の視線を辿れば無意識のうちに自分の腕へ爪を立てていたことに気付いた。赤い血が滲む爪痕は、見ていて気分の良いものではない。

「貴様が今何を考えているのかは知らぬ、知る気もない。が、貴様の正体を知りたい。理由は解っているだろう」
「……子を生む女の正体を、頭領としては知らなければならないから」
「近いが、違うな。……男として、嫁に迎える女の事は知りたいと思う。そんな事も理解できぬのか」
「……。その"嫁"の正体が、まさか蛙や蛇などの類いならば?」
「 甘く見るな」

それは、今まで聞いた中で、一番重たく、しっかりとした風間さんの声だった。

「今更、その名前すら偽名だろうが正体が物の怪であろうが何だろうが然程気にせぬ。この俺様が欲しかったものを手放すと思うか」
「……は?」
「まだ分からんのか。馬鹿が」

心底呆れたように重たい溜め息を吐いた目の前の鬼を、私は一度くらい叩いても良いのではないかと云う気さえしてきた。そんな事出来る筈もないのだけれど。そんな目で見られても、風間さんの考えなどわかるわけがないだろう。
そんな、後々に思えば馬鹿馬鹿しいとすら思える考えを断ち切るかのように、ただ、私を、凛とした緋が捉えた。

「俺が嫁に迎えるのは"女鬼"でも"子を宿す道具"でもなく、貴様だ。」

――なんだ、その言葉は。
勘違いをしそうになる。この人にとって女は道具で、子を成せたらそれでよくて。そうだ、私じゃなくてもよかったんだ。それを悲しいなんて思ってたまるか。最初からそういう、契約だったのだから。
鼻がツンと痛むのを誤魔化すように唇を噛んで、畏怖すら覚える程に綺麗な彼から背を向けた。そのまま窓際へと近寄り、その縁に手をかけ、窓を開くと見え物は大木だった。よく見れば庭には未だ蕾すらつけていない木々が次期に来る春を待ち構えて震えている。もしもこれが桜の木ならば、春には美しいこととなるだろう。

「貴様のその名は、椎名紗良という名は偽りか?」
「……いえ、この名だけは、確かなものです」
「そうか」

存在も、生も、言葉も表情も性別も曖昧に濁してきた私が、唯一初めから彼に隠すことをしなかったのはこの名前だけだった。しかし、それがどうかしたのか。

「光栄に思え、椎名紗良。――俺は、貴様に惚れている」

さぁ、と、風が私の髪を靡かせた。言葉が現実味を帯びず、ただ、彼のほうを振り返った。その眼差しに、からかいなど微塵も含まれない。ただただ、綺麗で真っ直ぐな緋だった。

「間の抜けな面なことだな。これで言葉の意味がわからぬとは、貴様のその頭はただの飾りか?」
「意味くらいは分かります。ただ、理解が追い付かないだけで」
「ならば追い付かせろ。そして、貴様の本心を言え」
「本心、とは」
「貴様は、俺を憎んでいよう?」

……憎む?
目の前の風間さんの表情は至って真剣そのもので、揶揄ろうとするような意図は見受けられない。言葉を発することのないまま、ただ人形のように突っ立ったままの私に痺れを切らしたのか、彼は言葉を続ける。

「……貴様の友人に怪我を負わせ、契約とは言え新選組の犬共から引き離し、身体まで作り替えさせた。其の様な男を恨んでいないと言える程、貴様が御人好しとは思えぬ」
「あぁ……、そういうことでしたか。失礼なことを言いますね」
「何?」
「梅さんの件は既に真実を天霧さんから聞いています。残りの件に関しては、全て私の決めたことです」
「……」
「寂しくない、と、強がれば嘘になります。けれど、貴方を憎んでなんかいません」
「それでは、貴様は俺をどう思っている?」

今度こそ私の呼吸が一瞬止まった。

「――――私、は、」

ぶわっ

私の視界に、いきなり桜の花弁が舞い込んだ。どこから?後ろにあるのは窓だけだ。だけど、こんな、冬に?

「――」

思わず足がよろめき、そのままバランスを崩せば、私の視界に広がっていくのは、きれいな夜空と、桜の花弁。
――嗚呼、落ちる、のか。

「紗良!!!!」

綺麗な鬼が、私に手を伸ばすのが見えた。その手を、取ることが許されるなら。あなたに、触れることが赦されるのなら。されどその手は、私が手を伸ばしても届かない。届かないまま無様にも、私の身は堕ちていく。
何て表情をしているんですか。そんな顔、あなたには似合わない。ただそんな顔をさせたのは、私なのだろう。どうして、どうして今。

「――かざ、ま」

――本気で思ってたの?
何を?
――ヒロインに愛された人が、ヒロイン以外と結ばれて幸せになれるなんて、そんな甘い考えを本気で抱いていたの?

ざ、ぷん……

冷たい、冷たい。私が沈んでいるのは下に広がっていた池なのだろうか。ねぇ、どうしてこんなことに?あの声は誰?
ふと、思い出した。斎藤さんに許されたとき、原田さんに想いを告げられたとき、花弁は、いつも傍にあったことを。私がこの世界に来る際も、湯船に浮いていたのは桜の花弁だった。

みんな、すべて、傍らにあったのは、桜。

やっぱりそうじゃないか。この世界に、雪村さん以外の女性なんか必要ないんじゃないか。ヒロイン以外の幸せなんて、存在しないんじゃないか。

嗚呼折角、貴方が初めて、私の名を呼んでくれたのに。

もう流すまいと決めていた涙が、池の中へと溶けていく。視界が、暗くなれば、冷たい冷たい池の水が、何故か温かいものへと変わり、また、冷たくなった。


「――ごほっ!」
「紗良!」

何処と無く懐かしい人の腕の感触にうすらと目を開けると、懐かしい顔が眉尻を下げて安堵したような表情を浮かべていた。
ああ、嗚呼、どうして、なんで。今更。

貴方を、愛そうと思ったのに。
貴方を、愛せると思ったのに。

「――千景さん、」


貴方を、愛したいと思ったのに。




少女の結末


  愛することを、赦されてすらいなかった、


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