53 進む足を止めることなく ※夢主に恋愛感情は一切在りませんけれど百合描写が僅かに御座いますので注意してください
部屋に変えるなり、化粧を落として一先ずは何時も通りの洋装に袖を通す。そうして夕餉を済ませてから再度部屋に戻る。風呂敷の中に、昔に貰った香や簪、そして淡い黄色の着物。それと懐かしい、"向こう"のカーディガンと制服。花嫁道具にしては風変わりな其れ等だけを積めてキュッと口を結んだ。
「……こんなものか」
これで、私が身を消せば、彼らは私が"消えた"と思ってくれるだろう。向こうの世界から持ってきたものは全て消えているのだから。……本当は不自然に成らないようにする為には、香と簪や着物は置いていくべきなのだろうけれど、運良く私が此れ等を持ってきている事を誰も知らない。着物を紛れさせて持ってくるのには苦労したけれど、……それ位、嬉しかったんだ。
まとめた荷物を、門の植木の影に隠す。此処なら誰にも見つからない。此れで、後は約束の刻限を待つだけだ。月が夜空を南中するまで、きっともう四半刻もない。
――上手く処理してくださいね、土方副長。
本人に言うことはできないが、瞼を下ろしてそう唱えてから、私の事情を何も知らない彼女の元へ足を運ぶ。
「失礼します。起きてますか?」
「えっ、紗良君?!う、うん……!大丈夫だよ!」
ありがとうございます、とお礼を言ってから襖を開けると、雪村さんが驚いた顔をして此方を見ていた。手櫛を髪に通しながら、珍しいね、部屋に来るなんて、と言う彼女の頬はどうした事か少し赤い。熱でもあるのかと尋ねそうになったけれど、それもそれでお節介な気がして口を噤む。私はたった一言――その一言は完全に自己満足なのだけれど――を言いに来たんだ。
「?紗良く、」
「すいません、雪村さん」
上から覆い被さるように彼女の身体を抱き締めれば、ふわりと柔らかな香りがした。腕の中の彼女がギシリと固まったのを感じたけれど、ほんの少しだけ腕の力を強めた。
「――俺は貴女に、辛い事を全て押し付ける」
此れから先の、仲間との別れも、仲間の命が散っていくのも、全てを彼女は見届ける。言うならば私は、其れ等から逃げるんだ。誰の死も目の当たりにしないであろう、世界へ逃げる。ごめんなさい、と、まるで許しを請う様な声だと自分でも思った。
「……紗良君がいるから、平気だよ」
嗚呼、違うんです。そうじゃないんです。身を離せば、彼女はそれはそれは柔らかな微笑を浮かべており、同じ女でも此処まで綺麗に笑えやしないと、そう思い知らされるような笑みだ。水仕事をしているにしては綺麗に手入れされた手が、私の頬に触れる。
――吸い込まれる様な、感覚だった。
まるで自分が自分の身体ではないようで、引き寄せられるように桜色に染まった頬に唇を寄せる。
「へ?」
「――――ッ?!な、なんでもありません!ごめんなさい!!」
勢いよく離れ、自分でも何がなんだか分からないままに部屋から飛び出した。なんだ、あれ。雪村さんが苦手なのは変わっていない。今でもあの綺麗な人が私は苦手だ。ただ、今回の謝罪だけは本心だった。それでも好きだと言うことは断じてあり得ない。
『ヒロイン以外の子が、幸せに成れると思ってるの?』
「――――?」
『ヒロインに愛された人が、ヒロイン以外と結ばれるなんて、許されるの?』
「――何、を、?」
誰だ。妙に聞き覚えのある幼い声が、頭の中を反芻する。嗚呼駄目だ、何も考えなくていい。早く、もう、約束の時間だから。声を掻き消すように自室へと戻ろうとした時、部屋の明かり障子の前で、出来るなら今夜だけは会いたくなかった人に出会う。
「紗良ちゃん、どうしたの?酷い顔色だけど」
「……そうですか?それなら、早く寝ないといけませんね」
横を通りすぎようとした時、沖田さんの手が私の腕を掴む。
「――何処に行くの?」
「何処って、」
「君の部屋、此処だよね」
嗚呼、不味い。どうにかして誤魔化したいのに、嘘を許してくれないこの翡翠の瞳は、厄介だ。
「前にも聞いたけど、君って此れから何をするつもりなのかな?」
「……」
「今回は、逃がさないよ。君は、何処に行くつもり?」
"あんたは、本音を隠すときは何時も笑う。"斎藤さんは確かそう言っていた。それならば笑わなければいい。何時も通りの無表情で、笑顔なんか繕わなければいい。
「厠ですよ。……どうして此処まで言わなくちゃいけないんです?」
「は?」
「二度も言わせないでください。……俺だって稽古で眠たいんですから、早く済ませて早く寝たい」
「……なぁにそれ、僕を誤魔化すんだ?」
「誤魔化すって人聞きの悪い。……俺が何をするか、でしたっけ?それは追々御話しします。だから、いいですか?」
離して貰っても。そう言った私を、沖田さんは見定めるように見詰める。下手に表情を崩すな。大丈夫、大丈夫。代わりに、信じてくださいよ、と溜め息を吐いた。
「ちゃんと戻りますから」
これが、貴方に吐く最初で最後の嘘。酷く残酷な言葉。けれど貴方もそうでしょう?貴方だって、あの赤い毒を飲み干して、生き延びるのではなく死にに行くのだから。刀として生きたいんじゃない。貴方は、刀として死にたいんだ。嘘つき者同士、最後だけは気付かないでくださいね。
「ふぅん?嘘じゃないみたいだね。仕方ないから離してあげる」
「どうも。……痣が残ってたらどうしてくれるんです?」
「あはは!稽古で痣だらけの癖に気にするんだ?」
「失礼な」
それでは、俺はもう。と、一つ頭を下げて今度こそ彼の横を通り抜ける。後は門を抜けるだけだ。
誰かに付けられていないか、身体の神経の全てを研ぎ澄まし人の気配を察知しようとする。一応、と厠の中に入り、腕を組んで数を数えた。ゆっくりと二百も数えれば、もう人はいないことだろう。
「――お世話に、なりまし、た」
風呂敷を手にして門を出る際に、震えそうになる声を押さえながらそう呟いた。好きだった。私は、あの居場所が好きだった。好きで好きで堪らなくて、だからこそ振り替える事はしない。最後は山の方へ駆け出して約束の地へ向かう。
「ふん……、やっと来たか。来なければ力尽くにでも屯所から連れ去ってやろうとしたところだ」
「約束をしましたから」
「良い心掛けだ」
「……相変わらず偉そうですよね」
「貴様は女の時でもその口は直らぬみたいだな」
「まぁいい、行くぞ」と風間さんは背を向けて山の中へ入っていく。「足元に気を付けて」と声を掛けてくれるのは天霧さんだ。
「――椎名の鬼よ。貴様の血が極端に薄い事は知っていよう」
「……そう言っていましたね」
「そして俺も天霧も、薄いままに嫁にするとは言っていない」
「……?」
話が読めず、ただ本能からか足が止まり、踏みつけた枝がパキリ、と、折れた。どういう意味だ。確かに彼らは手立てがあると言っていた。それならば、その手立てとは?
「貴様が死んだ時は、当初の計画通り雪村の女鬼を嫁に迎えるまでだ。――あの男が大事だと言うならば、精々耐えろ」
何を、とか、あの男ってどの男だ、とか、そういう言葉を投げつけてやりたかったけれど、それは叶う事なかった。一瞬何故か眉を潜めた風間さんの唇によって塞がれたからだ。
「――――っ!!!!」
状況が飲み込めないままに口内へと流れ込んできたのは、とても濃い血の味だった。
決別の地に口付けを
守る術は此れしか知らなかった、
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