桜とともに | ナノ


52 少女を掬う掌

屯所だと誰が来るか分からないと云う事もあり、私は近くの神社へと風間さんを連れ出した。勿論土方さんに見付かれば雷が落ちる行為なのだけれど。月がやけに綺麗で、いつもなら静かに眺めていたいのだけれど、先程の事がどうしても思い浮かんで目を伏せた。
境内で、風間さんと向き合って静かに口を開く。

「……確認したい事が。俺には確かに鬼の血が流れているんです?」
「なんだ、その事か。この俺様が舐めて判断したんだ。間違いは無い」

そうですか。それは、"よかった"。

「風間さんの目的は、あくまで鬼の子を成す事、ですよね」
「そうだ。……、遂に女鬼を譲る気になったか?」
「ええ。――ただし、雪村さんではありませんけれど」
「……何?」

訝しげに眉を寄せた風間さんに一歩近寄り、緋色の瞳を真っ直ぐに見上げた。あの人の髪と、同じ色だった。もう迷いはない。私が組の為に出来ることなど、最初からこれしかなかったんだ。気付くのは、凄く凄く、遅かったけれど。幾多もの命が、散ってしまった後だけれど。

「私を、貴方の嫁に迎えてはくれませんか」

私の言葉に、風間さんの眉間の皺が深まった。理解ができないと言うかの様な表情に、私は苦笑することなくもう一度繰り返す。すると風間さんがやっと言葉を発した。

「……俺が欲しいのは子を成せる女鬼だ」
「未だ気付かないんです?風間さんって、案外鈍い方なんですね」

シャツの釦を上二つほど外し、胸元に巻き付けていた晒を解いた。私の行動に目を見開かせた風間さんの手を捕るのは容易な事で、グッと此方へ引き寄せてはシャツの上から掌を胸に押し付けさせる。君菊さんの様に豊満ではなくとも、男ではないと判断するには事足りるだろう。そうして、この人の前で初めて、"私"の声をだした。

「"私"は、女ですよ。風間さん」
「――――」

本当に欠片も気付いていなかったと言うことが明らかな表情だ。この人もこういう顔が出来るのだなと少し笑ってから手を外させる。そして釦を止め直し、再度風間さんに目を向けた。

「天霧さんから、血が薄くとも手立てがある事は先日お聞きしています。それなら、"子を成せる身体"が欲しいだけなら、私でもいいと云う事でしょう?風間さんが雪村さんを愛している以外の断る理由は、受け付けない」

偉そうに、頼む側とは思えない物言いで、はっきりとそう言えば、クッと風間さんから笑みが漏れた。月明かりがその表情を美しく照らす。

「貴様は、嫌いな男に身を委ねる程に愚かなのか。……子を成す術を、知らないわけではなかろう?」
「勿論。私は貴方を愛していないし、貴方も私を愛していない。けれど、……知りたいとは、思っています。あなたの事をもっと」
「ほう……?」
「それに利害は一致しているでしょう?」
「つまり条件があると云う事か。俺の子を成せる事を光栄に思えと言いたいところだが……、まぁいい。言ってみろ」

くつくつと抑えた笑みを向けながら、目の前の鬼はいつも通りに嗤う。喉元を僅かに反らし、私を見定めるような視線に、にこりと薄く微笑むだけだ。

「金輪際、土方さんに、新選組に、一切の手出しをしないでいただきたい」

女鬼が手に入れば、この人が新選組に構う必要は無い。もっと初めからこうしていれば、新選組の被害は少なくて済んだと言うのに。私がもっと早く自分が鬼であることを認め、もっと早く思い付いていれば。そう何度、過去の幼い自分を詰ったことか。
そうすれば、散っていった方々は、助かったのに。

「……面白い。その条件を呑んでやる。その代わり、貴様が約束を破った時は覚悟しておけ」
「分かっていますよ。……鬼は、約束を守るものなんでしょう?」

私の言葉に、風間さんは満足げに頷いた。

「明日の夜、迎えに行く。どうせ貴様もこのまま犬共の元を去るつもりはないのだろう?精々不自然ではない様を繕っておくんだな」

当たり前ですと頷いた。この考えを思い付いたときから、既に用意はしていたさ。土方さんに私が"消えた"時の処理をお願いしたのは、何月前の事だと思っている。此処へ来た際の制服を持って出れば、私の事情を知っている人からすれば察してくれることだろう。ただえさえ、感の鋭い人があそこにはいるのだから。
それでは失礼して、と頭を下げ、屯所への帰路に着く。。

「……そんなに、奴が、――土方が好きか、椎名の鬼よ」

そんな風間さんの言葉は聞こえる筈もなく。ただ、後戻りはもう出来ないのだと云う事をひしひしと感じ、きつく唇を噛んだ。あれだけ好きになった暖かい居場所を、私から捨てるのか。買えったら直ぐに眠ってしまえ。変に行動を起こすより、そちらの方が最適だ。



「……兄上、飲みすぎですよ」

朝が来て、昼が過ぎて、夕方になって。茜色に染め上げられる中、中庭に向かって部屋でひとり酒を飲んでいた藤堂さんに後ろから声をかけた。彼の傍らには何本もの徳利が転がっている。ただの自棄酒だ。理由は分かっている、それも痛い程に、だ。

「……行くんだってよ、二人とも」
「そうですね」
「……寂しくねえのかよ」
「藤堂さんの方が、寂しいでしょう?」
「……。紗良は、見送りに行かねえの?」
「行きますよ。……言葉は、掛けられませんが」

私の言葉に疑問を少し感じたのか、酒の所為で朱を帯びた顔がこちらに向けられては、青緑の瞳がギョッと見開かれてた。誰だよ、とでも叫びたそうな表情に少々の安堵を覚える。
だって、行ける筈がないじゃないか。あんな言葉を吐き捨てておいて、今更どの面を提げてあの人に逢いに行けばいい?どんな言葉を紡げばいい?そんなの無理に決まっている。私はそこまで、出来た人間には成れない。

橋の麓から少し離れた処に着いた私の顔は、下ろした髪で半分を隠し、この江戸では珍しい白粉を塗りつけ、紅を引いた。市女笠を頭に被れば、顔もすっかり隠れてしまう。反対側の麓から、雪村さん達に別れを告げた永倉さんたちがやって来る。

「……お気を付けて」

懐かしい紗雛の声を、覚えている人なぞ少なかろう。甘ったるい声に自分でも苦笑しか出来ないが、これでいい。ふわりと香るのは、昔に貰った香だった。"女"の声に気付いた二人は此方に目を遣り、「お出掛けでしょう?」と微笑み掛ければ、一瞬複雑そうな表情を見せたものの「ああ!行ってくるぜ」と笑顔を見せる。私の正体には、どちらも気づかない。ただ小さくなっていく二人の背中を見て、そして、行ってくると言った二人の表情を見て、やはり私の選択は間違っていなかったのだと、頬が緩んだ。
さて。誰にも見付からない様に屯所に帰って着替えなければ。くるりと踵を返し前を向けば、此方を見ていた斎藤さんの姿があった。この人も気付かないだろうと鷹を括り、横を通りすぎようとした時だった。

「……随分と、珍しい格好をしているな?」
「はい?どちら様でしょう?」
「俺があんたを間違えると思うなよ、椎名」
「……。よく分かりましたね」

ぴたりと足を止め、彼へと顔を上げる。この人は周りから鈍感だの朴念仁だの言われているが、実際観察眼には長けている。沖田さんから頂いた着物なんて、芸妓の格好をしたときは下に着ていただけで、きちんと見せたことなど無かった筈だ。髪も下ろして化粧だってした。だからこそあの二人だって言葉を交わしても気付かなかったと言うのに。

「……良かったのか」
「何の話です?」
「…………昨夜偶然耳にしてな」
「……、盗み聞きなんて趣味の悪い」
「全ては聞いていない。話が話だったから直ぐに部屋に戻った」

ただ、あんたは暫く自分の部屋へ戻らなかったな。その言葉に、風間さんと外へ出たことがバレているのかと些か懸念したが、「積もる話も御座いまして」と答えれば、そうか、と、ただ納得を示す言葉だけが返ってくる。どうやら風間さんとの事はバレていないようだ。

「あんたは就いていくと思ったがな」
「冗談」
「女なら、左之みたいな男にああ言われて、嬉しいものではないのか?」
「女なら、ね。私は女を捨ててるんですよ、斎藤さん?」

尤も、その"女"の身体を売ったも同然なわけだけれど。くすくすと、さも可笑しそうに笑みを浮かべる女は、目の前の彼の瞳にどう映るのだろう。どうして、彼はこんな女を、好きだと言えたのだろう。

「それに、私の身体のことは知っているでしょう?」

緩やかに口角を上げたまま首を傾げる私を、少しも表情を変えぬまま、斎藤さんはその澄んだ青色に映していた。こんな、身勝手で醜い私を、だ。

だってね、斎藤さん。もしも私が消えてしまった後、誰があの人の悲しさを埋めるでしょう。私なんかのために剣を捨てたあの人を満たせるものなど、何がありましょう。他の女に埋められるくらいなら、選ばれない方がいい。後悔なんか、させたくない。

「あの人が、私を好きだと言ってくれたあの人が、私が消えた悲しみを、私以外で寂しさを埋める姿なんて、想像したくなかったんです。何故かは、分かりませんけれど。多分藤堂さんが悲しんでいるのと、よくにた類いでしょうね」

尤も私よりも悲しみが深いのは、長年連れ添い支え合い笑い合ってきた、藤堂さんの方だろうけれど。笑みを保ったまま「だから、」と続けようとした言葉は、喉の奥に飲み込まされた。


□■□

相変わらず無理に笑うものだと、手を伸ばさずには居られなかった。多少強引に細くなった手首を引けば、目の前の女は案外あっさりと俺の胸に抱き止められた。かさりと、椎名の被っていた市女笠が乾いた音を立てて地に落ちる。

「……寂しいならそう言え」
「斎藤さんだって同じでしょう」
「今、俺はあんたの話をしている。隠そうとしても無駄だ。――あんたは、本音を隠すときはいつも笑う」

何度その笑顔を見てきたと思っている。何度、どうしようもない歯痒さを覚えたと思っている。あんたは決して知る事もしないのだろうな。悲しみや痛みには鋭いくせに、自分に向けられる想いになど眼を向けようともしないのだから。
総司に対しては嘘を吐けない。左之に対しては甘えを見せる。俺に対しては、肝心な本音も見せなければ甘えや涙など一切見せない。今だってそうだ。泣け、と、願っているのに、腕の中で大人しくしている猫は泣くことも甘えることも、俺にはしない。

(だからこそ、驕りなどと云うものが生まれなかったのだが)

俺が気付かねば椎名が何も見せない事は知っていた。俺が待っていたところで、椎名は甘えにも来ない。それならばずっと見ているしかないだろう?椎名が隠す本音を、必死で探すしかない。追い続けるしかない。

(あんたの左之に対する想いは、平助のとは違う)

ずっと見ていた俺だからこそ気付いた。あんた自身も気付いていない、気付こうともしていない心に。本当は解っているんだろう、解ろうとしていないだけで。

「……斎藤さん?」

何を答えればいいのか解らず、ただ腕の力を強めると、向こう側に緋色の髪が見えた。俺が一言背中を押せば、あんたはあの男に抱き止められるのだろうか。俺の背には回ってこない手を、縋る様にあの男へ回すのか。
椎名の左之への想いも、俺の椎名への想いも、仲間など生温いものでは形容できやしない。ただの、醜い所有欲だ。

(それでも教えてやらない俺は、いい性格をしている)

あんたは自分を醜いと云うが、きっと、本性を知れば醜いのは俺の方だ。組の為に、あの方の為に生きると決めたその日から、この猫を自分のものにするつもりはない。それなのに俺以外の男のものになるのだけは嫌なのだと。

眼を見開いて此方を見詰めるあの男は、やっと女の正体が気付いたのだろう。それでももう遅い。椎名が気付いていないのをいい事に、薄く笑ってその髪に軽く指を通した。するとあいつは、此方へ詰め寄る事もなく、新八の待っているであろう方向へ帰る。自分のしていることは分かっている。好いた女が幸せになれる道も分かっている。しかしその道を素直にこいつが選ぶかと言えば、それは少し答えに渋るが。
けれどそれを敢えて教えてやらない俺を、あんたはいつか恨むのだろうな。

椎名、あんたは、左之の事が好きだったんだろう?



少女を掬う掌


  追い続けた男と待っていた男の違い、

[53/62]
prev next

back
×
「#甘甘」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -