桜とともに | ナノ


51 どうか貴方は羽ばたいて

原田さんの部屋に足を踏み入れ、真っ直ぐに彼の整った顔を見詰める。いつもと様子が違う事は明らかだったから、寸分の言葉や仕草を見逃さない為に。必死で記憶の糸を手繰り寄せようとしても一向に分からないまま、ただ風の音だけが耳を通りすぎていく。

沈黙を破ったのは、私の方だった。「話、とは」小さく、疑問符を付けることもない淡とした問いだった。それに対し、「まぁ、座れ」と私にも言ってから原田さんは腰を下ろし、思い口を開いた。綺麗な琥珀の瞳は、未だに私を映さない。映さないまま、重たい口が開かれた。

「明日の夕方、新八と一緒に組を抜ける」

ガン、と、頭部に鈍い痛みが走る。次に、何故?と、そんな疑問が浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。そんなストーリーだったのか、今の私にはもう何も思い出せない。ただ、この人がいなくなるのは嫌だと、理由も分からないままに、彼から発せられた言葉を理解することを拒んだ。

「抜けて、どうするつもりで……?」
「する事は変わらねぇよ。ただ新八も出ていくなら、俺もな。あいつも自分の尽くせねぇ殿様に付いていく気はねぇからよ」
「……そう、ですか」

どうして、私の声はここまで震えているのだろう。どうして、この人を失いたくないのだろう。
――嗚呼きっと、彼が優しすぎたからだ。貪欲な私は、原田左之助と言う自分の泣き場所が無くなる事を、怯えている。なんてひどく自分本意な本音だろうか。

「だがな、俺としちゃここからが本題なんだ」
「?」

やっと、琥珀が私を映した。持ち上げられた顔に吊られ、燃えるような緋色が揺れる。固くて芯のある、しっかりとしたあの髪は彼によく似ていたのを、ふと思い出した。やはりあの長かった髪を切り落としたのは悔やまれる。

「……紗良、俺と来い」

え?と発したつもりでいた声は喉の奥で殺された。思いがけない言葉に双眸が丸まり、彼の言葉がまるで異国の言葉のようだった。

「新八には俺から話す。……前に言ったよな?海の見えるところで所帯を持って、女房と静かに暮らすのが俺の夢だって」

伊東派に付いてこの組を一度離れた日々の事を思い出した。確かに彼はそう言って、それが剣を持つ彼に不似合いな様な、しかし彼自身としてはよく似合うような、そんな考えを抱いたものだ。
少し腰をあげた原田さんの身体が、私の方へと近づいた。膝を立てた彼に対し顔を上げ見上げると、何となく彼も緊張しているのかと思われた。

「俺は、お前とそうやって暮らしたい。誰かの弱さには直ぐに気付いてやれるくせに、自分の事になると抑えてひたすら隠すお前を守ってやりたくて仕方ねえんだ」

俺は、お前に惚れてるよ、紗良。

私の髪に指を通して、ゆっくりと、真っ直ぐに、彼は私にそう言った。心臓の辺りが脈を打つ。震えそうになる声を堪えて、両の拳を握りしめる。視線を合わせるのすら苦しくて、けれど眼が離せなくて、やっとの事で斜め下へと逸らした視線が、桜の花弁を捉えた。季節外れにも程がある。口を開こうとした瞬間、その花弁は、ふわりと何処かへ飛んでいった。否、消えた、と言う方が正しいのかもしれない。
紗良。と、原田さんがもう一度名前を呼んだ。嗚呼そんなの、私の答えなんて決まっているじゃないか。これ以外の言葉なんて、言える筈がないじゃないか。

「……行けません」

私は、行きません。もう一度そう繰り返して、静かに彼の手を拒んだ。腰を上げて彼を一瞬見下ろしたが、目が合わせられず障子に阻まれた月明かりに目を遣る。行かない。そうだ、行けないんじゃない、行かないんだ。私の意思で、そう決めたんだ。

「静かに暮らす事が夢だと、確かに原田さんはそう言いました。けれど、貴方の夢はもうひとつ在ったでしょう?」

刀をもって戦い続けると言う夢が、この人にはあった。永倉さんと原田さんがどれだけ互いを信用し、背中を預けてるかなんて私にも一目瞭然の事だった。きっと永倉さんは原田さんが離隊を共にすることに喜びも感じている筈だ。
それならどうして、いつ消えるかも分からない女がそれを邪魔できようか。私を選んだ事を、後悔してしまう日が、きっといつかは来るのだから。それなら決して後悔しない道を、彼に選んでほしかった。

「……紗良、それは、」
「ねぇ原田さん。此処に三つの夢と、二つの道があります」

唐突な私の言葉を、きっと彼は理解し難く思っている事だろう。表情が見えないまま、私は言葉を続ける。

「壱の道を選べば、叶う夢は二つ。弐の道を選べば、叶う夢は一つ。――原田さんは、どちらを選びます?壱でしょう?私だって、壱です」
「紗良!」

障子に触れた私の手を、素早く立ち上がった彼の手が捉え、引き寄せる。泣いてはいけない。だって、私はただ"泣き場所"が無くなるのを恐れているだけで、永倉さんは"原田左之助"を求めてる。何度も泣いたこの腕の中が、今ではとても息苦しい。この手に縋っていい訳がない。
仮面を付けるのは、慣れた事だったのに、それほど泣き場所と言う存在は私にとって大きかったのか。悟られない程度に大きく息を吸い込んで、震える唇きつく結んで、そして、――小さく笑った。笑って、彼に目を見上げた。

「未だ分かりませんか?……私の幸せは、貴方の傍にいる事じゃない」

私の泣ける場所は、貴方の前だけじゃ、ない。そう自分にまで言い聞かせるようにゆっくりと言葉を発する。勿論、繕われた笑顔のままで。
彼の力が緩められたのがわかり、するりとその手から逃れ今度こそその部屋から外に出た。部屋を出る際に「悪かったな」と呟かれた言葉が、とても痛かった。あれだけ優しかった人を私は傷つけた。ひどい言葉を態々選んで、傷付けた。泣いていいのは私じゃない。例え鼻の奥が痛んでも、明確な理由もないくせに、泣くことなんて許されない。

立ち止まることなく足早に自分の部屋に戻ろうとしたところ、庭にいる人物に思わず足を止めた。

「――風間さん?」
「なんだ、その顔は。なにか俺に用があるのだろう?」

夜風に金色の髪が揺らいで、その瞳は私を捉えていた。
まさかあの時気付いていたとは。その通りです、と、小さく頷く私は、きっと今までで一番上手く感情を隠して笑えていることだろう。今なら何処へでも行ける気がしたから。今なら、何だって出来る気がした。



どうか貴方は羽ばたいて


  後悔なんてしてほしくない、

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