50 みぎかひだりか 江戸へと落ち延びた後、新選組は旗本屋敷へと身を寄せていた。其処には既に山南さんや藤堂さんや沖田さん、他の平隊士の方々も集っており、藤堂さんの顔を見るなり「先日の別れにしては再会の日が早すぎませんか兄上!!」「う、うるせえ!俺だってこんなに早ェと思ってなかったっつーか、また会える事すら思ってなかったわ!」と雪村さんに笑われてしまうようなやり取りを交わした。いや、だってそうでしょう。先日の別れの私の涙を返してください。泣いてはいませんけれど。
近藤さんや土方さんは上の方との会合や隊士を集めに走り回り、私達はと言うと、戦に出向くこともない日々を過ごしていた。
「沖田さん、入りますよ」
「……あぁ、昼餉か。珍しいね、君が持ってくるなんて」
「ええ。雪村さんは近頃何処かへ出掛けていまして。……皆さんはお酒を飲んでいますけど、沖田さんは如何です?」
「そうやって聞く割に、膳の上には徳利が見当たらないんだけど?」
「流石は目敏い。……どちらかと言えば、沖田さんは此方かと」
かさりと金平糖を包んだ包みを見せれば、翡翠の瞳がきょとんと丸まってから可笑しそうに肩を震わせた。「まさか君がそんな事をするなんて思わなかったなぁ」と言うものだから「沖田さんが薬を嫌がる時にはこうしてくれ、と、山崎さんが言っていましたからね」。そう返せば彼の双眸が柔らかく細められた。
この人は、彼と口煩いだの何だので喧嘩になり、周囲には犬猿の仲だとも言われていたけれど、喧嘩する程なんとやら、本心ではあの人を嫌っては居なかったのだろう。「やめてよね、今度は君が口煩くなるつもり?」「それもいいかもしれませんね」そうやってくすくすと笑い合うのも束の間。ゴホッと一度堰を切れば暫く止むことの無い咳に私ができることなど背中に手を添え楽になるよう擦るだけだ。京に居た時より格段と骨の浮き出た背に、唇を噛んだ。
「大丈夫だから」と咳の合間に途切れ途切れに紡ぐ身体には強がりが透けて見えたが、それを暴くような真似はしない。それが、彼の虚勢だと分かっていても、彼の自尊心を踏みにじるような真似のなるのが分かっていたから。
「……ねぇ、紗良君。変若水で労咳は治らないんだってね」
雪村さんがいつ来るか分からないからか、呼び方はそのままに、けれど向けられた表情の痛々しさに唇を横に結ぶ。「知ってるんだ、僕」。その言葉に、私はひとつ頷いた。この人は、いつ知ってしまったのか。
庭ののどかな風景が、この部屋と妙に不似合いなのが虚しさを連れてきた。その庭に眼を遣って「だけど、あれのお陰で僕はまだ刀が持てているんだろうね」と呟いた彼の口許には僅かに笑みが携えられ、長い睫毛が白い頬に影を落とす。その表情が今にも消え入りそうなくらい儚く見えたから、あぁきっと人はこういう時に抱き締めたくなるのだろう、と、理解したものの行動には移さない。
「……近藤さんは元気?」
「どうでしょう。……近頃、きちんと会えていません」
「……、そう。ところで君はちゃんと食べてるの?」
「少なくとも、沖田さんよりは。ほら、俺が居るからには残すなんて許しませんからね!」
「あははっ!だから止めてよ、世話焼きなんか君には似合わない」
「俺はどんな印象を持たれてるんですか……」
「"生きるも野垂れ死ぬも勝手にしてください"とか?」
心外だな、あまり否定もできないけれど。小さく口を尖らせ眼を皿にしていると、沖田さんはやっぱり可笑しそうに笑う。
「――ねぇ。君は、何を考えているのかな」
「……何、とは?」
「君はこれから、どうするつもりなの?」
「…………組のために、為すべき事を」
「だから、それは何かって聞いてるんだよ」
完全に体を起こし私を見据える翡翠色に、未だに嘘が吐けずにいる。けれどこれは隠し通さなくてはならない事で、無理矢理にでも誤魔化さなくてはいけない。ああ、これが沖田さんでなければ平然と嘘が吐けたのに。私が自分に嘘が吐けないと、この人は多分既に知っているのだろう。だからこそ、質が悪いんだ。
「……秘密、です」
「と言うことは、やっぱり何か企んでいるんだね」
「うわ、人聞きの悪い。俺だってたまには皆さんの役に立ちたいと思うんですよ!」
「あははっ、それは意外だなぁ。なんてね?――誤魔化されてあげないよ。僕に隠し事なんてできると思っている訳じゃないんでしょう?」
しっかりと翡翠が私を捉えた。いけない、この眼から逃げてしまわないと。しかしこの人はあくまで私の逃げ道を許さないとばかりに腕を捕えた。それを私が振り払えない事を、この人は、知っている。
(嗚呼、この瞳からは逃げられない)
唇が震え、言葉が溢れそうになったときだ。
「沖田さん、紗良君!」
聞きなれた女の子らしい声がして、そちらを振り返れば原田さんと雪村さん。すっと腕が解放されたと同時、その翡翠からも解放される。その事に初めて大きく息を吸うことができ、自分が緊張していたことが分かった。これ以上傍に居ては悟られてしまう。そんな畏怖にも似た何かを覚え、「俺はこれで」と頭を下げて部屋から出た。縁側をつたっていると、部屋から小さな笑い声が聞こえてきた。
そんな笑い声、あの頃は当たり前の風景だったのに。
そう遠くもない筈の日々が、酷く遠いものに感じられた。
それから数日、久々に近藤さんと土方さんが顔を出したこともあり、道場に居た隊士の方々は皆庭へと出ていった。一人で剣を振るっていたのだが、嬉々とした声がシンと収まり、不思議に思い庭の方へ出てみると、永倉さんと近藤さんに続いて土方さんと原田さんが何処かへ行く姿が見えた。幹部の集会にしては、斎藤さんの姿が近くにある。どうしたのだろうかと、傍に居た雪村さんと二人で顔を見合わせ首を捻った。
その理由が分かったのは、夜になっての事。
「……紗良」
「あれ、原田さんもお月見します?」
「ははっ、……ああ。確かに綺麗な月だな」
でしょう?そう小さく笑うと、いつもの様に原田さんが微笑み返してくれる、と思っていた。けれど実際に原田さんの表情に浮かぶのは、確かに笑ってはいるのだけれど、何処と無く寂しそうなものだった。まるで月の様な笑い方をする。この人のそういう笑みを見たのは初めてだ。初めて?いや、もしかするとここ最近はそうだったのかもしれない。
――私が、気付かなかっただけで。
「はらださ、」
「だが残念な事に月見をする時間はねえんだ。紗良、ちょっと話がある。部屋に来てくれねえか?」
そんなの断る筈もなく、こくりとひとつ、頷いた。
みぎかひだりか
何処へも行けずに踞ってた
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