桜とともに | ナノ


重なったふたつの影に口づけを

近頃ようやく慣れてきたと思いたい女物の着物の袖を捲り荷物の入った籠を抱える。そうして夕餉の買い物を終え帰路についた頃、遠方から家で帰りを待っている筈の人の姿が見えた。彼は私の方を見て、呆れた様な苦笑を洩らす。

「……ただいま?」
「お帰り。……また随分と買わされたんだな」
「此の街の人達は商売上手ですよね。あぁ、だけどおまけも沢山してもらいましたよ」
「そうか。……椎名君、荷物を此方に。……、……そんな顔をしなくても、それくらいは持てる」

私の手から荷物を取った彼は何処と無く可笑しそうに笑う。
あれから奇跡的に一命をとりとめた山崎さんは、動けるとは言っても組の為に刀を振れるような身体ではなかった。一度は沖田さんの看病として、三人で大阪へ移ったが、とある一件を耳にした沖田さんは羅刹としての体力も剰り残っていないであろうにも関わらず、此処を去った。探している内に明治へと時代が代わり、先日尋ねてきた土方さんから、沖田さんの事を聞いた。「沖田さんらしい」それが、私達が唯一言えた一言だった。御互いに涙は流さなかったが、彼も何処かで一人泣いたのかもしれない。――私が、夜の河原でそうしたように。

「近頃、良い野菜を選ぶのが上手くなってきたと褒められました」
「それなら今日のは更に美味しくなりそうだな」
「今日は山崎さんの番でしたっけ。作りすぎないでくださいよ。三人前ならまだしも、この間なんて十人前くらい作りそうでしたよね」
「あれはすまない。……まだ癖が抜けなくてな」
「……その癖は、嫌いではありません」

十人前くらい作っても、あそこでは取り合いが起きてましたよね。そう言うと、山崎さんは今でもあの時と同じ様な厳しい顔になった。

「あれ」
「あら、紗良ちゃん迎えに来てもらったん?」
「いいえ。偶然逢っただけです」
「山崎さんたら待ちきれんかったんやなぁ。そんだけ嬉しかったんやろか?」
「は?」
「ゴホッ!いや、そう言うわけでは……!」

山崎さんの背を、偶然通りかかった近所の奥さんが朗らかに笑いながら容赦無く叩く。大阪の人達は今も先も変わらず友好的だな。「照れたらアカンで?ほな、これ以上言うたら怒られそうやさかいなぁ?」にやにやと笑いながらそれだけを言って、彼女は自分の家へと向かう。

「……何の話です?」
「何でもない」
「その割には赤くなってますが」
「なってない」
「前から思ってたんですけれど、山崎さんって土方さんや斎藤さんに似てますよね」
「お、畏れ多いだろう……!」
「じゃあ沖田さんだ」
「それは違う」

何だか可笑しくてくすくすと笑み、数ヵ月ほど前に構えた家の中へと入る。今日の夕餉の当番は山崎さんで、私は洗濯物を畳む日か。各自自分のすることを頭の中で繰り返すのは、二人で暮らし始めて三月頃に分かったことだ。

「それでは洗濯物を入れて、」

若草色の着物の袖を引いたのは、此の場にいるのは二人なので必然的なのだが、それでも意外だと思った。

「山崎さん?洗濯物を入れないと、日が沈むと冷たくなりますよ」
「家を出る前に入れてある」
「……?今日って山崎さんの当番でしたかね」
「いや、君だな」

じゃあなんで、と聞こうとした言葉は喉の奥に転がった。代わりに口を突いたのは、どうしてそんなに赤いんですかとの純粋な疑問。熱があるとかではない。強張った顔からして、彼はひどく緊張している。

けれど、どうして。

「……先程の家から、酒を貰った」
「はぁ。今の季節だと熱燗ですかね」
「いや、まだそれには早……ってそうじゃない。……いや、それでいいか」
「男らしくないですよ。三三九度がしたいならそう言えばどうですか」
「あぁそうだな。三三九度が……、」

盛大な溜め息を溢した山崎さんの顔が、再度赤く染まる。相変わらず面白いなぁ。可愛い可愛いという意を少しだけ込め頭を撫でれば、少し硬い髪が掌に刺さりくすぐったかった。
「ん?」と、それはもう態とらしく首を傾げて差し上げれば、言いたい言葉はひとつなのにその言葉が出ないのだろう。何度か口を鯉の様に開閉した後、山崎さんの大きな声。沖田さんに部屋へ戻るよう注意している時と、よく似てる。

「何で知っているんだ!!」
「前々から言われていたんですよ。山崎さんと御酒を買って三三九度をすればどうだって。まぁひとつ言えば……」

さんさんくどって、なんです?

……。……。……此処まで、此処まであからさまに肩を落とす彼の姿を見るのは初めてだ。かといって肩を落とす理由も解らないので謝る理由もない。さて、どうしようか、と彼を覗き込めば、先程までの赤みは一瞬にして引いていた。

「……聞いた事もないのか?」
「言葉だけはあるから、どういう意味か聞いているんです」
「……成る程。そうだな、……君は雪村君程鈍くはないが、雪村君よりはるかに無知だ。それも質の悪い」
「あれ、どうして私いきなり貶されてるんです?」
「貶したつもりはないが……、そうだな。けれど幸いかもしれない」

だから何がだ。
一人で頭に疑問符を浮かべる私を他所に、先に入っていてくれと声を掛けてから彼は夕餉の食材を勝手場へと置きに行った。解らない手前、言う通りにするしかない。溜め息をついて下駄を脱いでから、正座をして彼が来るのを待つ。先日、此の姿で胡座を掻いていたら彼に凄く怒られた。

「待たせたな」
「いいえ。……それで、此の御酒ですか」

ちらりと目を遣ったのは、先程からどんと置かれてある黒い瓶の酒だった。なにやら高級そうな気もするが、それは黒色の成す業と言うのだろうか。
「ああ」と短い返事をした山崎さんは、「まだ言ってもいなかったが」と、ゆっくり床に手をついた。土下座でもする気かと目を瞬かせたが、そうではないらしい。
切れ長の目が私を真っ直ぐと見据え、思わず此方の背筋も伸びる。なんだろう、心臓が煩い。土方さんより少し濃い、紫紺の瞳は相変わらず綺麗だ。少しの後ろ髪を長く長く伸ばしていたのに、あれを切ったのは何だか勿体なかったなぁ。

「……君を、愛しく思ってる」
「は、」
「俺の妻になってくれないか」
「え、えぇと……?つまり、それがこれで?これが、あれで」
「落ち着いてくれ」

苦笑を洩らしたところで、話を変えるつもりはないらしい。成る程、三三九度とは、つまりこういう事か。どういう事だ。心中で一人突っ込みを入れたところで状況は変わらない。俯かせた顔は馬鹿なくらい赤く染まっているのだろうが、それでも私も彼の瞳を真っ直ぐと見据えた。
(……すごい、)
何も怖くないのに、声が震えそうになる。

「私、で……宜しいのであれば」

お願いします。と小さく頭を下げれば、山崎さんが幸せそうに微笑むから、自分が今どれだけ幸せな状況にいるのかを理解した。
彼の身体が近付いてきて、その温もりが私の身体を包んで、愛おしそうに「紗良」なんて呼ぶから、うっかり泣きそうになったのを唇を噛んで耐えた。代わりに目元を彼の着物に押し付ける。

「……紗良?」
「…………なんでそんなに、名前を呼ぶのが自然なんですか」
「!?い、いや、それは……!」
「密かに練習してました?」

次こそ彼は言葉を失った。それがなんだか可愛くて、くすくすと笑みを溢す。

「……すす、む……烝、さん」

あぁ、やっぱり少し照れますね。と小さく笑えば、彼の、もう剣を持つ手とは少し違う指が私の頬を撫でた。そうして近付いてきた端正な顔を、拒む理由なんてない。ただ、私も瞳を閉じるだけ。

つまり明日から、街で「山崎さん」と呼ばれた時、何の躊躇いもなく返事ができるのか。と、煩い心臓を誤魔化す様に考えた。



重なったふたつの影


  此の地でどうか、永遠に



「あぁ、ご飯を多く作ってしまう癖は直さない方が良いかもしれませんね」
「?」
「だってほら、増えるかもしれませんし?」
「ッ!?げほ、そ、それは……!」
「冗談ですよ、半分は」
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