桜とともに | ナノ


43 切り取られたスターチス

目を覚ますと、既に土方さんは文机に向かっており、私が身を起こしたことに気付いたのか「御早う」と振り返った瞳には幾等かの安堵の色が見えた。


稽古を終えた昼過ぎに部屋の前に立てば、声を掛ける前に名が呼ばれる。もう慣れた事なので然程驚く事もない。失礼しますと一言発し明かり障子横に引けば目に入る光景に、少しばかり目を見張った。

「そんな所で突っ立ってないで、さっさと入りなよ」

「それでさっさと出てって」と言われてもない拒絶の言葉が耳の奥から聞こえてくる様だった。基より色白の方では在った肌は透き通るように青白い。永倉さん程でなくとも逞しく映った腕は幾等か痩せ細って見える。それは、紛う事なく、病人の"ソレ"。
何も言わない、正確には何も言えない私に代わって、先に言葉を発したのは沖田さんの方だった。

「何しに来たの」

簡潔な、疑問符すら付いていない問い掛けに目を伏せ少しの間返答に迷う。お見舞いと言う言葉をこの人は酷く嫌うだろう。病人扱いされる事も嫌う。

「猫が、気に掛かりまして」

私の一言に、沖田さんが訝しげに眉を寄せた。「猫?」「はい。猫です」猫が庭先を通ったんです。綺麗な猫が。つい追いかけるとこの辺りで見失ってしまいましたから、沖田さんの処に。沖田さん、猫によく好かれていたでしょう?
相手の目を見て緩く笑えば、沖田さんの雰囲気が少し柔らかいものに変わった気がした。勘違いかもしれないが、ほんの少しだけ。

「残念だけど、此処には居ないよ。それで君の用は済んだよね」

柔らかくなったかもしれないというのは私の期待に似たそれは呆気なく打ち砕かれた。「出ていって」拒絶の言葉が今度は鮮明に聞こえた気がしたし、もしかすると本当に発せられたのやも知れない。いつまで経っても動こうとしない私に痺れを切らしたのか、ゆっくりと上体を起こした沖田さんが若干背を丸めて私を見る。変わらない綺麗な翡翠の色が、私を映す。

「……珍しいね。君なら出て行くと思ったのに」
「女性をそう無下に扱っちゃいけませんよ」
「女扱いなんかされたくないくせに?」

どこか嘲るように上げられた口角に、この人のこんな表情を見るのは久し振りだと他人事のように感じた。私に向けられていると頭で理解しきったら、みっともない顔を晒してしまいそうだったから。「お話も、したくありませんか」"私と。"という言葉は外した。

「――――なら、ひとつ聞かせてもらおうかな」
「はい」
「なんで君は、出て行――、ッ!」

一度堰を切れば何度も繰り返される激しい咳はそう簡単に止まらない。咄嗟に名を叫んで彼に向けた手は叩き退けられた。パシンと払われた音が、酷く乾いていた。

(ああ、これが)

拒絶か。袖口から取り出された紙を口許に当て幾度か咳を繰り返して離した其れには、赤い血がこびりついている。私が労咳の事を知っているからか、隠す素振りも彼は見せない。その事に、少し安堵する自分は狡い。
息を整えた沖田さんが、再度私の方を見遣った。

「君って、自分勝手だよね」

彼の薄い唇からひとつ音が漏れると、後の言葉は留まることを知らない様だった。

「なんで組から出ていったの。まさか伊東さんに心酔しちゃった?だとしたら、よくもまぁ、のこのこと帰ってこれたものだよね。まあ君に限ってそんな事は無いと思ってたけど、その髪型からして有り得る話なのかな」

その髪型、と言うのは後ろ髪だけ、伊東さんと同じ様に上半分を高めに結ったものだった。バレないとは思っていなかったが、そう簡単に見破られるとも思っていなかった。そういえば沖田さんも近藤さんとお揃いの髷だったか。それは、私が伊東さんに憧れていると思っても可笑しくないのかもしれない。
この髪にしたのは、一種の弔いや罪悪感にもよく似た感情からだった。

「私自身、伊東さんを嫌ってはいませんでしたから」
「……それで組を出たの」

鋭い翡翠が私を射抜く様に細められ、未だにこの瞳にだけは嘘が吐けない自分を実感した。

「この組を出たのは、歴史を変えたかったからです。……藤堂さんを、救いたかった」

そう言って俯いた私に、は、と彼が嘲笑したのが分かった。

「君の優しさって、残酷だよ」

突きつけられた言葉に顔を上げる。軽蔑だけが残されていると思った表情は、意外にも哀しげに、そして苦しげに歪められている。それでも口許だけは相変わらずの笑みを保っているのが、私の心を締め付けた。
彼は緩く首を傾けて、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

「中途半端に手を差し伸べて、それでも急に何処かへ消えるんでしょ?」

それなら手を伸ばさない方が、ずっと良い。
私から視線を外した沖田さんが力なくそう呟いた。残酷。ああ確かに、そうかもしれない。藤堂さんを一人にしないと言ったあの時も、この組を離れることまでは考えていなかった。調子の良い偽善に満ちた言葉だった。
「出て行きなよ。僕は君と話したくない」はっきりと突きつけられた拒絶の言葉に、私は何か言うでもなく、ただずっとその場に座っていた。

「……聞こえなかった?出て行けって言ってるんだけど」
「……」
「君ってもっと聞き分けがよかったよね。それとも同情?それとも、また残酷な優しさを向けるわけ」
「私が、此処にいたいんです」
「は?」

言葉を選ぶつもりはない。言葉を選んで飾ったところで、この翡翠には通用しないことを知っていた。背筋を伸ばして、表情を作ることもせず、ただ翡翠の奥を見つめて口を開く。

「ずっとなんて約束は出来ません。それでも、今は此処にいたい」

可笑しな物を見るかの様に丸まった翡翠が細められたとき、沖田さんはくはっと小さな笑みを溢した。ああ、いつもの彼だと無意識に力んでいた肩の力が抜ける。

「君は変わったね。少し前ならそのまま下がっていたのに」
「近藤さんにも言われました」
「……ねぇ、」
「?」

ろうがいって、と彼の口を突いたが首を小さく横に振り「やっぱりいいや」と笑う。

「一君と何かあった?」
「……なんのことやら」
「あ、今少し目が泳いだよね。それに否定も肯定もしない。何かあったでしょ」

そんな無駄な観察眼要りませんからと心中で毒づきつつ「仲直りをしただけです」と少し間を開けて言えば、「それだけ?」と突っ込みを入れてくるのでそれだけですと頷いた。

「なぁんだ。懇ろにでも為ったのかと思った」
「有り得ませんね。大体そんな感情を示された覚えもありませんし、私にだって在りませんよ」
「愛を告げられたりしてないの?」
「……愛……。……あれは、どちらかと言えば稽古に参加する資格を貰ったって言う解釈が正しい気がします」
「どういう意味?」
「稽古を禁止されていて、だけど仲直りの際に人として認めてもらえた、と……自惚れかもしれませんけれど」

よくよく考えれば、人として好きだと言うことは、私の人格が認めてもらえたと言うことに繋がるんじゃないかと木刀を手にするときに考えた。そう思うと、無性に擽ったく感じられ、永倉さんに「良い事でも在ったか?」と稽古中に尋ねられるくらいだった。
「お言葉に甘えて今日は稽古に参加してきました」と言えば、何故か彼の口許が愉快そうに弧を描いた。

「へぇ?……だってさ、一君」
「は?」

まさかと思い後ろを振り向けば、静かに明かり障子が開いて斎藤さんが顔を出した。「盗み聞きなんて趣味が悪いですよ」という私に乗っかってか「仕方ないよ。一君はむっつりさんだからね?」と沖田さんが笑う。

「…………椎名。雪村が井戸に居る。あんたの事を気に病んでいた故、行ってこい」
「そういや雪村さんとも仲直りをしないといけませんね」

私自身の彼女に対する感情に変化は無い。彼女の私に向ける感情は嫌悪ではなく怖れだと言う事に気付いてはいたし、あれから必要以上の接点を彼方から取ってくる事もなくなったので、私からすれば別にどうでもよかった。けれどちらちらと私の方を申し訳なさそうに見遣る雪村さんに、回りから寄せられる目と、そんな雪村さんを見た後の私に向けられる目は言わなくても分かることだろう。
気の進まないまま腰をあげ部屋を出ると真っ赤な夕日が殆ど山に食べられていた。そのまま少し歩いた所で、部屋から沖田さんの可笑しそうな笑い声が聞こえてきて首を傾げる事となる。


「雪村さん、…と兄上?」

井戸に居た二人の姿に声を掛けた。雪村さんは相変わらず、凄くおどおどと叱られた後の子犬の様な目で私を見る。藤堂さんはと言えば、罰の悪そうな笑みを浮かばせていた。

「……悪ィ。飲んじまった」
「どうして謝るんですか」

寧ろ俺が、と言い掛けた言葉は藤堂さんの掌によって押し戻された。その瑠璃色の瞳が切な気で、私は本当に何を守りたかったのかが全く解らなくなる。やっとの事で口を突いた言葉は、「調子はどうですか」

「そ、そうだよ平助君!もう動いて大丈夫なの?」
「ん?ああ。怪我も治ってるみたいだし、前と何にも変わんねえよ。ただ……」

まるで血の様に赤く染まった夕日とは逆に、うっすらと浮かんだ月に目を細めた藤堂さんが、ぽつりと小さく漏らした言葉に雪村さんが目を伏せた。

「今は、黄昏が夜明けに見えるし、月が太陽に見えるかな」

羅刹になると太陽の光に弱くなると聞いた。藤堂さんに対し謝る雪村さんの言葉から、ふつふつと怒りが湧くのも事実で、未だ私と雪村さんが此処にいるべきではないと言う考えが頭から離れない。
けれど、だとすれば、何処へ?
こうなった今、私は藤堂さんが生きているのが嬉しい。動いてくれてるのが嬉しい。温かいことが、何より嬉しい。変若水とは言っても、私は、なにも思っていなかった。呟かれた声色が酷く哀しさを帯びていても、生きている、その事実だけが、なにより。
ただそれは、私があらすじの話しか聞いていなかったからだと悟る。雪村さんが、血を与える、その話しか。

「痛ッ」

パリン、と雪村さんが手にしていた皿が粉々に砕け散り、それを拾おうとした彼女の手から血が伝う。
私より一足先に心配して駆け寄った藤堂さんの様子が、変わった。

「ぐ、うっ…!あ"、ッアアアァァアアア!!!」

身を後ろに下がらせ、苦しげに呻く藤堂さんの髪が白に染まり、その瞳は、あの夜に見た山南さんと酷似する。汚れ無き無垢な純白によく映える、鮮血のような真紅の瞳。

「え、へ、平助君……っ?!」

血を流したまま駆け寄ろうとする雪村さんに制止の声をかけ、近寄ろうとする私には藤堂さんが「来ないでくれ」と叫ぶ。膝を着いて、まるで自分の中の何かに抗う様声を上げる。どうすればいい、誰がいる?山南さんの時は、沖田さんが。では、今は?どうするべきか分からないまま眉を寄せていると、じゃり、と静かに近寄ってくる音がした。

「それは吸血衝動ですよ……。血を飲めば、治ります」
「さ、山南さん?!」
「ぐ……ッぁ、嫌、だ……!血を飲むなんか、俺は……っ!!」

何を耐える必要があるのかと問い掛け山南さんに、「変な事を言うのをやめてください!」と雪村さんが悲痛とも捉えられる声で叫ぶ。変な事?物静かな山南さんの声が、私の心にじぐりと染み込んでいく。人が食事をする様に、羅刹には血が必要なのだ、と。

「そんなの、ッ人がする事じゃ……ない……!!」
「君は自分の事をまだ人だと?」

何か柔らかく、けれど重たい物が私の頭を殴った。人じゃ、ない。此処にいる彼らは、人じゃない?ただ食べるものと苦手な物が変わっただけだと言う私と、ああそうか、と納得してしまう私がいる。それでも一つ共通するのは、――――なんて、悲しい言葉を言うんだ。
人の善悪に縛られる藤堂さんを不幸だと山南さんは言う。ただその瞳も何処か哀しそうに、物憂いに陰っている。

(永倉さんの言葉が、解った気がする)

生きていればいいと思っていたが、こんなに、苦しそうに顔を歪ませるのか。

「……どうしても飲みたくないと言うのなら、これを飲みなさい」

ただし、その場凌ぎの物だと言って小さな包みを手渡した。その薬を飲み干せば、たちまち元の色へと落ち着く。ありがとう、と礼を二人に微笑みを返し、山南さんは背を向けた。「また見回りか……?」と掛けられた声に、ただ小さく、ええ、と残して。
雪村さんに近寄って、怪我は大丈夫ですかと問えば、サッと怪我をした指を隠して「大丈夫だよ」と笑う。彼女の掌の下では、新しい皮膚が出来上がっているのだろうか。そんな事をぼんやりと思いながら、ゆっくり彼女の頭に触れた。
謝るのは少し違う気がして、夕餉には雪村さんのお煮物が食べたいですと笑えば、安堵に満ちた笑顔で頷いた彼女は勝手場へと掛けていく。

「……なあ、紗良」
「はい」
「俺、化け物だなぁ……ッ」

嗚呼、嗚呼。どうしてそんな悲しい言葉を。きつく握りしめられた手を取って、藤堂さん、と宥めるように名を呼んだ。そして、「化け物とはなんでしょうか」と尋ねた私は、上手く笑えているかどうかを確かめる術がない。瑠璃色の瞳から伝った透明な涙を、親指の腹で拭う。

「そんなに綺麗な涙を流し、こんなに暖かい化け物を、私は知りません。……何も変わらない、変わっていません」
「だけど俺は、血を、血が、堪らなく欲しくなっちまうんだぞ……?!」
「だけど貴方はそれを嫌がってる。藤堂さんが化け物だと言うのなら、人としての感覚も、感情も、殺してしまっていた私は何だと言うんでしょうね。――もしも、貴方がそれでも自分を化け物だと呼ぶのなら」

私が、その度に藤堂さんは人間だと言いましょう。

瑠璃色の瞳が瞬かれ、なんだよそれ、と泣きながら笑う彼に、やっぱり何も変わっていないと感じる。

藤堂さんの頭を軽く撫でて、山南さんの行った道を辿ると、珍しい人物が目の前に現れた。

「なんとまあお久しぶりです。今日は御守りをしていないんですね。――天霧さん」

声をかけた先、物静かな鬼が頭を下げた。



切り取られたスターチス


  変わらないものを信じてみたかった、



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