39 絡んだ糸を鋏で切るか 「伊東さん、お出掛けですか?」
こんな夜に、と付け加えて首を傾げた紗良君に、伊東さんは「ええ」と頷いた。冬の寒さの厳しい、夜だった。
「紗良君にとって、少し良い結果となるかもしれませんわね」
ほんの少しだけ、嫌な予感がした。あの夜が起こるのはいつだったか。友人と称された少女の、とっくの昔に忘れた声は日にちまでは教えなかった。まさか今夜?いや、そんなはずない。でも、もしかして、――――今?
「……まさか、新選組の皆さんですか?」
あくまで内部の事情なんて何も知らない紗良君のスタンスは崩さず、少し嬉しさを我慢したような声色で尋ねた。深入りしすぎたか、長く居すぎたか。どちらにせよ、シナリオ通りに行けば触れなかった、伊東さんの優しさに触れすぎた。
心の中の私は、嫌だ嘘だと子供のように頭を振っていたのかもしれない。それは、伊東さんを見殺しに出来ないと言う偽善のような理由か。はたまた自分を気に入ってくれている人が死ぬのは嫌だと言う、自分本意な欲望か。
返事を待つ紗良君に、伊東さんは目を細め、残酷なまでに優しい笑みを浮かべた。
やっぱり、あの人たちを慕っていますのね――――、と。
「いと、」
「けれど秘密。そんなにおいそれとは話せませんもの」
行ってきますわ、と何時ものように小さく手を振った伊東さんの背中を、お気を付けて、と見送る紗良君はどんな表情をしているのだろう。そして私は、一体今までに、何度こうして人を見殺しにしてきたのだろうか。もしかすると、私もあの、今も屯所で無邪気に笑っているであろうヒロインと同じなのかもしれない。――大切なのは、自分の世界だけ。
踵を返した。私は"彼"に会わなくてはいけない。そうしなければ、何も出来ない。散歩しましょうとか名目は何でもある。何でもあるから、とりあえず、此処から離れないと。だけど離れた後、どうすれば?いや、生きていればなんとでもなる、大丈夫。
早く会わなければいけないのに、藤堂さんの姿がどこにもない。どうして、何故。部屋にも広間にもいない。
斎藤さんは間者だから心配はなかった。今だって、姿が見えないということは安全な場所に居るのだろうか。
「椎名」
「っ、……やだなぁ、気配消さないでくださいよ、斎藤さん」
「俺は消したつもりはないが。あんたが気付かなかっただけだろう」
「……あの、藤堂さんを知りませんか」
「いや、知らぬな。それよりも椎名、此処を出るぞ」
距離を詰め、私にしか聞こえない声で斎藤さんはそう言った。そして確信した。やっぱり、今夜なんだ。行けませんと首を横に振る私に、何故と斎藤さんは理由を問うた。
「藤堂さんを、守らなければなりません」
その一言で、斎藤さんも分かったのだろう。私が今夜の事を知っていると。もしかすると、土方さんが言っていたのかもしれない。
「あんたがか?刀を振るっても無駄だろう」
「盾くらいにはなれます」
「なら余計にやめておけ。あんたが身を挺して守ろうとしたところで、平助は逆に意地でも自分を犠牲にする。仮に、守れたとしてもだ。平助は必ず自分を責めるぞ。あんたはそれでも、守ったと言えるのか?」
正論だけが畳み掛けられていく。だけど、だけど私は、それならどうすれば?ぎゅっと噛み締めた唇は、腹立たしいほどに柔らかい。
「……平助の事なら心配するな。局長が逃げ道を確保するそうだ。幹部全員にそれを伝えている」
その言葉に、心に安堵が生まれ顔を上げた。よかった、それなら藤堂さんは死なない。生きていれば、なんとかなる。そしてそれが分かったなら、下手に私は手を出さない方がいい。斎藤さんの言葉に素直に頷いて、私は屯所へ戻ることになった。
屯所は場所が変わっていた。途中で斎藤さんと別れ、門を跨ぎ、少し庭の方へ進むと別の世界のようだった。一言で言うなら――――地獄。
「……なんですか、これ」
斬り倒されているのは、羅刹。羅刹、羅刹、羅刹。首を飛ばされたり胸を突かれていたりと様々だが、共通して言えることは、皆が皆、死んでいた。胃から込み上げてきた畏怖が喉を灼いた。
「――――!!」
一瞬、されど一瞬。何を言ったのかは聞き取れなかったが、声に対し振り返った私の視界になだれ込んできた人影から、鮮血が走った。男の顔は血に濡れいて、その向こうには息絶えた羅刹に、久方とも捉えられる金色の髪。その金色の髪をした男は、私からふいと眼を逸らし闇の中へと融ける。再度腕の中にいる男に眼を向ける。
「……梅さん?っ、梅さん!梅さん!!」
温厚そうに笑っていた男性の顔は、ぱっくりと斜めに裂け、そこから血が流れ続けている。その声を聞き駆け付けた斎藤さんの顔に、ありありと浮かべられたのは驚愕。
それから直ぐに、梅さんは斎藤さんに担がれ医務室へと向かう。顔の傷もそうだが、体も斬られていたらしく、なにしろ出血が多いために何とか持ちこたえてる現状だと山崎さんから聞いた。
そして、藤堂さんが重傷を負ったとも。
「何で、ですか」
「……幹部以外に、あの作戦は話されていなかった。平隊士たちは、その事を知らなかった。……あとは分かるだろう」
「紗良君……!」
私の姿を見つけ、面白いくらい頬を紅潮させた雪村さんが駆け寄ってくる。何があったんですか、それだけ尋ねると、雪村さんは凄く言いづらそうに言葉を紡いだ。それを纏めて言えば、つまり、"鬼の襲撃"、と。
「……はっ、」
思わず乾いた笑いが漏れる。前々から疑問ではあった。どうして、この人は守られる?いや。この人だけじゃない、私もだ。何故?一瞬の梅さんの声が思い出される。あの人は、あの人の呼んだ名前は、
『――紗良!』
紛れもなく、私だった。
私の様子を見かねてか、雪村さんが恐る恐る、様子を窺うように声を掛けた。
「あ、あの……紗良、君?……平助君なら、大丈夫だよ……」
彼女の口から、梅さんの名前は発せられない。馬鹿らしくて涙もでない。なんだ、貴女を連れに来た襲来者のせいでこうなっていると言うのに、頭にあるのは幹部か私のことだけか。
「ねえ、雪村さん」
ゆたりと上げた顔は、一体どんな表情になっているのだろうか。
彼女が、風間さんとの結婚を拒むのはどうしてだったろうか。ああ、好きじゃないからか。そういや、千姫さんに一緒に来ないかと誘われても、首を縦に振らないんだっけ?
ねぇ、なんで?
「千姫さんの誘い、受けなかったのは何故?風間さんのことをそんなに知らないくせに、拒むのは、何で?」
「そっ、それは、……」
何故か顔を赤くさせる雪村さんに、うっすら笑みを浮かべながら、優しく尋ね掛けた。
「こんなに、人が死んでるのに?」
「……え?」
幹部じゃなく、なにも関係のない、幹部の決定のまま彼女を受け入れざるを得なかった、平隊士まで。梅さんだけじゃない、怪我を負ったのは、他の方も皆同じ。
きっとピンと張っていた私の中の何かは、先程からプツリプツリと千切れ掛けてる。
「どうして、貴女は此処にいるんでしょうね?嗚呼、貴女だけじゃないですね。ねえ、――――っふざけるな!」
「よせ、椎名」
振りかざされた右手は彼女の可愛らしく整った顔に届く前に、高く掲げられた位置で掴み取られた。
「……雪村、副長が御呼びだ」
「は、はい……」
低く落ち着いた声に、静かに息を吸って頭を冷ます。目の前の雪村さんの顔に貼り付いてあった恐怖を和らげることをする余裕がない。飾りだけの謝罪を述べることすら、今の私にはできそうになく、手の持ち主――斎藤さんを一瞥し目を伏せた。
「……大体の察しはつく。あんたは平助だけでなく、梅戸を初めとする平隊士とも仲が良かったからな」
「……」
「平助は、……飲んだ。そうしなければ助からなかったんだ」
藤堂さんは、変若水を飲んで羅刹として生きる道が確定となった。結局私は、何をどう守りたかったのか。ただ悪戯に小さな歴史を狂わせただけではないのか。大きな歴史は、何も変えられないくせに。
「……それを、梅さんに使えませんか」
「なんだと?」
半ば無意識に、発せられた言葉は懇願に近かったように思う。その言葉に斎藤さんが眉をしかめたのが、顔を見ずとも込められた手の力でわかる。
「あんたは、あの液体の恐ろしさを知らぬのか。平助は持ちこたえたからと、梅戸が狂わぬとも限らない」
「狂ったときは、私が、」
「あんたが?斬れると言うのか。確かにあんたは人を斬った。だがそれは斬ろうと思って斬ったわけではないだろう」
「……」
「それなのに、仲のよかった梅戸を斬れるのか」
「それは、」
「俺ですら、あんなに慕ってくれていた部下を斬るのは、慣れぬ。出来ることならば――したくない」
顔をあげ、斎藤さんの顔を見た瞬間に後悔した。自分の言葉を、悔いた。怒りと悲しみが入り交じった苦しげな顔に、ふっと顔を伏せる。
「あんたは昔、守れる力がほしいといった。その為に、稽古にも参加した。それでは、あんたの守りたいものとは、一体なんだ?己の信念すら分からぬ者に、剣を持つ資格などない」
冷たく厳しい言葉に唇を噛んだ。ふっと掴まれたままであった手が解放されたかと思えば、斎藤さんは背を向ける。
「あんたは暫く、稽古に出るな」
目障りだと、言われてもないのに聞こえた気がした。泣くことも背を追いかけることも出来なければ、取り繕いの謝罪すら、言ってはいけない気がした。いや、言ってはいけない。だけどこの場を、どうすればいいのかがわからず、私はただ小さくなる背を見詰めていた。
絡んだ糸を鋏で切るか
向けられる怒りに、慣れてはいない
[40/62]
prev next
back