桜とともに | ナノ


38 涙は歩行の邪魔をする

なにやら皆さんが会議をするみたいで、私は通りを歩いていた。本来なら、別に庭とかでいても良いのだろうけれど、あらぬ噂が立たれても嫌なので絶対に話が聞こえない方法をとった。「散歩してきます」と。

「そこの兄ちゃん、好いたお嬢ちゃんに簪なんてどうだ?」
「あはは、それはいいかもしれませんね」

そんな冷やかしに真っ赤になる紗良君は、きっとそろそろ要らなくなるだろう。この世界へ来たのが数えで15、今はもう数えで17となる。嫌とばかりに成長しないこの体は、当たり前の事だが男女の隊格差がありすぎる。藤堂さんですら男性にしては小さいと言うのに、私はそれよりも小さかった。いくらサラシで胸の膨らみを潰し、腹に詰め物をして女らしくなってきた体を誤魔化せど、もう、苦しいのかもしれない。

「はは、学校すら行ってないのに中学卒業ですよーっと、わーい。あはは、勉強しなくて済んだわけだ」

……は、と最後に漏れた笑い声は、酷く掠れていた。こんないい天気の下で、ほんの少し俯いた。帰りたい訳じゃない、どちらかと言えば此処に残りたい。いつ消えるか分からない体には、既に背負ったものが多すぎる。どうしようもなく泣きたくなった自分を、泣くのは此処じゃないと叱責する。
藤堂さんに何かお土産でも買って帰ろうかと顔を上げると、嗚呼なんて酷いタイミングだろうか。向こうが不意に此方に顔を向け目を丸めたのと、私が何も考えずに駆け寄ったのは、ほぼ同時だった。

「は、らだ、さん」

何でこうも、会ってしまえば崩れそうになるタイミングで、貴方は。無意識の内に原田さんの着物の裾を掴んでいたことに気付き、声を紗良君に整え「すいません」と静かに離した。もう一度見上げると、困ったように笑っていた。

「久し振りだな」
「……お久し振りです。買い出しですか?」
「ああ。胡瓜をな」

顔を店の方へ向けると、にやにやと不躾な笑みを浮かべていた店主の隣で、あらあらと噂好きそうな奥さんが口に手を当てていた。

「随分別嬪な坊主だな。元服もまだそうだし、唾をつけるなら今ってか?」
「やだなぁ、俺にそんな趣味はありませんよ。と言うわけで、この胡瓜いくらです?」

笑顔で話をすり替えて、店主と他愛もない会話を二三言交わす。「胡瓜って、触ったときに痛いのが新鮮でしたよね」いつか、母から教わった知識だった。昔の思い出を消すように笑って、「これとかどうですか!」と無邪気な紗良君の殻は壊さずに、胡瓜をひとつ手渡した。その私の持った胡瓜に、「坊主、目が高ェな。それは今日一番の品だ」と満足そうに店主は笑った。

「……お前、いい嫁さんになるなぁ」
「原田さん喧嘩売ってるんですか!!」

凄くナチュラルに言ってのけられた言葉に、心臓が跳ねたのは、女であることがバレそうになったからだ。それしかない。原田さんが支払いを済ませ、ただ街を歩いていると、何も変わっていない気さえした。

「……元服は、まだそうですって」
「え?」
「さっきの店主さんの言葉ですよ。俺の年、覚えているでしょう?……限界が近づいているんですかね」

困ったようにそう笑えば、原田さんはおもむろに「夢はあったか?」と尋ねた。

「夢?」
「ああ、今じゃなくても、昔でもいい」
「……さあ、どうだったでしょうか。原田さんは?」
「俺か?……黙っていて欲しいんだが、俺の夢は、惚れた女と所帯を持って静かに暮らすことだ。稼ぎは家族を養えるだけでいい。ああでも、海の見えるところがいいな」

意外だった言葉に、ほんの少し目を丸めた。そんなに驚くことか?と首を傾げた原田さんに、こくりと頷く。

「戦い続けることだと思っていたのと、原田さんなら直ぐに……」

叶いそうだ、と言う言葉を喉に留めた。ああ、"静かに"暮らしたいなら、確かに今の状態では到底無理な話だろう。

「いいと思える女も居なかったわけじゃねえが、いつ死ぬかもわからねえのに、下手な小細工や気休めは性に合わねえ。それに……」

それに?と私が聞けば、何でもねえと終わらされる。私もそれ以上は何も聞かない。「……刀は?」とそれだけ聞くと「迷うな」と原田さんが苦笑した。

「確かに、このまま刀を持って闘い続けるのも、俺の夢だ。って、俺の夢もひとつじゃねえ。特にお前なんて平和な世にいたんだろ?好いた男のひとりやふたりとそういう夢は、」
「抱きませんでした、不思議なほどに」

きっぱりと言い捨てた私に、今度は原田さんは目を丸めた。そんなに意外だろうか。好きな人なんて、私にはひとりも居なかった。

「先にあるのは別れしか、想像できませんでした。幸せな未来なんて、想像したことがありません」

一ヶ月記念だとか、一年の記念には何をするとか、夏休みは何処に行こうかとかと盛り上がる友人たちを横目に、ひとり、壁を作っていた。幸せそうな彼女たちが、とても羨ましくて綺麗で妬ましかった。ああ、醜いな。小さく自虐的な笑みを溢した。

「珍しいですね。俺に原田さんが"彼方"の事を聞くなんて」

けろりと紗良君を貼り付けて笑ってみせた。そんな私に向けられる原田さんの目が、ひどく痛い。ふいと逸らしてしまった視線の先に、映り込むのは御陵衛士として離脱した、新選組元隊士。ああ、と平然と眺めた私の腕を、原田さんの手が路地裏へと引いた。

「…………分かってんのか?"お前ら"と"俺ら"は傍にいちゃいけねえってこと」
「だけど、俺は御陵衛士としては身を置いてませんが」
「……紗良、俺は前に言ったはずだ」

手で私の横髪を掬い、耳に掛けた原田さんが背を屈めた。ただえさえ京の街の狭い路地裏だと言うのに、更に縮まった距離に、そして困ったように下げられた眉に、それでも私を映す琥珀色に、思わず身が強ばった。

「世間は、お前が思うほどに簡単に出来てねえ。お前が、いくら衛士として身を置いてねえと言ったところで、御陵衛士の屯所にいるのは変わらねえよ。……平助や斎藤に対する信頼も減らすつもりか?」
「あ……」

今更ながらに、自分の考えの浅はかさを思いしった。私が新選組の方々と一緒にいたのを見られ、立場が危うくなるのは私じゃない。私より、私と行動をよく共にしている、藤堂さんと斎藤さんだ。

「……まあ、俺も悪いけどな。久しぶりに会えたもんで、つい話し込んじまった」
「……自分の考えが、子供だっただけです」

私の頭を撫でる大きな手に、縋ってしまいたくなった。そんなこと、できるはずがないのに。着いていくと決めたなら、もう私は、この体から離れなくては行けない。
ぐっと手に力を込め、原田さんとの距離を開け、ばつの悪そうな笑顔を作る。そして「俺が先に出た方がよさそうですね」と口を開いた。
しかし、路地裏から私が出ようとしたのを原田さんの腕が閉じ込めて、許さなかった。久し振りの香りに、鼻の奥がツンと痛くなった。

「……原田さん、駄目だって自分が言ったばかりですよ」
「…………、そうだな」

原田さんの顔を見ずに、緩められた腕の拘束に、ほんの少し安堵した。しかしその安堵も束の間で、原田さんの手が頬に添えられ、そっと目尻を撫でた。

「お前の泣きそうな顔には、どうしても弱い」

ぬるりと生暖かい空気が肺の中へ入り込む感覚がした。そんな顔、してませんよ。そう言ってしまいたかったが、それこそ口を開くと泣きそうだった。理由は自分でも分からない程に、色々あるのだろう。

少し間を置いて一人ずつ出ようと言う話になり、先に通りへ出たのは原田さんだ。原田さんが見えなくなったら自分も出ようと待っていたのだが、通りへ出た原田さんは驚いたように立ち止まったままだった。そして、少しするとその顔は悲しそうに、悔しそうに、ほんの少し歪んだ。

「……なぁ紗良、変わらねえ物って……この世にあるのか?」

先程とは違う悲しそうな声色に、路地裏から顔をだし目線の先をたどると、見慣れた長い髪が早足に揺れていた。大方、藤堂さんが気まずくなって避けたのだろう。また自分の浅はかさが、身に染みた。

「……ありませんよ、そんなもの」

私の言葉に、原田さんは顔を此方に向けた。悲しそうな顔だった。それでも私は口を開いて、言葉を続ける。

「なんでも変わります。ただ変わったからと言って悪いことになるとは限りません。月を見て、満月を綺麗だと言う人もいれば三日月が綺麗だと言う人もいるのと同じです。人の感情も、嫌悪から友愛に、または友情から恋に……色々変わりますが、それを良いと捉えるか悪いと捉えるかは、その人次第です」

私の言葉に、そうだな、と原田さんが頷いた。全てが悪い変化なんて滅多にないんだ、多分だけど。藤堂さんだって、戸惑ってるだけだと思う。喧嘩をして深まる友情もあるじゃないですか。こんな考えも、気楽なんだろうと自嘲した。

「ありがとな、紗良。……お前は、平助を追い掛けた方がいいだろ?」
「……そうですね。今日はありがとうございました」
「礼は要らねえよ。……無理はするなよ?」
「ええ、原田さんも」
「平助のこと、頼んだぜ」

任せてください!笑って、伸びた髪を揺らしながら、藤堂さんの背中を追い掛けた。振り向きは、しなかった。

「兄上、甘味でも買って帰りませんか?」

私の声に振り返り、一瞬目を見開いたがパアッと笑顔が広がり、「饅頭にするか」と言った声は、いつもよりほんの少しだけ張りがないように思えた。

大丈夫ですよ、うまく、上手くいかせます。頑張りますから。なんとかなるように。また、皆で笑えるように。その為に、私は――

私はあの夜から、藤堂さんを守らなければいけない。



涙は歩行の邪魔をする


  泣く間があるなら考えろ、





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