37 冬と夏の距離 昼下がり、伊東さんに呼ばれ部屋へ行くと、少し言いにくそうな顔をした伊東さんが座っていた。
「あ、あの、何かあったんですか?」
「今日が盆の送り火ってことは知っていますわよね。何人かには外出許可を出しましたけれど、喧嘩も多いから不安もありますの……。けれど監視と言えば信頼関係にも関わるでしょう?だからと思って」
ほどかれた目の前の風呂敷の中にあるのは、桃色の浴衣。まさか、ばれたのではないかと内心焦りを感じつつ伊東さんへ視線を戻すと、「男子の紗良君には言いにくいのだけれど」と言葉を続ける。ばれた訳ではないようだ。
「女性の格好をして出掛けて、もし何か問題を起こした衛士が居たら教えてくださるかしら?」
いいともー!とでも言ってみようかと出来心が芽生えなかったと言えば嘘になる。まあそんなことしないけど。少し悩む素振りを見せた上で、「女の格好は気が重いですけど、伊東さんの頼みなら」。後半を強調させると、伊東さんは嬉しそうに微笑んだ。
着物の着方は一応分かると苦笑しながら風呂敷を手に取り頭を下げた。
「藤堂君にも外出許可は出していますから、たまには兄弟水入らずもいいかもしれませんわね」
ぼそりと伊東さんが独り言のように呟いた。そして私の方を見ては、ふふ、と小さく笑ったので「ありがとうございます!」と満面の笑みを貼り付け部屋へと急ぐ。
髪を整え、女物の浴衣に袖を通し街へ出ると、人の多いこと多いこと。普段と比にならない人の多さに、伊東さんはああ言ってくれたものの、この人混みの中藤堂さんと出会うのはなかなか難しいなと苦笑した。
「……雪村さん……?」
女の格好をしてると言えど、島原のときとは違い化粧が薄いせいか遠目からでも分かる。声を掛けないまま素通りしようとも思ったが、よくよく見るとなんとなく迷っているように見えた。溜め息をひとつ吐き、人混みを掻き分け「あの」と声を掛けると、肩を揺らし此方を振り向いた顔に満ちているのは困惑。ああ、この格好だから誰か分からないのか。男の声を柔らかい女の声へと変え、ゆるりと微笑んで見せた。
「先程から迷ってらっしゃるようでしたので。……どちらをお探しですか?」
「あ、えっと、表通りにある茶屋を……」
この祭りで見た茶屋は一件だけだったのを思いだし、こちらですよと手を引いた。案の定その茶屋には見知った人達の顔。
「千鶴、心配したぜ。お前どこ行ってたんだ?」
「す、すいません原田さん、皆さん……!あの、親切な方が送り届けてくれたんです」
「あぁ?親切な方?」
「はい!あの、ありがとうございました」
雪村さんの言葉に反応し、こちらへ視線を動かした土方さんは目を丸めた。私としてはこのまま話し掛けるのもいいのだが、雪村さんに紗良君に女装癖があると思われるのも困るな。事情を説明しようとすれば御陵衛士の話に嫌でもなるし。そうなれば気まずい。
考えた末にぺこりと一礼し「それでは」と微笑むと、土方さんが口を開いた。
「原田、新八。お前ら千鶴を屯所まで連れて帰れ。俺はこっちの女を送ってくるからよ」
「おう!任せたぜ土方さん」
原田さんと永倉さんからは、土方さんの影で私の顔は見えていないらしい。土方さんに連れられ少し離れた所まで行ったところで「親切なんですね。ありがとうございます」と、なにも知らないふりをして言ってみた。
「お前も迷ってたのか?紗良」
「おや、私だとばれていたんですね。迷ってはいませんが」
「一度は女の格好を見てるからな」
こっちだと手を引かれ、分からないままに着いて行くと山に火が着くのが見えた。それは文字になっているのが分かり「あれは?」と尋ねると、「大文字焼きだよ」ああ、あれが死者への弔いとも言われる。
「……俺の命令で命を落とした奴等も、この火を見ているんだろうな」
新選組の副長として、幾多もの人と斬り合いをし、時には切腹を命じた。土方さんの手はとおの昔に血にまみれ、その手で近藤さんや、この組を高みへと持ち上げる。辛さを押し込めながら静かに話される言葉に、掛ける言葉が見つからない。やっと見つけた言葉は、きっと誰かの受け売りだ。
「……全て、組の為でしょう?」
「……ああ、そうだな」
私の頭に浮かぶのは、私が初めて殺めた男性。彼は私が殺したのだ。ひとりは確実に、もうひとりは腕を切り落としただけとは言え、片腕がなければ武士として死んだも当然だろう。もしも私があの時絶命させていなければ、その場にいた山崎さんなりがとどめを刺し、私に人殺しの罪を被せない。自惚れかもしれないが、何年も共に暮らしてきた私は、そう思った。
その皆が皆、気持ち悪い程に、私が言わない限りその話題に触れてこなかったのだから、私は確実にあの人を殺したんだ。「あの方も見ていますかね」ぽろりと口を突いて出た言葉に、土方さんは辛そうな顔をした。
「……すいません、失言でした」
「紗良。俺は、千鶴やお前に人を斬らせたくはなかった。完全に俺たちの力不足だ……すまねえな」
貴方が謝ることじゃないでしょう。あれは、誰かが謝ることではないです。
そう言えば綺麗に纏めた私の髪を撫で「ありがとよ」と呟くものだから、やるせない。前までなら、あんな言葉胸の奥に留めることが出来たと言うのに。
「そういやお前、声変わったか?」
「声変わりですかね、なんて。……ところで土方さん、最近ちゃんと寝てるんですか」
「ああ、ぐっすりな」
「嘘吐きはいただけませんよ」
「……なんだと?」
くっきりと刻まれた隈を指差し、「それが充分寝ている人の目ですか」と指摘した。土方さんから観念したかのような大きな溜め息が吐かれる。
「仕方ねえだろうが。斎藤や平助の抜けた穴も埋めなきゃいけねえ」
この様子だと原田さんや永倉さんにも大分負担が掛かっている。だからこその盆なのだろう。そこらの平隊士に任せられる仕事を斎藤さんや藤堂さんがしていたとも思い難い。となれば、
「まさか、仕事の殆どを土方さんが?」
「それしかねえだろうが。原田や永倉にも大分無理させちまってるからな」
「それで貴方が倒れたらどうするんです」
馬鹿。自己犠牲も大概にしてくださいよ。「倒れねえよ」と苦笑する土方さんに、休めと言ったところで無駄なのだろう。俺まで休んだらどうするんだって、そんなことを言って。
「……どうせ、自分を大切にしてくださいなんて言ったところで、土方さんは聞き流すだけですよね。なら、近藤さんを大切にしてください」
「近藤さんを……?してんじゃねえか」
「そう思えます?だって土方さんが倒れたら近藤さんは悲しみますよ。それでも貴方は無理をやめない」
「……無理なんざしてねえよ」と眉をしかめ私を睨み付けた土方さんに、「無理してますよ」と平然と言ってのければ土方さんは眼を逸らした。
「"あちら"に行った私が言える言葉ではありませんが、それでも、自分自身を労ってください」
此方を見ては大きく溜め息をつき、それを私は失礼な人だなと苦笑する。私が屯所を出るときよりも少し痩せただろうか。
「……おい」不意に声が掛かり、どうしたのかと土方さんの視線を追うと、見慣れた白い襟巻きが見えた。
「行った方がいいんじゃねえか?」
「……土方さん、泣きません?」
くすくすと笑いながらそう言えば、「馬鹿言え」と土方さんが私の頭を軽く小突いた。ぺこりと小さく頭を下げ、斎藤さんの元へ駆け寄ると、斎藤さんは少し目を丸め私を見た。そして、死角になって見えなかった藤堂さんも。
「え?一君、知り合い?」
「……いや、知らぬな。道にでも迷ったのだろう」
藤堂さんならともかく、まさか斎藤さんが気付いていないのかと、少し驚いた。しかしそんなの微塵にも見せず「俺、」と開いた口は藤堂さんにより止められる。そして私たち3人にだけ聞こえる声で、静かに言った。
「女が"俺"は、ねえだろ?」
「ああ。半ば伊東さんに言われたのだろう?ならば今くらいいいだろう。あんたは"女"のふりをしているのだから」
言いたいことが分かり、ふふ、と笑みが溢れた。嗚呼なんて優しい人たち。嗚呼なんて甘ったれな自分。
「私、初めて送り火を見ましたよ」
「そうか。美しかっただろう」
「ひとりで見たのか?」
藤堂さんの問い掛けに目を伏せ、薄く笑みを浮かべ「いいえ」と答える。
「親切な人が、いらっしゃいまして」
久々に発することのできた自分の声が、酷く遠いものに感じられた。
冬と夏の距離
そこにあるのは泣き顔か、
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