36 あの日からの代償 藤堂さんと共に伊東派として(厳密に言えば私は藤堂さんの弟として)離脱して数日。正直に感想を述べれば、新選組での生活よりもずっと裕福だ。新選組だって最初に比べれば、質素ではなくなったけど、その上をいく裕福さ。隊士の方々の羽織だって、私でも分かる程に良い生地が使用されている。
朝稽古の後は茶道や書道。だがしかし、私には文字がミミズのようにしか見えなかったのも事実。いや、数年前よりかは見えるようになったんですよ、本当に。
「あんたは本当に稽古が好きだな」
「はい!って、あれ、斎藤さんは仕事終わったんですか?お疲れ様です」
「ああ。あとはこれを伊東さんに届けるだけだ」
人懐っこい笑みを貼り付け駆け寄って「じゃあ、その後でよかったら相手してくださいね!」なんて誘えば「了承した」と頷いてくれて、約束ですよー!とまた笑う。
斎藤さんが行った後に、一部の衛士たちがひそひそと耳打ちするのが横目で確認できた。あ、なんだか嫌な感じ。そこにいたのは、あの夜、引き金を引いた男。
「……椎名紗良、どうする?」
「伊東さん、……厳しいから……溜まって……」
「……は、女みてぇだし、……斎藤さんより……ねえしな」
「夜……に……」
耳を澄ませば所々聞こえてきた言葉に、思わず眉をしかめた。ああ、またか。確かに多人数で部屋に来られたら抵抗するにできないな。性別だってばれてしまう。早めに手を打たないといけない。かと言っても、どうすれば。考えた末に思い付いた提案は、些か効果があるのかは不安も残るものだった。
「さーいとーうさんっ!」
小走りで斎藤さんが行った方へと走っていけば、本当に早く終わる用だったらしく、こちらへと来ていた斎藤さんと出会うことができた。後ろには、私の後をつけてきたらしき衛士たち。ナイスタイミングだな。「待ちきれずに来ちゃいました」と笑みを浮かばせ、目を丸める斎藤さんに近寄っては塀の方へと追い詰める。
「……椎名、何の真似だ」
「だから、」
たんっと斎藤さんの顔の横を通り、手を塀に付け、ゆっくり下から覗き込み、ゆるりと笑う。
「逢いたかったんですよ」
「新選組では土方さんが厳しくて、堂々とできなかったから」と笑って見せれば、斎藤さんの表情が平静に戻る。つまらないなぁ、確かにこれは演技だけど、それにしてもだ。
「そんなに照れなくても。それともこの前のこと、そんなに怒ってるんですか?」
不自然ではないくらいの声量で、しかし衛士たちに聞こえるくらいの声。空いている手で静かに斎藤さんの頬を撫で、耳に唇を寄せ「合わせて、ください」と囁けば、ちらりと衛士たちのいる方向へと目を向け、私の方へと返した。
「……生憎、陰間になるつもりはない」
「え?」
"かげま"の意味が分からず、素で聞き返した一瞬の隙に形成が逆転した。先程まで斎藤さん越しに見えていた塀が、私の背中にある。
「こちらの方が自然だろう」
私だけに聞こえるように囁いた斎藤さんの顔には、もう微塵の紅さも残っていない。ひとつの任務のように見なしたのだろう。
元とは言え、新撰組幹部で組長であった藤堂さんの弟、且つ斎藤さんと"そういう関係"となれば襲われずに済む。あれだけ女だと疑われていた雪村さんが危険な目に遭わなかったのは、鬼の副長である土方さんの小姓だからだ。そういう効果を狙っての"弟"もあったのだけれど。
「なっ……!一君、紗良!なにやってんだよ!!」
声の方向は衛士のいる方とは逆だった。これはまずい、斎藤さんはともかく、藤堂さんは衛士の存在にはきっと……いや、絶対に気付いていないだろう。何か口を滑らされる前に、ふっと妖しげに笑みを浮かべ、駆け寄った藤堂さんの顎をなぞる。
「……なんです?心配せずとも兄上も後から可愛がってあげますよ」
「……っ!?」
ガタッと衛士たちのいる方向から物音がして、わざとらしくも「誰ですか!」なんて叫んでみたりして。おやおや、まったく。覗き見はいけませんよ。しかもそのまま逃げてしまうなんて。
「……平助、椎名。部屋に来い」
言われた通り、私と藤堂さんは斎藤さんの部屋へと向かう。「お前なにしたんだよ!」と言う藤堂さんに「ちょっとやりすぎちゃいました!」とあくまで紗良君のスタイルを崩さずに苦笑した。
「……先程のは何だ」
「だからぁ、我慢ができなかったんですって!」
「椎名、俺は真剣に聞いている」
「俺の方も真剣ですよ!流石に男の下になるなんて、絶対嫌ですから!!」
私は、ここを信用しているわけでもない。御陵衛士の中心人物全員が私の事情を知っているわけではないし、もっと言えば、私が女だと知っているのは、この中でたった2人だけ。ああ、なんて息苦しい。察してくれと困った顔で笑って見せれば、静かに斎藤さんは溜め息を吐いた。
「……あいつらか」
ぼそりと呟かれた言葉に、黙って頷いた。近くにあった紙と筆で「すいません」と記せば、「構わない」と文字で返ってきた。
「そろそろ稽古に戻るか。元新選組の……ましてや組長2人と、その弟がひとつの部屋に居るなど良い印象は持たれぬからな」
「あーあ、面倒くさいですねー。まるで俺たち信用されてないみたいじゃないですか!」
「仕方ねえだろ?そういうもんだって」
ねえ藤堂さん、私、気になっていることがあるんです。きっとあのまま新選組に居たら、確かに貴方は壊れたでしょう。だからこそ私もこうして"此処"に居るんです。でも、
貴方最近、いつ笑いました?
「椎名」
呼び止められ後ろを振り向くと、神妙な顔をした斎藤さんが目に映る。「どうしたんですか?早く稽古付き合ってくださいよ!」と笑って見せれば、静かに口が開かれる。
「苦しいか」
一瞬、仮面が外れそうになった。外しそうになった。ええ。なんて答えそうになった。それでもこんな所、誰に聞かれるかわからない。
「なに言ってるんですか?俺は今日も元気ですよ!」
心配性ですね。にひひと笑って稽古場へと掛けていく。女の椎名紗良なんて要らない、此処で要るのは男である"椎名紗良君"、それだけだ。四六時中仮面なんて、ずっと慣れていたことじゃないか。あの世界では、夜、眠る瞬間だけだったじゃないか、仮面を外せたのは。ひとりきりでいるときだけだったじゃないか。
甘え。それだけが私にのし掛かる。
「あんたは、笑わなくなったな」
斎藤さんの静かな言の葉は、私の耳にすら届くはずもない。
あの日からの代償
甘えすぎた私への罰か、
[37/62]
prev next
back