言葉に紛れた何割かの本音 京の夏は蒸し暑く、いくら平成の世の方が暑いといえども、2年半だ。2年過ごせば平成の気候なんて忘れたにも等しい。
「……暑い」
9月の残暑を体にまといながら、木刀を振る。下を向けば汗がぽたりと落ちたので、そろそろ休憩をいれようかと思ったところで初めて、日が西に傾いているのに気がついた。屯所に幹部さんや雪村さんの姿はなく、皆が何処に行っているのかと言えば島原で宴会だ。なんでも原田さんが幕府の札を引き抜いた犯人を確保し、謝礼金のようなものが支払われたため奢ってくれるらしい。
しかし島原のといえばキャバクラやホステスようなイメージがあり、そういう処に良いイメージは持っていない私は、体調不良を理由に断った。相変わらずのズル賢さを自覚しながら、水を口に含みこくりと飲む。井戸の水は冷やかで気持ちで良い。
「っおい!!紗良ちゃん!!」
「グフッ。……な、永倉さん。随分と、お早いおかえりですね」
確実に夜まで掛かるだろうと確信していた私は水を噎せ、目は自然と丸まった。門の方を見ると、ぞろぞろと御一行が帰ってきて、私を見るなりバタバタと駆け寄ってきたのは藤堂さんと原田さん。
「おい紗良!!」
「ちょ、何かあったんですか?」
「何かあったというより、お前、」
「はいはい。左之さんも平助も、さっきから後ろで心配そうに紗良君を見つめてる千鶴ちゃんを気遣ってくれる?それと、早く準備しなくていいの?」
わざわざ沖田さんがこんな親切な事を言うのは珍しいので、なんとなく雪村さんの前では言えないことなのだろうかと察した。(「紗良君、今失礼な事考えてるでしょ」「ん?」)
それにしても、準備とは一体なんだろう。3人ともが忙しそうに走っていったのだが、何かあったのか。
「紗良君、体調大丈夫なの?」
私が手に持っていた木刀をちらりと見て、雪村さんはそう口を開いた。その眉は八の字に垂れており、本気で私の事を心配してくれているのが分かる。
「だから言ったでしょ。紗良君は絶対に仮病だって」
「失礼な!!」
どちらを信じれば良いのか分からず戸惑っている雪村さんに、「実は、お酒の匂いとか苦手で……」と無難な答えを苦笑しながら伝えると、「あ、そうだったんだね」と納得したような表情を見せた。
「稽古お疲れ様。お腹空いてない?何か作るね!」
そう行って勝手場の方へ駆けていく雪村さんの姿を見届け、沖田さんと私の2人が取り残された。
「……宴会を切り上げてくる程の用って何、」
「紗良ちゃん、千鶴ちゃんの事嫌いでしょ」
私の言葉を遮るように突かれた、事実に近い言葉に私は焦ることもなく答えた。
「嫌いなわけではないですよ。ただ、苦手なだけです。好きになれないんですよね」
「ふうん。否定はしないんだ?相変わらず面白いね」
「いや、だって藤堂さんなら2年位前から知っていますし」
その言葉を聞くなり、沖田さんの眉がピクリと動いた。
「……何で平助が先に知ってるのさ」
「聞かれたので答えただけです。わざわざ人に言うことでもないでしょう?聞いた人も、良い思いするものではないですし」
そう言えば、沖田さんは納得したかのように「それもそうだね」と言う。
「ねえ、何で苦手なの?今も君の事気遣っているみたいだし、良い子じゃない」
「そうですね。幹部でなければ隊士ですらない私の袴まで洗ってくれていますし」
「じゃあ何で……」
「男と女は違うってことですよ。……で、私も質問なんですが、何でこんな早い時間に?」
「ああ」と沖田さんが答えようとするや否や、ガシッと腕を掴まれ、振り向くと良い笑顔の藤堂さんがいた。
「酒の用意はできたし、総司、紗良行こうぜ!」
いや、何処に。訳も分からないままずるずると連行され、着いたのは私の部屋だ。「連れてきたぜ!」と藤堂さんが勢いよく部屋の襖を開けば、幹部の方々が全員座っていた。よく入れたな。
「どういう事ですか……」
「いやさぁ、総司から聞いたんだけど……紗良、女物の着物持ってるんだって?」
「……」
「ごめんね、つい口を滑らせちゃった」
それ絶対わざとですよね、と沖田さんの笑みを見ながら思う。そして、棚の引き出しに入れたままの、薄い黄色の綺麗な着物を頭に浮かべた。
「ありますけど、それが何か」
「それ聞いて島原から帰ってきたんだけどな?まあ簡単に言えば、祝いに着てほしいって、ほら、左之さんが!」
「平助、お前も見てえって言ってただろ?」
「え、ちょっと待ってくださいよ。もしかしてそんなことで宴会を早めに切り上げたんです?」
「こういう時じゃねえと、着てくれそうになかったしな。ほら、酒もあるし、酌でもしてくれねえか?」
片手でひょいと私にお酒を見せる原田さんに、「ま、仕方ねえな。腹くくれ」と何だかんだで楽しそうな土方さん。私からそれは、本当に"そんな事"だ。
「別にいいですけど」
「え?」と全員の目が丸まる。私の方が「え?」と聞き返したい。女として女の着物を着るのに抵抗なんてあるわけがないのに、まさかこの人達、私の性別忘れてないですよね?
「前、僕が言ったとき断ったじゃない」
「部屋じゃなかったんで、流石に念のため。あと着方も今一分かりませんし」
「じゃあ、着てくれるってことか?」
「そうですね。その代わり、似合ってなくても文句は無しですよ」
島原の女性の方が美しかったでしょうに、と溜め息を吐き、とりあえず部屋から出るように促す。すると、原田さんが私の方を振り返り、にっこりと笑って言葉を発した。
「着せてやろうか?」
「今すぐ出ていってください」
ぴしゃりと襖を閉め、棚から着物を取り出す。それにしてもだ、確かに女物の着物の着方になんて馴染みがない。袴なら既に慣れたものの……とりあえず帯ひもくらいまでなら、さほどの違いはないだろう。最悪、着れなければ着なければいいし、着るのであれば帯だけして貰えば良い。そんな安直な考えに行き着いた。
袖に手を通し、昔、夏祭りに母が浴衣を着付けてくれたときの方法をおぼろげに思い出しながら、きゅっと帯ひもを閉めたときだ。
「紗良君!おにぎり作って――――」
二人の間で一瞬、時間が止まったような気がした。そういやそうだ、雪村さんがさっき、何かを作ってくると言って勝手場へ向かったことを思い出した。いや、それでもノックというか一声くらい掛けてほしかった。その前にあの人たちは部屋の前にいなかったのか。
とにかく私は、この女物の着物を着ているという非常事態をどうにかするべきた。
「……っだ、大丈夫だよ紗良君!誰にも言わないし、その、可愛いよ?」
「違うんです!雪村さん誤解しないでください!!」
勢いよく、しかし痛みを感じさせない程度に雪村さんの肩を掴み、焦ったような表情を作る。作る、と言っても、本当の焦りも混じっているかもしれない。
即興ででっち上げた言葉がつらつらと口から紡ぎ出す。違うんです、沖田さんがふざけて買って、それで、他の方々も面白がって……女物なんて合うのは、俺だけで。雪村さんが人を疑うことを知らないような人で助かった、納得してくれたんだから。
「おっ、千鶴ちゃん!旨そうな握り飯持ってどうしたんだ?」
「あ、紗良君にと思って……」
「相変わらず優しいなー。っと、そうだそうだ!今から紗良が女の着物着て……お?」
私の方を見て目を丸めた永倉さんに、ふう、と一息吐き、肩を竦めた。「だから島原の人達の所で居れば良かったんですよ」
「……っさ、左之!!これは酒が旨くなりそうだぜ!」
「おー?……へえ。ま、予想通り……いや、それ以上か」
「おー、全然嬉しくない誉め言葉ってあるもんなんですね」
「お前なあ……。そういや千鶴、さっきはせっかくの宴会なのに早めに終わらせて悪かったな。代わりと言ってはなんだが、一緒にどうだ?」
そう笑う原田さんに、「いいんですか?あの、紗良君、その格好見られるの嫌じゃない?」と控えめに尋ねる雪村さん。
「もう既に見られましたから。それに、よかったら帯の締め方教えてくれませんか?俺、やっぱりよく分からなくて」
困ったような笑みを張り付けそう言えば、快く雪村さんは了承してくれた。
苦手なら、話さなければいいのに?そう言えばいいのに?そんな事無理に決まっている。本当は女だと、言ってしまえば楽なのに。そんな事分かっている。だけど結局私は、そんな事を言って嫌われるのが怖い。自分は雪村さんを好きになれないくせに、雪村さんに嫌われるのは嫌なのだから私は狡い。
男と女は違う。
異性と同性に対する態度は違うんだ。今、"紗良君"に向けられている優しさが"紗良ちゃん"に向けられるかと言えば自信はない。異性に対し態度が柔らかくなるのは、人間として自然なことだと昔誰かに言われたし、確かに皆そうだった。そして、異性同性両方から嫌われたくないと思う私は、八方美人にでもなるのだろうか。
「私、性格悪いんですよ」
ぽつりと漏らした言葉を、聞き止めた者なんていないのだろう。
ポンッと優しい手が頭に置かれ、顔をあげてみれば原田さんが「どうした?」と微笑を携えていた。いえ、何も。と返せばそれ以上深く聞いては来ない。ただ「そうか」と頭を撫でるだけだ。
「そういや、その姿似合ってんぜ?冗談抜きでな」
「……ありがとう、ございます」
小声で呟かれた言葉に、原田さんはただ笑った。
言葉に紛れた何割かの本音
誰か気付いて、誰も気付かないで、
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