難しいことは考えず 「沖田さん、こんな夜更けに何をしてるんですか」
椎名が夜中に眼を覚ますと、部屋の障子越しに人影が見えた。眼を擦りカタリと開けると、縁側に座った沖田の姿。手元には、普段はあまり呑まないはずの酒。
「あぁ、紗良ちゃんじゃない。起きたんだね」
「……人の部屋の前でどうしたんです?」
「月が綺麗だから、月見酒をね。紗良ちゃんを誘おうと思ったんだけど、よく眠っていたから」
深夜に女の部屋を無断で開けるのは許しても良いことなのかと椎名は考えたが、沖田と言う男の性格を考えて口をつぐんだ。その代わりと言ってか、「珍しいですね、お酒なんて」と見たままの感想を述べた。沖田は労咳だと分かったときから、酒はめっきり呑まなくなったが、もともとそんなに呑む方でもなかった。
「うん。まあ、月に誘われたからかな?」
ケラケラと楽しそうに笑って疑問系で返す沖田の隣に、椎名は腰を降ろした。「ん?」と首をかしげた沖田の手元に残されている、まだ使われていない杯に触れた。
「……一人酒の気分ではなさそうですから」
「それに、誘ってくれる予定だったんですよね?」と念を推すかのように言えば、「敵わないなぁ」と沖田は眼を伏せて笑う。
少し口に含んだ酒は、かなり甘いものであり、沖田さんらしいなと椎名はそのまま一杯目をごくりと飲み干した。酒に慣れてはいない椎名にさえ、美味しく感じられる程度の甘さだった。
沖田は言わなかった、否、言う前に椎名が飲み干したと言うべきか。その酒は純度もそれなりに高く、本来は水か湯で割って呑むのが当たり前である。
しかし、数刻しても平然と飲み続ける椎名を見て、店主が説明を間違えたのかと沖田は不思議に思う。
「……綺麗ですね、月」
椎名は空を見上げながら、そう呟いた。その横顔は普段よりも大人びて見え、一層、美しく思えた。よほど沖田が見つめていたせいか、「どうしました?」と椎名の視線が沖田の方へ向けられると、パッと沖田は目を下へと向ける。柄ではないことくらい、分かっていた。
「月で、うさぎさんが頑張っているんじゃない?」
普段と同じ、他人を子供扱いするかのような言葉。しかしその言葉を発した、上ずった自身の声に、沖田は不自然にならない流れで、顔を抑える。
「ふはっ」
沈黙が流れるかと思われたが、意外にも沈黙の欠片もなく、流れたのは、初めて聞くような笑い声。
「ちょ、うさぎさ……っぷほっ」
「え?」
「いや、沖田さんが、うさぎさ……っあはは!」
その笑い声に、沖田は目を丸めた。出逢ってから、おおよそ2年。未だかつてこのような椎名は見たことがなかった。酔いが回っているのか、無邪気な年相応の笑みを浮かべている。そんな笑顔で酒を勧められては、沖田はただ苦笑を漏らすしかなかった。
「まいったなぁ……」
沖田自身、そんな表情が見えたことが思いの外嬉しかったのか、勧められるままに酒を煽った。
数刻後、縁側には笑い声が上がる。
「それでね、土方さんがその時……」
右手で床を叩きながら言葉を紡いでいく、沖田の顔は紅い。その隣で腹を抱えて笑っている椎名の顔も、やはり紅い。普段の貼り付けた様な2人の笑顔は消え失せ、そこに並ぶのは子供の様な屈託の無い笑顔。
「梅は梅!!あはははは!!!」
「ぷふっ、もうお酒、無……!ふはっ!」
「えー?もう無いの?あははは!無いんだ!はは!」
きっと今の2人なら、箸が転げ落ちても笑うのだろう。
そして、柱の陰に頭を抱えて溜め息をつく人物が1人。
「静かにしろと言いたかったんだがな……」
文句を言いに来た筈の鬼の副長も、流石にあの2人の表情を見ると怒声を飛ばせなかったようで。
月の綺麗な夜、屯所には笑い声がよく響く。
難しいことは考えず
今は只笑いましょうよ、
もしも椎名さんが笑い上戸だとしたら
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