触れた指先が針を刺す 新選組10番隊長原田左之助は今、過去最大……とまでは行かなくても、かなり後悔していた。いや、後悔って言っても悲しい訳ではない。むしろ、原田からすれば嬉しい展開だからこそ、原田の顔には苦悶の色が滲む。
原因は遡ること数刻前。昼間近くに住む男から貰った酒を手に、原田は上機嫌で椎名の部屋へと入った。
「いや、結構です」
一緒に呑もうという原田の誘いを、容赦無く椎名は一蹴した。
「私、お酒の味得意じゃないんですよ」
困ったように眉を下げた椎名の表情に、もっと困らせてみたいと言う原田の子供染みた好奇心が芽生えたのは事実であった。
「今日の酒は格別だぜ?」
「それなら尚更、ひとりで呑めば良いじゃないですか。ひとりが寂しいのなら永倉さんや藤堂さんとでも……」
ここまで来ればお互い素直には引き下がれない。いや、むしろ原田の場合、元々椎名と居たかっただけという理由が含まれているので、最初から他の人間と呑む気などなかった。
「なんだ?俺と居たくねぇってことか?」
そんな問いかけに、椎名はうぐ、と口をつぐんだ。そして静かに、「狡い言い方しますね」と溜め息をつく。
しかもこれが椎名が押しに弱い面があることを知っての確信犯なのだから、原田は尚更タチが悪かった。
「まぁ、甘酒……ってほどじゃねぇけどよ、苦くはねぇと思うぜ?」
そう言いながら、盃にとくりとくりと酒が注がれ、椎名は眉をひそめながら鼻を近づける。そこで香りがいつもと少し違うことに気付き、少量口に含んだ。
「……あれ、」
「おっ。気付いたか?」
「甘い、ですね」
「だろ?俺には少し甘すぎるくらいだが、紗良には丁度いいと思ってよ」
ニッと笑って椎名を見る原田の笑顔は、それこそ島原の芸者達からすれば皆が骨抜きにされるような甘い笑顔である。しかしそれはあくまで"無意識"で、惹かれる女相手にだからこそ出された顔でもあった。
珍しく盃に注がれてあった酒を、椎名が全て飲み干したものだから原田は純粋に嬉しくなり、二杯三杯と薦め出した。
それが後に後悔へと変わるなんて思いもせずに。
「あ、もう少なくなってきたか。もう一本取ってくるな」
原田自身そんなに呑んだつもりは無かったのだが、やはり気分が浮かれていたせいで呑みすぎたのかと納得し、腰を浮かせたときだった。
「……原田、さん」
その声は、ひどく艶のある声で。
立ち上がろうとした原田の動作は、その声によって停止された。
「どこ行くんですか……」
自分の袖を控えめに掴む白い手、ほんのりと赤みを持った頬、酒の所為か少し潤んだ瞳。そして、普段からは想像もつかない艶のある甘えた声。その全てが情けなくも原田の動作を止まらせるのには十分すぎた。
「お、おい。どうした?」
「んー」
もしも、もしも椎名が島原の芸者や、原田が何の感情も抱いていない女だとすれば、軽くあしらえたことだろう。原田だって女慣れをしていないわけではないし、寧ろ経験豊富な分類には入る。ただ、自分が好意を示している女に、"酔い"というものに託つけて襲うと言うのは原田自身も些か抵抗がある。
仕方なく、原田は再度腰を下ろした。
「こ、れは……相当酔ってんなぁ……。呑んだ覚えがねぇわけだ」
「酔ってないです」
椎名が本当に泥酔していたのなら、ここまで我慢せずとも済んだだろう。しかし椎名はあくまでほろ酔い程度であり、一番色が出る厄介なときだった。
「紗良、待て。落ち着け」
「んー?」
首を傾げ、上目で自分を見られたもんだから原田もたまったもんじゃない。手が出せたらどれだけ楽だったろうか。ゆるりと椎名の白い腕が首に回されても手が出せない状況は、簡単に言えば生殺しもいいところだ。
「ちょ、ちょっと待て」
「なんですかー?」
至近距離で、こてりと可愛らしく傾げられた顔に、唾を飲んだ。珍しく原田は自分でも考えられないくらいに混乱しており、これは椎名の酔いを冷ますのが第一だと考えた。
「おい、紗良!!ちょっと待ってろよ、今水持って、」
「ひとりに、するんですか」
ぼろりと椎名の眼から零れたのは大粒の涙であり、それこそ原田は戸惑った。屯所に来て、長い時間を共にしたが、今だかつて原田は泣き顔を見たことがなかった。そんな椎名が、今自分の目の前で年相応の涙を流す。
「……っ紗良」
下心なんて消え失せていた。ただ、原田は守らなければならないと言う意思から、椎名を抱き締めた。
「ひとっ、ひとりは、っや、いや、嫌、っだ」
「嫌わないで」と泣く椎名に、「嫌わねぇよ」と原田は手に力をこめる。
人間、酔いにも種類がある。その代表的な例として絡み酒・泣き上戸・笑い上戸。当初絡み酒だと思っていた女が、実は泣き上戸だったのかと原田は思いながら、今だけは泣いとけと泣く子をあやすように頭を撫で、自分の肩に顔を埋めらせた。
「甘えりゃ良いんだよ、女ってもんは守られるためにいるんだからよ」
あのとき容赦なく裁ち切られた女の命も、今では最初の頃よりも長く伸ばされていた。
いつもは拒むその言葉になにかを返す訳でなく、椎名は原田の背にしがみつくように手を回した。
「――――あ?」
眼が開かれると見慣れた天井があった。体を起こすと自分の部屋で、枕元には近くに住む男からもらった酒。はて、と原田は首を傾げた。
自分の記憶では、この酒を椎名と呑んだはずなのだが、と。なかを覗き込めば空になっており、側にはひとり分の盃しか用意されてはいなかった。
「左之さん!!早く起きねえと左之さんの分のおかず食うぞー」
そう歯を見せて笑う藤堂に、「夕べ俺、部屋から出たか?」と問いかけると、きょとんとした顔で一言「?知らねえ」
「あ、紗良じゃん!」
「おはようございます」
ぴくりと原田の肩が揺れる。
「どうかしたんですか?」
そう尋ねかける椎名の様子は普段となにも変わらない。ここまでくれば原田の夕べの記憶が曖昧になってくる。
(あんな夢見るとか……、まあ最近島原もなにも行ってねえしな……行っても最近は酒呑むだけだけどな)
頭を抱える原田を、椎名と藤堂はどういうことかと首を傾げる。
「あ、俺、一君に呼ばれてるから行くな!左之さん起こしてっつーか落ち着かせて?早く来いよー!」
「了解しました」
「ほら、どうしたんです?」と椎名に顔を覗き込まれた原田は、反射的に勢いよく身を後ろに引いた。
「……え、私なにかしましたか。誰も襲いやしませんよ」
「いや、お、お前が襲うとかじゃなくてよ……悪ィ」
何故謝るのかが椎名にはよく分からないが、その赤い頭をぽんぽんと軽く撫でた。
「なんか、新鮮ですね。こんな原田さん」
「……俺も初めてだよ、こんなの」
でしょうね、と椎名は小さく笑う。原田は意を決し、「夕べ、俺お前の部屋入ったか?」と聞けば、それこそ椎名は怪訝そうに眉をひそめた。
「酔っぱらった原田さんが来たかと思えば、すぐに自分の部屋に帰りましたよ」
なにをあれだけ呑んでいたんですか、と続ける椎名に、素直に謝罪の言葉を告げた。
「……で?それがどうしたんですか」
「いや?まあ、なんだ。紗良はもっと甘えるべきだと思うぜ?」
そう原田が頭を優しく撫でると、少し目を丸めた後、いつも通り「十分甘やかされていますし、それは私の特権ではありません」と言う。
そんな椎名の目元が赤くなっているのに気付き、さらにアレが夢か現実かが曖昧になった原田は、椎名を一度抱き締めてみた。夢と同じ感触がしたことに、自然と原田の口角も上がる。
触れた指先が針を刺す
曖昧な世界が愛しいと思えたら、
もしも椎名さんが泣き上戸だとしたら
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