02 世は文久 率直な感想を述べると、最悪。人生の中で1番の速さかもしれない、と思われるくらいには急いでカーディガンを羽織り、その場にしゃがみこんだ。音がした方へ眼をやってみると、赤い髪色の男性が1人、腰に布を巻いて豆鉄砲を食らった鳩の様な顔をしている。そんな鳩の顔は見たこと無いけれど。
状況を頭が呑み込んで行くにつれ、流石に羞恥が込み上げてくる。私は家族以外の男性の裸には慣れていないし、こんな姿同性にさえ見られるのも恥ずかしすぎる。その人から目を反らし俯いた。ふと視界に桜の花弁が一片浮かんでおり、春でこの寒さなのだろうかと不思議に思った。
「…………お、女?」
寧ろ男に見えますか、と不満に思いながら、自身の胸に視線を向けると、妙に納得できないことはなかったので、小さくため息を吐いた。
「……すいません」
戸を開けて、知らない人間が服脱いでいるという状況に置かれれば、誰もが空気が止まりますよね。そうですよね。
「あのよ……お前どこから来たんだ?」
「え、っと」
「もしかして、間者か?」
かんじゃ?患者?ここは病院なのか?だとすればこの人は医者……なわけないか、流石にこの服装でそうは思えない。
「……病気も怪我もして無いです」
「何の話してんだ」
「だって患者って……」
「間者なのか?」
駄目だ噛み合わない、と諦めの色が心中に疼く。とりあえず、素直な女の子でいればまだマシだろう、といつも通りに役に入り込む。
「……、すいません!勝手にお風呂はいってたことは謝ります!でも私もどこから来たのかとかそんなのは全然分からなくて……病気じゃないんです。本当に」
「だからなんで病気とか病気じゃねえとかでてくるんだ?」
いや貴方が言ったじゃないですか、という反論は喉の奥に押し込んだ。
「一旦此処から出てもらっても大丈夫ですか……?」
「お前、俺に指図できる側じゃねえだろ」
うん、言葉が悪かったけど、私も自分で思ってる以上に混乱しているんだ。怒っているのが声色からも分かり、目を瞑って、ぎゅう、と自分を抱き締めた。恐る恐る言葉を選びながら口から紡いでいく。
「服を、着たいんです。ごめんなさい、逃げません。絶対どこにもいきませんから……!」
「……」
その男性の溜め息がいやに響いた
「まあ俺も裸の女を殺す趣味はねえしな……」
「え」
謝罪の言葉が出ようとした私の口からは、男性の意外な言葉に間抜けな声がでた。
「本当に逃げねえんだな?なら直ぐにしろ。逃げようとしたら、そのときは悪ィが殺すしかねぇ」
――――……殺す?
男性は本当に浴室から出て行ってくれたようで、ひとまず大きく酸素を吸い込み、二酸化炭素を吐き出してから頭を働かせる。
「殺す……か」
此処は極楽ではなかった。かといって地獄でもないようだ。私は自分は死んだのかと少しばかり思ってもいた。しかし今この肌に感じる湯の温さも現実のようで、あの男性の言葉に篭った殺意も本物の様に感じた。とりあえず今は制服を着るのが最優先事項だろう。なるべく相手の方を待たさないように、
「……お待たせしました」
「お前の着物変わってんなぁ…」
私は制服を着物と間違える人に私は出会ったことがない、というより、なかった。そして、どちらかと言えば変わった服装というのは目の前の男性の方だ。もしかするとコスプレというやつだろうか。ただひとつ言えば、この人を私は見たことがある気がする。
「行くぞ」
「え、どこにですか?」
「局長の所だよ。お前の処分を決めなきゃいけねえからな」
処分……入院なのだろうか。患者じゃないことを伝えなくては。そのまま男性に手を引かれ廊下を歩く。ギィ、と鳴る廊下を歩きながら、古風な家だと思った。見知らぬ空間を誰かに手を引かれながら歩くなんて、いつ以来だろう。確か、昔迷子になったときに見つけてくれた人が居た気がする。家が隣で、お兄ちゃん、と慕っていた気もする。しかしもう引っ越してしまって随分となる。彼の顔もすっかり忘れてしまった。
今私の手を引く人は、この手で私を導くのではなく、殺すかもしれないのだというのに、そんな昔の事を思い出す自分にほとほと呆れてしまう。きっと今、あの友人がいたら"呑気だなあ"とでも笑ってくれただろうか。そんな事を思えば上部で接していたとはいえ、あの友人が恋しく思えてくるような気がした。
(……あぁ、でも)
結局、私がこんなわけのわからない所から帰れる保障はないし、帰ったところでまたあの居場所が分からない生活。そんなのだったら一思いに殺してくれても良かったと、今となっては思ったりもした。
「お前も運がよかったよな。総司あたりなら問答無用で斬られてたぜ?」
「……運が、良かったんでしょうかね」
つい、ポロリと出た本音が耳に入ってしまったのか、「どうした?」と此方を向いて首を傾げる男性に向かって「なんでもないです」と笑みを張り付けた。
「先程から気になってたのですが、少し変わった格好してますよね」
「……俺からしたらお前の方が変わってるけどな」
「え。そうですか?」
「女がそんなに足を出すもんじゃねえだろ」
「そんなに短くもないでしょう」
何年前、いや、何十年何百年前の話かと思った。……何百年前?ふと思考回路に引っ掛かった。先ほどから疑問に思っていたことがある。何故、制服を着物と勘違いしたのか。それは、制服を見たことがない、制服自体が存在しないのではないのか。古風だと思っていた浴室のような所に、この家の作り。そして周りの風景。それが此処では当たり前だとすれば?
パチリパチリとパズルのピースが一寸の隙間も無く埋められていくような感覚に、ぞくりと背筋が冷えた。考えを掻き消したかった訳ではないが、フイと視線をしたに下げると、男性の腰に差している棒が視界に入る。棒?いや、鞘だ。ということは、これは刀。
「え。……か、刀?」
「ああ。どうかしたのか?」
「銃刀法違反の前に、本物ですか?」
「本物以外ねえだろ」
嫌な予感が当たりそうで、素直な子を演じてることを忘れるくらいに混乱していた。
「あの、今の年号は、」
「今か?今は文久だろ?当たり前じゃねえか」
文久。平成昭和大正明治江戸……それ以前なのだろうか。意を決して、キュッと繋いだ手に力を込めすがるような思いで口を開いた。
「……今は、何年ですか」
「1863年だな」
「ということは、この国を修めているのは幕府、ですか?徳川幕府なんですか?」
「それ以外に誰がいるんだよ」
誰か、嘘だといってください。成る程文久とは江戸時代の中の年号だったのか、なんて言う余裕なんてない。今はもう平成だよ、と言ったところで、頭がおかしいと思われるのはこの状況からして確実に私の方だ。
パチリ、と最後のピースが嵌められた音を細胞のどこかが聞いた気がして、今すぐそのパズルを引っくり返してしまいたくなった。
世は文久
今から約150年前の世界でした、
181123 加筆修正
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