25 どうか顔をあげて 「おう紗良。今夜、暇か?」
稽古が終わり、肌に伝う汗を拭う私に梅さんがおもむろにそう尋ねた。
余談だが、私は土方さんから渋々許可をもらい、たまに木刀で稽古を受けるようになったためか、汗の量が以前とは比べ物にならないくらいに増えた。体重も落ちたと思う。むしろこの世界に来て、生活習慣や食生活からか体重は本当に落ちた。素直に嬉しい。
「今夜、ですか……。多分大丈夫ですよー!どうしたんですか?」
「いや。前に酒の話しただろ?だからよ、呑まねえか?」
確かにそんな話があった気がする。しかし私は当たり前のことながら飲酒経験などなく、あったとしても元旦などに一口程度だ。自分の限界など分かるはずもなく、とりあえずやんわりと断ろうと考えた。
「いや、俺実は酒苦手みたいで……」
「じゃあ紗良は呑まずに、話だけしようぜ。……皆お前と話したいらしくてよ。やっぱり酒の席だからこそ話せることもあるだろ?」
そういわれて、断れる人間がどこにいるのだろうか。少なくとも"紗良君"なら断れないはずだ。なるほど、と明るい笑顔を張り付け言葉を続ける。
「兄上たちも誘って皆でってことですね?」
「いや。俺も斎藤さんたちを誘いたかったんだが……、やっぱり幹部の方達がいたら遠慮する奴もいてな」
成る程、と心の底から納得した。
そして梅さんが前々から、斎藤さんを尊敬しているのは分かっていたので、やはり一緒に呑めない事が寂しいのか、少し寂しそうに見えた。
「分かりました!と言ってもあまり遅くては兄上が心配しそうなので、そんなに長くはいられませんよ?」
「ああ。それは俺らも分かってるよ」
時間を聞いた後、にこりと笑って梅さんに手を振り、また木刀を手に取った。
「――と、言うわけなんですよ。ですから今日は少し部屋を出ますね。といっても同じ敷地内ですが」
「駄目に決まってんだろうが」
土方さんの部屋に行き許可をもらおうとすれば、一蹴された。
「そもそも手前は、原田や新八が誘っても呑まねえだろ。止めとけ」
「だから私は呑みませんよ。それともなんです?私が平隊士さんとの付き合いを大切にしようという精神を、あろうことか副長が邪魔するんです?」
頭ごなしに却下されるのに多少の苛つきを覚え食い下がってみると、土方さんは大きく舌打ちをした。生憎そんなので怖がるキャラは持ち合わせてないからね。
「というか、私は隊士でもなんでもないので一々副長に許可をとる必要すらありませんでしたね。失礼しました」
「待て」
「なんです、か……っ!?」
立ち上がったところで声を掛けられ、思いきり腕を引かれバランスを崩した。崩したじゃないな、崩された。
土方さんに抱き止められ、その整った顔が首筋に近付いてきたので、条件反射から土方さんの口を抑えた。
「てめえ、なにすんだ」
「いやそれ私の台詞ですから。なにしてるんですか」
「……何かあったときにこの方が都合がいいんだよ。"相手"がいる奴に態々手を出す奴は少ねえだろ。ましてお前が直前まで居たのは副長室だ。そうなりゃ余程の命知らず以外は何もしねえ」
「それなら心配ご無用ですよ。どこぞの男装の方と違って、私は少しも疑われていませんから」
「土方さんは心配性ですね」ひとつ溜め息を吐いて、身形を正せば、今度こそぴしゃりと部屋を出て襖を閉めた。もしかすると、これが反抗期と言うものなのかもしれない。
梅さんに指定された部屋に行くと、大半の平隊士はもう飲み始めていて、私の姿が目に入ると「遅えぞ椎名ー」と手を振った。一言謝罪の言葉を添え、梅さんの隣に腰を下ろすと「やっぱりなー」と聞こえてきたので首をかしげた。
「そういや知ってるか?最近幽霊が出るんだとよ」
「え。なんですかそれ」
「あー。あれだろ?なんか寺の方に夜中幽霊が歩いてるっつー話」
初めて聞く話だな、と思ったが、もしかすると私が忘れているだけなのかもしれない。
「なんだよ椎名、怖いのか?」
「やだなあ、俺だって男ですからそれくらい余裕ですよ!まあ梅さんは怖がってるみたいですけど?」
「誰がだよ!」
そのまま色んな話をしながら、ほとんどの隊士が出来上がり、中には熟睡している者も少なくはない頃、ひとりの平隊士が口を開いた。
「雪村って、副長とできてんのかな」
雪村さんが女ではないかと疑われていることくらい気付いている。それでも彼らが手を出さないのは、土方さんの小姓だからだ。
「あんなに島原の女性に人気のある人が、衆道に走るなんて勿体無いことしないでしょ」
「それもそーか。……それにしてもよ、椎名、可愛い顔してるよな」
「うわ。それ嫌味ですか!?」
言葉を発した男がこちらににじり寄ってくるのが分かり、半ば無意識に梅さんの袖を掴む。この眼は、違う、冗談とかではなくて、
「おいお前ら、酔いすぎだ。紗良が怖がってんだろ」
「固いこと言うなよ梅戸。それともなんだ?お前、やっぱり椎名とそういう関係なのか?怪しいとは思ってたんだよなぁ」
気持ち悪い。目の前の男に吐き気がする。
「……、はは。勘弁してくださいよ。俺、そういう趣味ないんで」
「俺もだよ?でもなぁ、最近副長がやったら厳しくて島原にもいけてねえんだ。それによ、俺、お前なら抱ける気がする」
「あー、俺は抱かれるとか本当ごめんなんで。兄上に知られたらどうなることか」
「愛しの兄上に男に掘られましたって言うのか?すげぇな」
嘲笑する男の両足の間に蹴りを入れたくなったが、グッと堪えたのはいつのまにか男の仲間が増えていたからだ。
こんなことなら"痕"のひとつやふたつ我慢しておけば良かったと、思ったところで今更遅い。結局私は男を理解できていなかったのだ。こればかりは認めるしかない。長い間欲望を押さえ付けられている男は、最早獣だ。土方さんが正しかった。
まず、体に触られたらアウト。流石にバレやすい。服に手を掛けられるなんてもっての他だ。
「おい!!いい加減にしろよ」
背後から耳に入り込むのは明らかに怒気の籠った声で、紛れもなく梅さんの声だった。
「梅さん、駄目ですよ。貴方は新選組隊士、私闘はご法度の筈です」
強い意思を持った目でそう訴えかけると、今にも立ち上がりそうだった勢いを沈めてくれた。
「……でもまあ、」
壁の隅に寝かせてあった木刀を素早く取り、男の膝へと思いきり振る。
「いって!!!」
「俺は隊士でもなんでもないので、そんなの関係ありませんけど」
ここまで来たら仕方ない。友好な関係を保つことは諦めよう。寧ろ男に掘られそうになった男なら、誰もが同じ行動を起こすだろう。
「なら俺らが椎名、お前に同じことをしても別にいいわけだな?」
「勝てるんですか?」
自信に溢れた笑みで見下すと、男達は歯を噛み締めた。
稽古で、いつも負けるのはどちらでしたっけ?
「おい、紗良止めとけ!」
なんだ、この男達のほとんどが伊東派じゃないか。嫌だなあ、一緒に離脱するの。そんなことを思いながら的確に、且つ素早く急所ばかりを狙っていく。主に足。
「ふざけやがって……!」
ひとりの男が拳を振り上げたのに反応に遅れた。目を瞑ったが一向に痛みがやってこないことを不思議に思い、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
「梅、さん?」
「……これは拳を受け止めているだけだから、私闘にはならないだろ?」
「た、ぶん……」
あまり予想をしていなかったことだったので、呆然と見つめていたからか、梅さんが噴き出した。
「お前、そんな可愛い顔もできるんだな」
我に帰り、「どういう意味ですかそれ……」と冷ややかな視線を送れば「こいつらと一緒にはするなよ!?」と必死な弁解が帰ってきたので、今度は私が笑った。
「……あれ」
「?どうした」
まさか事情を知っている人たち以外の前で、こんなに自然に笑えるとは思いもしなかった。
ふと戸の方へ視線を向けると、人影がふたつ。
「梅戸、詳しくは俺の部屋で聞こう」
「さ、斎藤さん」
「椎名君は此方へ」
「なんですかふたり揃って。覗き見ですか?やっらしーなー!」
「ち、違っ……!!」
コホンと小さく咳払いをしたあと、副長から言われていたんだと山崎さんは言う。
「それで?終わるまで出てこなかったと。趣味悪い!!山崎さん趣味悪いよ!!」
「俺らが出ようとしたら君が木刀を持ったんだろう!……ハァ、君はよくあんな物を持っていたな」
「いや、まぁ偶然ですよ」
梅さんは斎藤さんに連れられ向こうへと歩いていった。
「……すまなかった」
「なにがですか?」
「怖い思いをさせたな。……大丈夫、ではないな」
「土方さんの反対を押しきったのは私の方ですから。寧ろ、ご迷惑をおかけしてすいません」
「それはいい。……しかし、肝が冷えたのは事実だ」
君に何かあれば副長にも局長にも合わせる顔がなかったと言う彼に、もう一度謝罪の言葉を告げる。後から土方さんにも、大目玉を喰らうこと覚悟で謝りに行かなければいけないな。
どうか顔をあげて
怖くなかったと言えば真っ赤な嘘だ、
181123 一部加筆修正
[26/62]
prev next
back