23 雨を好んだ君は空を嫌った 井上さんが1ヶ月くらい前に慶應に年号が変わったって言ってた気がする。ただ年号を言われても、いまいちピンと来ない私は西暦を教えてもらった。
私が薄桜鬼のなかに来て、もう2年が経っていた。
背丈もほんの少しは伸びただろうか。言葉遣いだってこの時代に近づいた気がする。カタカナ言葉が使えないことの不便さよりも、ゲームの世界だというのに言葉や文字までリアルなのに驚いたっけ。
「二次元の人にとっては三次元、か」
買い物のため街を歩きながら、いい加減棄てなければいけないと分かっているはずの"二次元"という概念を、私は未だに拭いきれずにいる。頭ではたとえ此処が2年前までは二次元でも、此処に来た限りはもうここが三次元なのだと理解しているはずなのに。いや、理解したフリができていると、信じたいだけだ。
「あっ」
「!す、すいません!」
もう歩き慣れはた筈の道で人とぶつかった。まだまだだな私も。よろけた女の人に手を差し伸べ、上げられた顔に驚いた。
「雪村……さん?」
「……!、いえ、人違いですよ」
「え、あ、すいません!」
バッと頭を下げると、「いえいえ」ときれいに微笑んでは会釈を済ませ、女の人は向こうへ歩いていった。笑った顔までそっくりで、ひとりの人物が頭をよぎった気がした。
と、それが昼間の話。
今私は新選組の人たちと二条城にいる。ひとつ言わせてもらえば、なんで私此処にいるんですか。私足手まといになるからって池田屋のときも断りましたし(結局行ったけど)、徘徊にも付いていかない。今回だって……
「これだけ厳重な警護だし、こんなところに敵なんているわけないよね?」
いい加減私の気持ちを察することを知ってくれないかなこの人。不安そうに袖元を掴むくらいなら、お願いだから一緒に屯所で居ようというサインに気付いてほしかった。結構最初の頃に比べてストレートに伝えたはずなんだけど。ちなみに沖田さんと藤堂さんは屯所で休養中だったりする。
「……敵かどうかはよく分かりませんが……」
背筋がざわりと粟立ったので後ろを振り返ると、池田屋のときに見た姿がふたり、初めて見る面がひとり。彼らを見た雪村さんが口を開いた。
「あ、貴方たちは……っ!?」
「ふん。そんなに鈍い、というわけでは無さそうだな」
来たよ上から目線。なんか初対面で人のことを鬼だと言ってきた人。あのときは雰囲気に飲まれて混乱したけれど、もう16歳になる私には少しの抵抗だってついていた。
「お久しぶりです。風間さん」
「……ああ。椎名の家の奴か。貴様のことを調べたが、椎名には今息子しかいないと聞いた」
それ21世紀でやったらただの変態だからな。ストーカーだからな。プライバシーの侵害だからな。
「話によると、全員"家"にいるそうだな。それで合点がいった」
「鬼の血が薄いために、捨てられたのだろう?」と尋ねられ、分かりませんと苦笑した。分かりません、だってその椎名の家は、私のいた椎名の家とは違うのだから。
「それで?今日は何の用ですか」
「……そこにいる、女鬼を貰いに来た。探していたぞ雪村……我が同胞よ」
「え……?お、鬼なんて、私知りません!」
そうだろうなあ。ただ、ここでトラブルを起こすのは避けたい。ちらりと一番常識のありそうな赤毛の……雨霧さんにアイコンタクトを送ると、雨霧さんは諭すように丁寧に言葉を紡ぐ。
「怪我の治りが、並みの人間よりも早くはありませんか?」
「……っそ、そんなことは、」
心当たりがあるのか声が幾分震えている。
「血ィぶちまけた方が早いんじゃねえのか?」
「よせ不知火」
空気が悪くなってきたのには気付いたが、刀に手を伸ばさなかったのは勝ち目がないことが分かっているから。向こうの言い分を要約すればこうだ、"女鬼は貴重だから血を残すために共に来い。ちなみに意見は聞いてない"。
たしか根拠は鬼の姓と雪村さんの持つ小刀だっただろうか。
「女性を子を成すためだけの道具として扱う時代なんて嫌ですねえ。……そうでしょう?Fool people?(お馬鹿さんたち)」
ゆるやかに口角をあげ、小馬鹿にしたように笑う。いや、まあ英語的に馬鹿にしてるのだが。舌打ちが聞こえたが、こんな考えの人たちに怯えるのが癪だった。女の方が下だと言いたいのだろうか、大嫌いな考えだ。
「……フン、相変わらず生意気な口を聞く奴だ。背丈もそんなに変わっていないようだが?」
仕返しと言わんばかりの馬鹿にしたような言葉に無視を決め込み、雪村さんに話しかけた。
「雪村さんは、この人たちについて行きたいですか?」
一応そう尋ねると、雪村さんはふるふると首を横に振った。そりゃそうだろうなあ。
「紗良君の、傍がいい」
つまり新選組でいたいということだよね。厄介だなー、個人的には鬼の方に行ってくれるのを希望したいんだが。そうすれば、鬼という人じゃ太刀打ちできないような存在に襲われることもなければ、雪村さんの愛した幹部の人が羅刹になる必要もないのに。
「おいおい。こんな色気のねえ所で逢い引きか?趣味が悪いな」
風間さんが雪村さんに手を伸ばしたのはほんの一瞬。闇から斬り、光るのは槍先の白刃。思わずこちらへ退いてきた雪村さんの体が当たり、体勢を崩した私の肩を硬い手が受け止め、後ろへやる。
「……退け。これは俺たち鬼の問題だ」
「鬼だと?」
眉をひそめた土方さんに、「先に屯所へ帰ります」とポソリと伝えた後、雪村さんに顔を向けた。
「屯所に帰りましょう」
「ひ、避難するの?私は、この場に残るよ」
微量に芽生えた苛つきを揉み消すように、もう一度、先程よりも少し優しく言った。
「帰りましょう?危ないんですよ」
「でも、」
「椎名君、雪村君なにをしている!此方へ」
「山崎さん!でも、私、」
「なにができますか。俺たちが、あの三人に敵うとでも?足手まといになって終わります。正直邪魔になるだけなんですよ」
「それは、分かってるけど……それでも……!」
強引に雪村さんの手を引き走った。性格上、本気で抵抗もできない人で助かった。山崎さんの後を付いて、屯所まで走る。早く、早く。
屯所に着くと、雪村さんの眉が心配そうに垂れた。
「……土方さんたち、大丈夫かな?」
「一応帰ることは伝えました。あの場にいても、邪魔になるだけなので」
「そ、そんなことないよ!紗良君、すごく頑張ってるから……!私、すごいなって思うよ?あと、ありがとう」
「はい?」
「紗良君がいたから、私凄く心強かった。……紗良君は、たまに大人だなあって思うときがあるよね。……あと、ごめんね。私、すぐに走れなくて」
走れなかった、というより走らなかったの方が合っている気がするのは気のせいか。それに、そんな笑顔で言われても、私に雪村さんまでは守れない。自分の身だけで精一杯だし、自分の身すら守れない雪村さんも、行くべきではないんだよ。「ありがとうございます」と笑顔を作り外に出ると、藤堂さんの姿があった。
「兄上。体調どうですか?」
雪村さんが近くにいるので、一応兄上と呼ぶことにした。私の言葉に、境内に座った藤堂さんは「ああ……」と返事はするものの、一向にこちらを見ないから、とりあえず隣に座ってみた。
「星、綺麗ですね」
「ああ」
「……なにかあったんですか?」
そう聞くと、少し言いずらそうに言葉を躊躇ったあと、ぽそりと消え入りそうに吐き出した。
「警備に、行きたくなかったんだ……」
「それだけですか?」
「それだけって……!」
「私もよくしましたよ。私のいた時代では"ズル休み"って言いまして、私は結構使ってましたね。だから一回くらいでそこまで落ち込んじゃいかんのですよ」
そう言われてもな、と未だに晴れない藤堂さんの頭をポンと撫でる。ズル休みだって、自己防衛手段のひとつなんだ。
「肩、貸しますよ」
「……悪ィ」
「謝ることじゃないでしょう」
私の肩に頭を置いた藤堂さんは、ポツリポツリと言葉を拾いながら独り言のように話してくれた。
「近藤さんが、あんなに乗り気なのによ……情けねえよな」
行きたくない、と一言言えば済むと思う人もいるだろう。しかしその言葉は、信頼している仲になればなるほど、言いにくくなる人もいるんだ。
話される言葉を、黙って聞いていた。ああ、と納得できた。
「藤堂さんの考えは、伊東さんに近いんですね」
返事は返ってこなかったものの、重力のかかり具合から頷いたことが分かった。そして、その後に本当に小さく「そう、かも、しれねえ」と呟かれた言葉を聞き漏らしはしなかった。
「俺、最低だよな……」
「藤堂さんは、藤堂さんでいいんですよ」
「……え?」
「だってほら、皆が皆同じなんて、変な話でしょう?」
あの日、藤堂さんが言ってくれた言葉が、本当は嬉しかったんだ。お礼を言うとき、もう少しで声が震えそうだった。その言葉を、次は私が返そうと思ったから、私はそう言った。そして、自分の言葉でこうとも言った。
「藤堂さんを、ひとりにはさせません」
土方さん、最善は尽くしました。あの惨劇は、離脱したときに対策を考えればいいんです。それが私の最善です。だって、そうしないと、
キュ、と藤堂さんの手を握り、瞼をおろした。
――――そうしないと、この人が、壊れてしまう。
「ありがとな」と呟かれた言葉とともに返された手の力に、「こちらこそ」と小さく笑った。
雨雲を好んだ君は空を嫌った
あの日君がくれた言葉を君に贈る、
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