01 水面に揺れる 時は平成。街路樹として道の両側に悠々と咲く桜に見惚れるのは、日本人としてほぼ当たり前のこととなる。それがいつからなのかを、少なからず考える人もいるのだろう。
「紗良ー紗良ってば聞いてるー?」
「え!?あ、や、その…か、河豚と書いてふぐって読むよ!海豚はイルカ!」
「うん、誰もそんな事は話してないんだけどね」
「……受検生だね」
「どうしてそうなった!というか、まだ早いよ。私たち3年生になったばっかりだし」
新学期を終え、中学校生活最後の年を迎えた。別に昨日と大して変わったわけでもないのに、ひとつ学年があがったというだけで桜は儚さを増し、道は何故か長く見えるのだから人間不思議だ。
「桜が綺麗だねー」
「あ、本当だ。そういや桜といえば、"薄桜鬼"って知ってる?」
「ああ、最近よく言ってる乙女ゲーム?」
「そう!あのね、ヒロインは雪村千鶴っていう蘭学医の娘で、12月のある日父親を探しに京の町に来た夜……」
長いので省略させてもらおうと思う。これから先、要点をまとめる事が必要必須となってくるのに大丈夫だろうか、と目の前の"友人"を心配した。
「すっごい良いから!お勧め!貸してあげるからさ、ね?感想待ってる!」
「え、いや、」
「原稿用紙三枚ね!!」
「嘘だよね!?」
そんなわけで半ば無理矢理で押し付けられたものの、私も決して嫌では無かった。というより、こういうゲームはどちらかといえば好きだ。展開を進めていくだけで愛してもらえる。与えられた選択肢を選んでいく、たったそれだけで、あんなにも愛してもらえる。それが実に現実の世界より楽で、気持ちよかった。
いえば妄想の世界なので、自分がどう愛してもらうかも全て自由だから。
「私は世間一般的にヲタクの分類に入るのかなー」
"愛"が好き。だからある昔、自分に"仮面"を付けた。どんな理不尽な事にも決して怒らず"仮面"をつけて、笑った。そうすれば嫌われる事はなかったし、周りの人にも気に入られたから。いつしか仮面をつけることが当たり前で、逆に外してしまうのが怖くなった。
「紗良、帰ったの?」
「ただいまお母さん」
「ちょうど良かった。お風呂にお湯入れてもらってもいい?」
いい加減近代的にユニットバスにしようと笑いながら、「分かった」と返事をして浴室に移動し蛇口をひねり、浴槽に湯を張る。浴室でどんどん浴槽に溜まっていく液体を見ながら、ふと思う。
「居場所って、どこだろう」
最近よく考えること。優しい友達、優しい家族、でもそんな周りの皆に嫌われたくないからと"仮面"をつけたのは他ならぬ自分だと知っているのに。怖いんだ、嫌われるのが。もう二度と、あんな思いはごめんなんだ。
「……こんな所から逃げ出したい」
ぽつり、と呟いた後浴槽に目を移す。目に留まった浴槽に浮かんだ一片の桜の花弁だった。帰り道にくっつけて帰ってきたのだろうか。その桜の花弁に手を伸ばした、その時だった。
「え、」
ごぽり、
沈む、沈む、浴槽の中へ。なんとかして浴槽から水面に顔を出そうと試みたが、それも叶わずどんどん沈む。可笑しい、湯を入れ始めてそんなに時間はたって無いはずなのに、何故こんなにも深いのか。それ以前に、両手一杯広げても水中を伐るだけ。我が家の浴槽はここまで広くない。
ごぽり。
私もう死ぬな、と半ば諦めた時だ。
「ぷはっ」
水面から顔が出た。ごほごほと、無我夢中で酸素を肺へと送り込む。十分に酸素を取り込んだ後、辺りを見渡してごく普通な当たり前の疑問を口に出した。
「此処……どこ」
寒い。ものすごく寒い。とりあえずどうして私はこんな狭いところに。見渡しても見覚えの無い光景。そして、木造の浴槽に戸惑いを隠せない。いや違う、確かこれは、昔の歴史書などでよく見る形の、浴槽ではなくアレだ、湯浴びする、あの形なのだが、問題は何故私が此処にいるかだ。
ぶるりと体が震え、疑問よりも先に服が濡れていることで増した寒さを優先することにした。幸いにもカーディガンという乾きやすい服は身にまとっていたので、善は急げ、ではないが早速カーディガンをパンパンと強く振る。その後少し乾いたことを確認し、制服を脱ぎ、脱いだ制服をそばにあった棒にかけ、カーディガンを羽織ろうとしたときだ。
「何だ誰かいるのか?平助か??」
「え、ちょ、あの」
がたり
ひとつもの救いは下着を着用していたことだろうか。
水面に揺れる
異次元の酸素、
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