17 月は既に闇の中 妙にざわつき眠れない。今夜は、そこまで冷えるわけでも風の音が五月蝿いわけでもない。ただ、何故か眠れないのだ。かたりと障子を開けると、どこかへ行く山南さんの姿が見えた。こんな深夜にどこに行く用があるのか、よくわからないが嫌な予感がした。本能の第六感だかなんだか忘れたが、眠れない夜を潰すにはもってこいだった。尾行なんてまるで刑事ドラマみたいではないか。いっそ気付かれない方が面白いと思い、気配を消しながら静かに、静かに。
そのまま広間まで尾行していくと、キラリとなにかが照らされた。刀ではない、なにか。
「……いるのは、分かってますよ」
声をかけられびくりと肩が跳ねた。いつから気付かれていたのか。いやまあ、たかだか16の女の気配を消すなんて彼からしたら丸分かりなのだろう。静かに姿を表すと意外そうに山南さんは目を丸くした。え、気付いてるって言ったのはそっちではないのか。
「まさか、椎名君までいるとは……」
「え?」
「そうでしょう?……雪村君」
振り替えると、少し驚いた様な雪村さんの姿があった。
「なんで……」
「我々はそのくらい気づけなくては危ないですからね。まあ、貴女の気配に気を取られすぎて椎名君には気付けませんでしたが……」
「そういう事ではないですっ!」
雪村さんが少し声を荒げた。対する山南さんは落ち着いた素振りで自虐的な笑みを浮かべた。そして、手にしている容器を私たちに見せるとちゃぽん、と赤い液体が揺れた。
ああ、たしか、あれは、
「おち、」
「山南さん!!どうして……っ!!」
私が言葉を出し終わる前に雪村さんが掻き消してくれて良かった。私はこの薬の存在を知らない設定なのだから。
しかし、まさか今日があの日とは。覚えているよ、山南さんが羅刹になる。説得、できるのか
「こうでもしないと……っ、私の左腕は治らないんですよ!!」
私の思考は驚きで強制的にストップした。あんなに(多少のネガティブ発言はあったが)温厚だった山南さんがここまで声を荒げるのは初めてではないだろうか。
「そんな……っ、ねえ、紗良君も何か言って!」
「無理ですよ」
雪村さんの方を一切見ず、山南さんの目を逸らさなかった。雪村さんの目を見たらそれこそ私は罪悪感で居たたまれなくなり、山南さんを止めるだろう。彼女の瞳はそんな感じだ。
「紗良君は変若水を知らないから!」
「ああ、あれは変若水って言うんですね」
白々しくそう言うと、雪村さんはなにも言わなかった。それもそうだろう、私がそれを知ることで、私は処罰されるかもしれないんだから。
「どのような効果があるのかは分かりませんが、辛いのは……山南さんです」
陰口をひっそりと叩かれていることは私も知っている。偶然耳に挟んだことがあった。雪村さんがそれを知らないのは、平隊士さんたちとほぼ接触をとっていないからなのか、それとも知っているけど優しさ故に否定するだけなのか。
山南さんはフッとなにか吹っ切れた様な笑顔を見せた。消えそうな、それでもどこか柔らかい。きっと、もう決心していたのだろう。そんな人を、誰が止められるのか。山南さんルートがない時点で、雪村さんが彼を一生かけて守るなんてできないんだよね?私だっていつこの体がどうなるかは分からない。なら、ここで止めるのはあまりにも残酷で、無責任だ。
「剣客として死に、ただ生きた屍になれと言うのであれば……人としても、死なせてください」
それは、とても、とても痛い言葉で、
「山南さんっ!!駄目――――」
変若水を煽ると、山南さんはそのまま床に膝をついた。ああ、たしか、この流れは失敗だったはずだ。どうしたら良いんだろう、沖田さんが来てくれる?どうやって?雪村さんが叫ぶ?いや。その前に、たしか。
山南さんが苦しそうに呻くと、雪村さんは駆け寄ろうとした。
――あ。
咄嗟にその手を引くと、驚きで丸くした目に私を映す。
「雪村さん。沖田さんがいるはずです、呼んできてください」
「え?で、でも山南さんが……!」
「早く!危ないんですよ!!」
山南さんに目をやると未だうずまっている、と思われたの、に
「ガッ……!」
ブワッと体が空を切り、壁に勢いよくぶつかった背中に激痛が走る。私の名を叫ぶ雪村さんの声が聞こえる、その言葉に応えることが、酸素を強制的に押し退けられた私の肺では厳しいものだった。
そのまま下を向き噎せながら必死に酸素を取り入れようとする私の前に、山南さんの右手がのび、それは私の首を締め上げた。苦しさで顔が歪むが、抵抗はしなかった。クク、と普段とうって変わった奇妙な笑い声が聞こえ、山南さんの顔を見ると、
「……っ」
あの、サラリとした髪は真っ白に。あの、優しい穏やかな双眸は、赤く紅い、血の色に。ああ、それが羅刹なのかと思った。
月は既に闇の中
そこは、楽でしたか?
[18/62]
prev next
back