桜とともに | ナノ


ふいに空く心

奉行所の警備へ着いてくるかと尋ねられ、雪村さんも乗り気で、どう断ろうかと迷っていた。そのとき「屯所で私の手伝いをお願いできますか」という山南さんの言葉は、私にはこれ幸いの助け船となった。

「先ほどはありがとうございました」
「いえ、あまりにも返答に困っていたように見えましたので……」

そう言いながら山南さんは微笑んだ。この人の持つ雰囲気は、優しいときと冷たいときのギャップがある。ちらりと横目で雪村さんがいないことを確認して囗を開く。

「私が行っても足手まといにしかなりませんから」
「まあ、懸命な判断ですね」

そう言い指令の準備を山南さんは始める。

「……そういえば私、指令の手伝いの仕方なんて知りませんよ?」
「あぁ、土方くんたちも行ったことですし……椎名君は、藤堂君の世話をしている雪村君の手伝いでもしていてください」
「え?」
「私に、役に立たないから追い出された、とでも言えば大丈夫ですよ」
「なにか少しでも手伝いたいのですが……。ほら、私医療方面は全然分かりませんし」
「……では、指令は分かると?」

そう言われてはなにも言えない。優しい笑顔でなかなかの毒舌にも、もう慣れたと思いたい。まあもとより、そういう言葉には結構慣れているのだが。いや、慣れなければならなかったのだ。自身の心の為に。

「……お茶を汲むくらい、させてもらいたいですね」

ふ、と優しい笑みを浮かべ、自身の左手を見詰めたかと思えば山南さんの顔が曇った。

「本来ならば……私も戦場で、刀を握りたいのですがね……」
「……そうですか」
「椎名君は、なにも言いませんね」
「偽善者の様な気休めの言葉でよろしいのでしたら、何度でも。しかしそんな言葉は私以外から聞いているでしょう?」

山南さんは少し目を丸めると、また囗角を上げ「参りましたね」といつも通り柔らかい口調で言った。

「では、少し熱いめのお茶を良いですか?」

「分かりました」と言いながら腰を上げ、勝手場へと向かった。

ふつふつと沸くお湯を見ながら、この時代の湯の沸かし方にも大体慣れたものだと、息を吐いた。いつの間にかこの時代も悪いものではない、そう思いだしたのだ。確かに便利な電化製品もなにもないが、なにより息がしやすいと思える。

「お待たせしま……」

戸を引くと、山南さんは真剣な顔つきで机にむかっていた。指令の作業に集中しているのだろう。そっと湯呑みを置こうとすると、気配に気付いたのかこちらを向いた。先ほどまで真剣だった顔つきに、柔かな笑みが戻る。

「邪魔してすいません。ここ、置いていきますよ」

ゆっくりと湯飲みを机に置くと、ちゃぽりと入っている茶が揺れた。そんな何気ない一瞬の動作でさえゆっくりと流れる、時の様に感じるほど山南さんのもつ雰囲気は穏やかだったりする。

そっと山南さんの手が私の手の甲に触れた。

「……?どうしたんですか?」

少し悲し気な色を顔に浮かべたかと思うと、すぐにいつもとよく似た笑みへと戻る。

「……なんでも、ありませんよ」

重ねていた手を、山南さんはまた静かに離し私の目を見た後、また手元の書類へと目を向ける。

「もうこちらは大丈夫ですよ。椎名君は、藤堂君や沖田君たちのところへ行ってあげてください。……私一人で君を独り占めしては文句を言われてしまいますから」
「はあ……」

若干語尾に疑問符を付けながらも一礼し部屋を出る。そして、歩くたびに、きしりと鳴る廊下を通りながら3人がいる部屋へと向かう。

「紗良君!」

真っ先に気付いたのは雪村さんだ。山南さんの手伝いについて問われたので、「難しくてよく分からなかったんです」と苦笑で答えた。

「なにかお手伝いさせてもらえませんか?」

そう微笑みながら聞くと、「え!?だ、大丈夫だよ!」と首を横に振られたが、少しだけ眉を下げ「お願いします」と食い下がったとき、横から声が入ってきた。

「紗良君は僕の相手してよ。君が手伝ったところで邪魔になるだけだって」
「……俺は雪村さんの手伝いをしたいんです!」
「でも千鶴ちゃんは困ってるでしょ?」

うぐ、と口をつぐんだ……フリをした。私だってそれくらいは分かっているからだ。ただ沖田さんの相手というのは、嫌な予感もするので少し遠慮したい。ちらりと藤堂さんに視線を送るとそれに気付いたようで、パッと顔をほころばせながら口を開いた。

「あ、じゃあ俺の話し相手になって、」
「僕さっきから退屈だし……このままだと君の大切な兄上の怪我、悪化するかもね」

沖田さんの顔が藤堂さんへと振り返ったかと思えば、藤堂さんの顔がさきほどの笑いからジェットコースターが落ちて行くかのように変化し、一瞬にして青ざめた。

「お、おい紗良!!総司の相手してやれよ!!な!?」
「ほら、平助もこう言ってることだしさ。ね?」
「沖田さん、雪村さんが困ってます!」

それを証拠に雪村さんが先ほどから苦笑している

「え、いや、迷惑っていうのは有り得ないよ!……えっと、紗良君は……」
「僕と遊ぶんだよね?」

なんだこのジャイアニズム。確かに、暇を持て余したままにして置けば邪魔をしかねない。いや、多分既に邪魔をしていたのかもしれない。
結論的に言えば、きっと沖田さんの相手をすることが大事な手伝いになるのかもしれないのだが、今一つ気が重い。

「じゃ、じゃあ紗良君は沖田さんと、お話とか……いいかな?」

藤堂さんにそういわれ、雪村さんにもそう言われたなら私の答えはもはやひとつに絞られた当然となる。いや、きっと沖田さんになにか物事を頼まれた瞬間から、私に託された選択肢はYes or はい、だ。この時代でいうなら御意 または はい、だろうか。

「…………分かりましたー……」
「そんな嬉しそうに返事しなくても良いのに」
「これがそう聞こえますか!?」

もしもそう聞こえたなら、沖田さんは一度耳鼻科に行くべきだろう。静かにため息を吐いた私の横で、にこにこと清々しいほどの笑顔を浮かべている。

「……暴君」
「え?紗良君なんか言った?」
「べっつにー、なんでもないですよー!あ。雪村さん、包帯なら俺がとりますよ」

これを終えてから、仕事(沖田さんの相手)を実行しよう。そう思い立った瞬間だった。

「あ、」

つい、袴の裾を踏んでしまっただけ。つい、それでバランスを崩してしまっただけ。ああ、半年以上毎日袴を履いて過ごし、慣れてきたと思ったらこれか。頭の中でそんな言葉を繰り返していた。

「……」

いつの間にか自分の下で雪村さんが真っ赤になっていた。ああ、これが俗にいう押し倒し。まあ女同士ということで、特別な感情は1ミクロとも沸かないがとりあえず"椎名紗良君"のイメージとしてはきっと……

「す、すいません雪村さん!!!」

なんてわざと顔を赤くして、バッと飛びのいて、勢いよく謝罪の言葉を述べる。そうすれば雪村さんは赤い顔のまま、「大丈夫だよ!」と慌てて言うので、"俺"ははにかみながらもう一度ゆっくり「すいません」と言う。
そして横目で気付いたが、当事者の私よりもそれを見ていた藤堂さんの方が顔が赤い。女同士だってば。


「君は、すぐにああいう演技ができるんだね」

廊下を歩いていると、ふと沖田さんがそう呟き、何故か空気がピリッとしたのが分かった。

「……まあ……そう、ですね」

慎重に言葉を発する。何をこの人は、こんなに不機嫌になることがあるのだろうか。私がなにかしたか。思いつくことはただひとつだけあるのだが、いや、まさか、でも確かに沖田さんは意外に子供じみた所もある。

「……もしかして暴君って言ったの怒ってます?」

そう言うと、何故か沖田さんは笑った。空気が軽くなったのは良いが、何故笑われているのかが私の頭では分からない。ひとしきり笑った後、沖田さんは私に尋ねる。

「で?君は僕が、それくらいで怒るくらいに心が狭いって思ってるの?」
「いえ、そんな事は思っていませんが。ただ沖田さんは子供みたいな所があるので」

くすりと笑いながらそう言ってみると、少し眼を丸めた後に沖田さんは笑った。

「君はそういう笑い方をするんだね」
「ああ、すいません。馬鹿にしたつもりはないんです」
「僕はそういうのを言いたかったんじゃないよ」

翡翠の双眸がちらりとこちらを見る。それにつられるかのように、私の少し上に上がっていた口角も下へと降りた。見惚れそうになったのだ、綺麗なこの色に。しかし、心の奥底では思っていた。"それもそうか、この人は二次元なのだから"。

「すいません」
「だから僕は怒ってないってば」

そんな綺麗な色した瞳を細める。そんな顔はやはり、絵になった。

「……そういえば、相手とは具体的に何をすれば?」
「ああ、この間買ってあげた着物、着てくれないかなって」
「お断りします」

にこりと営業スマイルじみたこの顔は、絵に、なっているのだろうか。



ふいに空く心


  頭では分かっているつもり、

  
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