08 雪溶け水にこんにちは 「……熱があるのでは?」
ああ、なんとなく自分でも気付いていたが、斎藤さんに言われやっぱりかとぼーっとする頭で思う。しかし、これは慣れていない気候から来たものだろうから多分すぐに治るはずだ。医療方面には全然詳しくないが、これでも一応は健康優良児なのだから。
斉藤さんがあまりにも心配してくれているので「大丈夫です」と言って笑みを添えた。
中庭には今日も、雪が降り積もっていた。そんな事はお構い無に竹刀を降り始めると、もう今では聞きなれた声が耳に入る。
「紗良君?!こんな雪の中でいたら風邪引いちゃうよ!」
「大丈夫ですよ。体のつくりは丈夫なんです」
「で、でも…」
ああ駄目だなあ。女の子にこんな顔させてしまうなんて。
「……すいません、でももう少し素振りの稽古をしていたいので。あと少ししたらもう部屋に戻ります」
眉を下げて笑みを作ると、雪村さんは安心したように笑って「じゃあ温かいお茶用意してるね」と言ってその場の離れて行った。
朝よりも熱が上がってきた気がする。体の節々が痛い。首元に手を添えるとリンパ腺が腫れてる気がした。
ぐらっ
あ、やばいやばい。コレは倒れる、と思ったときにはぼふっと鈍い音と共に雪の上へと倒れ込み、じわりと沈む。
あーあ、今日は折角永倉さんたちが街に連れてってくれる筈だったのになあ、と、熱い体には程よく感じられる雪が冷たさに埋もれながら思う。このまま死ぬのも天命か。寧ろ此処で死んだらどうなるのだろう。
雪が私の体温で少しずつ融けていき、その上からまた雪が積もっていく。これが当たり前の冬の気候なんだから凄いよなあ、なんて自分が元居た時代を思い出す。でもきっとコレが1番良いんだろう、ゲーム的には。これでシナリオ通り進めるはずなんだ。ゆっくり瞼を下ろすと、意識が静かに埋もれていくようだった。
「っ、紗良君!?」
ああ来てしまったのか。もう少し遅かった方が、この世界的にも貴女的にも良かったのだが。泣きそうな声で私を呼ぶ雪村さんに重い瞼を持ち上げても、今の私には苦笑を浮かべるのがやっとであった。喉が痛いから極力声は出したくない。のど飴が恋しくなるな、そんな事を思っていると急に体が浮いた。
雪村さんの顔が近くにあり、今どのような状態におかれているのかが分からなかった。ちょっと待とう。ちょっと待って。コレは、れっきとした、現代でいうお姫様抱っこだ。ちょっと待ってちょっと待ってストップストップストップ何だこれなんで私がお姫様抱っこされてるの一瞬にして熱が引きはしないが、それでも目を見開くには十分すぎた。
「ゆ、きむら、さん?!」
「ごめんね、動かないでね」
いやいやいやいやいや。頭では反論ばかりだが、もう抵抗する気力も残っていない。しかし女の子にお姫様抱っこなんて、する側は大歓迎だがされる側なんて後悔が凄い。恥を忍びゆっくり瞼を閉じて身を預けると、雪村さんが誰かを見つけたのか、声を張り上げた。そんな大きな声を出さないでくれたら嬉しい、と腕の中で思う。
「沖田さんっ!紗良君が……!!」
「……!千鶴ちゃん、僕が代わるよ。紗良君をこっちに」
「え?」
「千鶴ちゃん、考えてもみなよ。いくら君より年下の男の子とはいえ男が女の子に抱かれても良い気はしないでしょ?」
「あ……ご、ごめんね紗良君」
申し訳なさそうな顔をしているのが声だけでも分かる。瞼を開けると予想通りの顔をしていた雪村さんの頭を片手で撫で、今の私での精一杯の笑顔を作る。
「大丈夫ですよ。私、体力はあるんです……。すいません、そんな顔させてしまって」
私の体は雪村さんから沖田さんの腕の中へと移る。どうでも良いがお姫様抱っこなんて生憎私のキャラじゃない。沖田さんの指示を受け勝手場に向かった雪村さんの姿を確認してから、お姫様抱っこから剥がれ、柔らかな雪の上へ足を下ろした。
「一人で歩けます」
「そんな赤い顔をして何言ってるの。現に倒れたんでしょ?」
「ちょっとしたミスです。目眩なら人間誰にでもあります」
「普通元気な人には無いけどね。紗良ちゃん、そんな熱で、あのまま雪の中にいたら死んでたよ?」
「熱など無いです。私は健康優良児なもので風邪は引きません」
「いくら紗良ちゃん自身がそう言っても、危ない」
ああ、くらくらする。でも、でも、だめだ。すこしでもつよくならなくては。
「ねえ気付いてないでしょ。僕さっきからずっと"紗良ちゃん"って呼んでるんだけど。普段の君なら直ぐに気付いてるよね?しかも、事情を知らない千鶴ちゃんの前で"私"って言ってたよ」
沖田さんにそういわれても、いまいちピンとこなかった。ほぼ無意識だったのだろう。
「俺としたことが駄目ですね……。でも、本当に子供じゃないので、わざわざ抱っこされなくても大丈夫です……っ」
部屋へ向かい一歩踏み出した瞬間、激しい咳が喉を痛め付け、体の重心が前へと崩れる。
「なに強がってるのさ」
「相変わらず早い動きで……」
いつの間にか私が倒れる前に前に屈みこんでいたのだろう。抱っこが嫌と言ったせいか、おぶられる形になっており、つくづく餓鬼扱いされてるようにしか思えないのは私だけだろうか。
そしてそんな私は、さきほどので抵抗する気力が底をついた。
そのまま身を任せ部屋へと運ばれ今では布団の上だ。
「こういう時くらい甘えておけば良いよ」
甘えるのはヒロインの役目で、私の役目ではない。そんな考え微塵にも見せないよう、はは、と笑みを浮かべる。
「十分甘えさせてもらってます」
「君の笑顔ってさ、気持ち悪いんだよね」
翡翠の眼が鋭くなり、体の上に掛けられた布団をギュッと握った。
「……失礼ですね。私だって雪村さんのような可愛い笑顔を持っていたら、人生得してましたよ」
「そういう意味じゃないんだけどなあ。ねえ、なんで君は本心を隠して笑うのさ」
「……っ?」
なんで、なんでこの人は。私を映す目の前の翡翠の瞳が、細められた。
「ああ、いつもの澄ました顔よりそういう面食らった顔の方が僕は好きだよ」
此処にきたときから思ってはいたが鋭い人だ。いや、もしかすると他の人まで、
「多分君のそのわざとらしい笑顔は幹部なら気付いてるんじゃないの?そういうの見抜けなかったら命取りになるしね」
「成る程……」
「で、なんで?なんで僕たちとの間に線を引くようにするの?」
「沖田さんは一体どこまで気付いてるんですか……」
「とりあえず君がなにかにつけて僕たちと千鶴ちゃんが接するようにしてるって所かな」
ああもうそこまで。でもそうしないと
「シナリオが成り立たないんですよ。もともとこの世界に私はいませんでしたからそれだけでも十分狂わせているというのに。雪村さんが貴方たちどなたかのルートを辿り最終的には結ばれるのがこのゲームの目的です。それ以外に何も無い。だから線を引いて馴れ合わないようにした。この世界で私の存在理由なんてどこにも無い。だから欲しかったんだ存在理由が。誰かを守っていた方がよっぽと存在理由があると思う。矛盾してるよねこのシナリオを崩したくないのなら黙って空気のようにいるか嫌われれば良い話なのに。でも嫌われるのも怖いんだ存在理由が無いのも怖い居場所がないなんてもう嫌だ。主要キャラにもゲームには登場しないサブキャラにも嫌われたくないなんて贅沢だって知ってる。でも嫌なんだ。だから死に物狂いで剣振って、笑って良い顔して、頑張るしかないじゃないか。強くなって認めてもらうしか。でもそうする度にこの世界と元の世界が一緒みたいになって……」
ハッと、我に返った時にはもう遅かった。今すぐ余計なことしか紡がないこの喉を掻き斬りたかったが、この喉からはただ咳だけが通る。
「紗良ちゃん……?」
沖田さんに呼ばれて、どこまで私は口に出していたのだろうと激しい後悔に見舞われた。ああ、しかしもう頭が廻らない。くらくらする。変な事口走ってしまったことに今更気付いても、もう遅かった。
「知らない言葉が多くて半分くらいしか分からなかったんだけど、君の言ってる事って僕たちに失礼だよね?」
「……そうかも、しれませんね」
嫌うならもう嫌ってくれ。口を滑らせた私が悪い。
私の左に居た沖田さんは、布団を握りしめていた私の手を掴み自分の胸元へとやった。
「心の臓は動いてるよね?」
「……?は、はい。そうですね、動いていなければ問題です」
「うん、そうだね。つまり此処に僕たちは生きてるんだよ。君と同じ、生きてる」
真っ直ぐと私を捉える翡翠の瞳に、大切なことに気付かされた。手から伝わる脈動に、確かに"命"を感じ取った。「あ……」としか言葉は出なかったのは、熱のせいか、それとも、ツンと痛む鼻の奥せいか。
「君は僕たちを人として見ていないかのように言うけど、心はあるんだって分かってる?」
「……ごめんなさい」
素直にそう謝ると、沖田さんの私の手を掴んでいた手は私の頭へと移動した。
「でも、私はこのまま性別を偽りたいです。守られるだけは……ヒロインとか関係なく、嫌です」
「うん。でもずっと自分を隠すのは紗良ちゃんにとっては疲れるでしょ?」
「……」
「君の事情を知ってる僕たちの前では女の子でいて良いんじゃない?」
私は黙ってうなずいた。ああもう、熱は人を弱くさせるから嫌いだ。沖田さんの笑顔に妙に自分がはめられた感がぬぐえないが、不思議と後悔はあまり感じなかった。
暫く時間が流れると、水を張った桶を持った山崎さんと、お粥を持った雪村さん、そしてほかの幹部の方々もやってきた。
「紗良大丈夫か?!」
「石田散薬持ってきたぞ」
「止めときなね紗良君、それ効果無いから」
「総司、無礼な事を言うな」
私は重い体を起き上がらせ、雪村さんに申し訳なさそうな顔をしていった。
「すいませんでした雪村さん」
「ううん、大丈夫だよ」
「……笑われるかもしれませんが、俺も男です。やはり女性に弱ってる姿は見られたくないんです……。すいませんが……その……」
「……あ。じゃ、じゃあこのお粥食べてね。私はもう部屋から出て行くから」
沖田さん以外の幹部の方々は何か言いたげな顔をしていたが、それはあえてスルーすることにした。
雪村さんが部屋を出て行って数分すると、沖田さんが「もういないよ」と言ってくれた。私はなんとか気を保ちながら頭を深く下げた。
「え。お、おい!?」
「すいませんでした、本当に」
私は頭を下げたままぽつりぽつりと話し始めた。自分が150年ほど先の未来から来て、そこでは皆さんは生きていない人で、この世界にきてもその先入観のまま私と同じ人間としては見ず、ずっと、線を引いて接してきたことを。そして、自分から言っておいて勝手ながらも皆さんの前だけでは自分を偽らずにいたいということ。
居場所が、欲しいということ。
「……いつまで頭下げてんだ、お前は病人なんだ。ちゃんと横になってろ」
「え……っと?」
「そうだぜ。山崎が困ってんだろ。横にならなきゃ濡れ布乗せらんねえだろ。……それにな、お前がそう言ってくれて俺は少なからず嬉しいんだよ」
原田さんの手が柔らかく私の額を撫で、言葉に促されるまま私は枕に頭を置いた。今日の約束を破ってしまった事を永倉さんと原田さんと藤堂さんに謝ると、気にするなと笑ってくれた。その言葉になにかの糸が切れたのか、私の意識は闇へと堕ちた。
雪溶け水にこんにちは
自分の虚勢も融けていく
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