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ロ マ ン チ ス ト の 筆 跡
結露で曇る窓ガラスに、人差し指が押し当てられた。桜貝のような爪に水滴が滑り込み、指先は冷たく潤う。
やがて指が動き出し、軌跡が透明な文字となって綴られた。
――ひろし
横一列に並ぶ、凜として華奢で強そうな字3文字。人差し指はさらに続きを書き込む。
――ばか
ひろしばか
冬の窓辺から何か見つけたのかと一連の流れを見ていたが、出来上がったものは小学校低学年レベルの落書きだった。
「なにそれ」
天音はガラスと向き合ったまま振り向かない。文字によって透明になった部分に天音の顔が映りこんだが、その表情は全く動じる様子はなく、いつもの無表情のままだった。
「事実」
天音は問われるままに簡潔に答える。
「…愛がないなぁ」
寛は天音の肩を越え窓ガラスに手を伸ばし、"ひ"の左に次々と"は"、"ね"、"ま"、"あ"と書いてやった。
「これが正解です」
寛は満足気に笑って、その文字達を丸で囲む。
「…不快。不愉快」
天音は手の平を滑らせ文字達を消した。「あまねはひろしばか」から流れる水滴がサッシに溜まる様子を寛は苦笑しながら見届けた。