君におぼれる | ナノ

君におぼれる
火黒♀←モブ/新婚パロ




この小さいスーパーで働き始めて3年が経つ。
電車じゃ各駅停車しか停まらない小さい駅にある、誰も聞いたことのないような名のスーパー。とは言えこの駅周辺に住む人達にとっては唯一のスーパーであって、小さくても潰れることはない。
3年も経つと、元々レジ担当で入った俺は今じゃ品出しや事務的な仕事までこなせるようになっていた。年配の店長にお前は次期店長だな!と言われたがそれは勘弁してほしい…なんて言っても、このご時世でこれから転職なんてする気も起きないし案外本当に店長になってるかもしれない。ウケる。

そんなことをぼんやり考えながら品出しをしていた、平日の昼下がり。
俺の腹の虫がぐう、と情けなく鳴った時だった。

「すみません」

透き通った声がどこからか聞こえた。
はい、と振り返ったが誰もおらず、あたりをきょろきょろ見回してもいない。

「あの、ここです」

ぐい、とエプロンを引っ張られそちらを見やるとそこには抱っこ紐で赤子を抱いた小柄な女性が立っていた。

「っ……!?」
「あ…すみません驚かせて、僕小さい上に影薄いので」
「あ、い、いや、とんでもないです、失礼しました!」

驚きすぎてつい身体が仰け反った。本当にいつからここに…と、色々思ったが、客相手に失礼な態度をとってしまったと反省。

「…あの、上の方にあるあの紅茶、取ってもらえませんか?届かなくて」
「えっ、あ、これですか?」
「それです」
「あ、はいどうぞ」
「有難うございます。助かりました」

女性はぺこり、と深くお辞儀をしてからレジへと向かって行く。
若いお母さんだな…というか、背が低いのも手伝って下手したら高校生に見えるレベルだ。
この小さなスーパーには大体地元の人達しか来ないからお客さんは見慣れた顔ぶれの人ばかりなのだが、今の人は初めて見かけた。
レジに並ぶ彼女をぼーっと見てると足元にある品出しの商品の山を目にしてハッとし、俺は慌てて作業に戻ったのだった。





***






「あ」

あれから4日くらい経った今日。
時間的に客が少ないためだいぶヒマで、こっそり欠伸をした瞬間にレジに買い物カゴを置いた女性客を見てつい声を出してしまった。この間の、異様に若い母親だ。肩まである髪を今日は後ろにちょこんとシュシュ?ってやつで結んでいる。

(…って俺が覚えててもあっちは覚えてないかもしんねーのに、あ、って!)

やってしまった、恥ずかしい…と後悔した俺は不自然に咳き込んでからいらっしゃいませと言い、買い物カゴの中の商品を手にとった。

「…こないだ紅茶取って下さった……、」
「えっ!?あ、ああ!あは、どうも!」
「その節は有難うございました」
「い…いえいえいえいえ!とんでもないですよ!あんな高い所届かないですよね!言って下さればいつでも取りますよ!」

まさかの、覚えてくれているという実態にめちゃくちゃ動揺した。
しかも無駄にテンションの高い反応になってしまい、彼女はふふっと笑った。何だか可愛い。
…しかしやっぱり子持ちとは思えないほど幼いなあ。一体何歳なのだろう。

しばらくお互い何も発することなく商品をレジに通す機械的な音だけが響く。
それが何だか煩わしくなってしまい、俺はバッと彼女が抱いている赤子を見やった。

「かわ…可愛いですね」
「え?」
「あ、その、お子さん……何ヶ月ですか」
「ああ、有難うございます。6ヶ月です」
「6ヶ月かあ、名前はなんていうんですか?」
「光って書いて"こう"っていいます」
「えっじゃあ男の子なんですね。目大きい所とかお母さんそっくりですね」
「よく言われます。かが……えっと、お父さんにはあんまり似てなくて」

ねー、と我が子に話しかける彼女は、幼い容姿でもやはり母親なのだ。当たり前だ。
そして"お父さん"というフレーズを出す彼女は、やはり幼い容姿でも旦那がいるのだ。当たり前だ。俺は一体何を言ってるんだ。

「あ…お会計2675円になります」
「あ、はい」

会計をすませた彼女はぺこりと会釈をしてからよいしょとカゴを持とうとした。

「あ!よろしければ台まで運びましょうか」
「え、でも」
「赤ちゃん抱いてると大変でしょう。運びますね」
「…すみません、助かります」

たった少しの距離だが、小さな子供を連れて外出する大変さはよくわかる。たまに会う姪っ子で自分でもそれを痛感しているからだ。

「有難うございました」
「いえいえ。お気を付けて」

もはや家まで荷物運びましょうかと言いたくなってしまうほど、その小さな身体に生後半年の赤子と買い物袋を持たせるのは見ていて不安であった。
スキニージーンズを履いているせいか服の上からでも彼女の華奢さはよく分かるし、肘までまくられているシャツの下から見える腕も白くて細っこすぎる。
これでしっかり子育てと家事をこなしているんだろうと思えば思うほど勝手に彼女を尊敬した。こんな小さいスーパーで大してつらい思いもせずに働いている自分は一体…とも思った。
…しかしあれだ、旦那がどんな人なのかめちゃくちゃ気になる。
結婚して子供までいるのだ、きっとそれなりの長い付き合いがあって深い絆があるに違いない。彼女はすごく奥手そう(イメージだけど)だし。

(…何か俺、気持ち悪い奴だな…)

一人の女性客に、ましてや人妻かつ子持ち相手に色々と妄想を巡らせすぎである。
何かごめんなさい、と心の中で呟きながらすごすごと仕事に戻った。




***



それから週に2回くらいの頻度で彼女は買い物に来て、目が合うと会釈してくれたり店内がすいていればわざわざ俺のレジに来てくれたりもする。たった数分間だが、なんてことはない雑談をするのが楽しかったし、すごく和んだ。
彼女はよく喋るわけでもないが、何だろう……とにかく癒される。ものすごく不思議な存在だった。
ごく最近この小さな町に引っ越して来たらしく、特に目立ったものはない場所だが、静かでのんびりした雰囲気が子供のためにいいと思って決めたとのこと。それを聞いて子供想いだなあと思ったし、何かもうこんな奥さんとか最高じゃん旦那マジ羨ましい、と完全に開き直ったことを思ってしまう。
きっと嫁にするには最適なんじゃないだろうか、と大して彼女のことを知りもせずに考えてるがきっとこの人は本当にいい奥さんなんだと思う。あまり旦那のことは語らないので旦那がどんな人なのかさっぱりわからないが、大切にしてるんだろうなというのはかなり伝わってくる。

既に結婚してる相手に何だか虚しすぎると日々感じるが、他に特別な楽しみがない今の俺にとってはオアシスであった。
幸せそうに家庭を築いている彼女を奪おうなどとは思わないが、旦那がめちゃくちゃ羨ましいとは思う。
しかし別に彼女をどうこうしようとも思わないししたくない。俺がアタックしたところで迷惑極まりないしもうこのスーパーに来てくれなくなるかもしれない。それだけは絶対嫌だ。

(だから俺はこう、近所のスーパーの店員という脇役ポジションで彼女たちを見てただほっこりしていたいというか何ていうか…)

そんなことをもんもんと考えながら仕事着から着替えて静かな夜道を歩く。残業していたら22時を回ってしまったのだ。
帰ったら即寝てやる、と決め込んでいると正面から赤子の泣き声が聞こえて目を細めた。暗くてよく見えないが、女性が小さな子供を抱きながらゆっくりこちらに歩いてくる。
徐々に近付いて来る人影に俺はどっくんと心臓がはねた。

「…えっ」
「……あれ、こんばんは」

…彼女だ。俺のオアシスだ。
何でこんな遅い時間にそんな薄着で外に出てるのだろう。疑問が浮かぶが彼女に抱かれている赤子がぎゃんぎゃん泣いているのを見て軽く察した。

「…珍しいですね、こんなに泣いてるの」
「たまにあるんです、こうやってすごい泣くの。でも赤ちゃんは泣くのが仕事だから。夜風に当たれば落ち着くかと思ったんですけど…」

ひたすら泣いている赤子をあやしながらも優しい眼差しを向ける彼女に何とも言い表せない感動を感じた。…母親は偉大だ。

(…旦那は何してんだよ)

まだ仕事なのかもしれない、家にいるのかもしれない、事情は全くもって知らないが、勝手に彼女の旦那にイラついた。
もしかして子育てに協力しないような亭主関白な奴なんだろうか。彼女はこんな小さな身体で頑張っているのに…と勝手に決めつけていると でも、と彼女が口を開いた。

「もうすぐかがみく……旦那さんが帰って来るんです。だからついでに駅まで迎えにいこうかなって思ったのもあって」
「え」
「1ヶ月間仕事で海外に行ってて、今日ようやく…」
「テツナ?」

背後から突然聞こえた低い声にバッと振り返ると、そこにはバカでかい身体の男が立っていた。その存在感に驚きすぎて変な声が出た。

「火神くん…!」
「おま、何してんだこんな時間に外で…てかもうお前も火神だって何回言えば、」
「光くんが泣き止まなくて、君のお迎えついでに…」
「二人とも風邪ひいたらどうすんだよ」
「光くんにはブランケット巻いてます」
「お前も何か羽織ったりしろよ…」

そんな会話を交わしながら火神と呼ばれた男は慣れた様子で彼女から赤子を受け取った。
ぎゃあぎゃあ泣く赤子に、それはもう幸せそうな笑顔で「何だー?俺がいなくて寂しかったかー?」と話しかける。
明らかにこのデカ男が旦那だ。何が子育てに協力しないような亭主関白な奴なんだろうか、だよめちゃくちゃ子供好きそうじゃねーか。
ていうかこの子テツナって名前だったのか…と、彼女の名前も知らなかったことに今更ながら軽いショックを受けた。ただの店員と客の間柄なのだからそれが普通だろうけども。
旦那の格好がジャージかつでかい鞄を何個も抱えているあたり、スポーツ選手か何かだろうか。すげえな。まあこの図体じゃ明らかに体育会系だよな…。

火神とやらが赤子を抱きながらふと俺に目をやると、誰だ?と彼女に小声で言う。
あからさまに警戒心を出さないあたりいい奴そうすぎて逆につらい。

「近所のスーパーの店員さんです。いつも重い荷物を途中まで持ってくれたりすごいお世話になってるんです」
「マジか。悪いな、俺遠征多いからそういうの助かるわ。さんきゅ」
「……どうもこちらこそ…………」

ニッと笑った表情が光くんが笑った時とそっくりなあたり、ああこの子はやっぱりこの二人の子供なんだなと再認識する。当たり前だ。

とにかく旦那から溢れ出るいい人臭が半端なくて、少しでもこの人にイラついてしまった自分が恥ずかしくて即効逃げたくなった。というか逃げよう。

「じゃ、じゃあお気を付けて……」
「あ、はい。お仕事お疲れさまでした。おやすみなさい」
「ああ、じゃあなー」

力無い笑顔でとても幸せそうな夫婦の背中を見送る。改めて見るとすげえ身長差だ。

(わあ…手つないでる………)

旦那はいつの間にやら泣き止んだ我が子を片手に抱きながら、もう片方の手で彼女の小さな手に触れた。彼女も当たり前のように手を絡める。スーパーの店員ポジションの俺が入る隙など一切無い。当たり前だ。

「ていうか……………"近所のスーパーの店員さん"か……」

彼女が自分の旦那に俺を紹介する時に言った言葉を思い返す。
いや全く間違ってない。何一つ間違っていない。彼女にとって俺は近所のスーパーの店員さん以外の何ものでもない。それが当たり前だ。当たり前、なのに。



(…もしかして失恋ってやつか…)






これは恋だったのかと、今更気付く自分に苦笑した。

















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